第482話 叩けば、まだ
(……思ったより、叩けば伸びそうな感じはあるんですよねー?)
斜め後ろにいるユッカの姿を一目見て、ヘレンは心の内で呟いた。
元からそこまで低く見積もっていたわけではない。
ただ、その認識も誤りだったようだと感じていた。
「――っ、はぁ!」
そうして眺めている間にも、ユッカの刃がまた靄を裂く。
振り下ろした刃をすぐさま返し、全く同じ軌道を、今度は遡るように辿る。
一度裂かれ、再び結びつこうとしていた靄がそれによって完全に分断された。
「きつかったら、ちゃんと言ってくださいねー? いつまで続くかわかりませんし、最初から飛ばすとすぐにガス欠しちゃいますよー?」
「分かってます……っ!」
余計なお世話だと言わんばかりに、ユッカはいっそう力強く地面を叩いた。
自らを風に乗せ、一気にに突き抜けていく。
それでも刃が標的を逃すことは、決してない。
「あっちゃぁー……」
ただ、そんなユッカの姿を見て真っ先にヘレンが浮かべたのは『やってしまった』の一言だった。
(あの感じだとあんまり長くは持たないかもですねー……? 今のはちょっと余計だったかもなー……)
自分自身と比べても、体力の差があるのは明らか。
それ自体は、ある意味で仕方のないこと。
年齢等を考慮すれば(桐葉関係の事件に関わらざるを得なかったこともあって)低いと評されるようなものでもない。
が、しかし、敵が尽きるまで半永久的に戦い続けられるようなものではない。
(……まあ、あんな風になられちゃってもそれはそれで困るんですけど。させませんけど)
そのこと自体は、ヘレンも全く問題視していなかった。
普段とそう変わらない表情を浮かべつつも、頭の中に浮かぶのは以前の出来事。
かつての桐葉の言動がなかったことになったわけではない。
何かのきっかけでまたそうなってしまうのではないかということを、今もヘレンは密かに懸念していた。
(今のあの状態で無理させるのも、さすがによろしくないですからねー……?)
ただ、それを抜きにしても、現状への懸念はあった。
ユッカがいま活動できているのは、ヘレンからの手助けがあってこそ。
とはいえ、それでも完全に普段通りの動きができるというわけでもない。
停止した時の中であろうと自力で活動可能な面々とは色々と事情が違うのである。
(どっちのことを考えるにしても、そろそろちゃっちゃと片付けてしまわないと――)
早期解決を目論んだヘレンが、もう一段階ペースを上げようとした、その時。
「…………んっ?」
何の前触れもなく、靄が消えた。
先ほどから次々と出現していた靄が、次々と消えていった。
どれだけまっても、次が現れることもない。
「な、なにが……っ?」
後ろで戦っていた筈のユッカの方へと視線を向けると、案の定、彼女はヘレンのことを見ていた。
しかし、今回に限っては本当に何もしていない。
自分は無関係だと、手を振ってユッカに訴える。
「…………なーにやってるんですかねー……あの人」
これが誰の仕業か、ヘレンに分からない筈がなかった。
『……一体、何をした?』
その声には困惑と、強い警戒が宿っていた。
靄の内側からにらまれているのが、なんとなく分かる。
鋭く冷たい視線を、肌で感じる。
「自らの手の内を晒すわけがないだろう? さっき自分がそうしていたじゃないか」
『それを承知で聞いたのは誰だと思っている』
「状況が状況だったからな」
『自分だけは許されるとでも言いたいのか』
「まさか。飛躍が過ぎる」
このようなやりとりにいみがないことは、向こうもよく分かっているだろう。
ああ言えばこう言う。その繰り返し。
それを薄々感じているからこそ、こうも苛立っているのだろう。
(向こうは止められたから、ひとまずよしとしておくしかないか……)
俺の方も完全に狙い通りだったというわけではないのだが。
あんな勢いで倒していたのだから、こいつもヘレン達の存在には気付いている筈。
他へ呼び出さなかったのは、行動可能な誰かがいなかったから。
作用の仕方からして、あれはおそらく警備システムのようなもの。
一体目が倒されたことでそちらを優先したのは間違いない。
(……ただ捕まえるだけとも、限らないが)
それの機能は正直、あまりよく分からない。
もし万一、ヘレン達を捕らえられたとして――できる筈もないのだが――その後、どうするつもりだったのか。
物理的に拘束するためだけだったとはどうにも思えない。
もしそれが目的だったのなら、本体のように姿を隠す必然性がない。
(シルエットを隠すにせよ、大きく見せるにせよ……手間に見合うだけの見返りが得られるとはとても……)
とはいえ、あのまま戦いを続けたところでただ体力を削られるだけだったのもまた事実。
ヘレンはともかく、ユッカにとってはかなり辛い状況だっただろう。
今はよくても、後で一気に疲労が襲われるなんてことになりかねない。
――いずれにせよ。
「今、お前の目の前にある結果だけでも十分じゃないのか。それができるか否かはっきりしてしまえば」
『その何かを対処すれば、こちらが妨害されることもなくなる』
「1つだけだとでも?」
『幾つあろうと関係ない』
「だろうな」
空に浮かぶあの火の玉のことも、靄を纏うこいつのことも、まだ何も解決していない。
やはりというか、手のひら大の靄も健在だった。
勢いもまるで衰えた様子はない。
こちらの干渉の影響を受けた様子も、まるで。
『何故、大人しく捕まろうとしない。無駄なあがきをいつまで続けるというのだ』
「冗談。わざわざ自分の首を絞めてどうする。追い詰められているわけでもないのに」
そもそも、それらを操る張本人が躊躇う素振りも見せなかった。
ヘレンやユッカたちへ差し向けていた子分が止められたにもかかわらず。
別物だという予測は、やはり正しかったのだろう。




