第452話 そろそろ、この町を
「しかし……そうですか。そろそろ、お二方もこの町を去られるかもしれないのですね」
いつも通りの美味しさを味わっていると、ふと、厨房の方から名残惜しそうな声が聞こえた。
ナターシャさんもおらず、今晩は完全な貸し切り。
どこからともなく聞こえてくる笛の音色に紛れて、そんな声が聞こえてきた。
理由など考えるまでもない。
店主さんの言葉が答えだった。
「ストラで待ってくれている人達がいますから。……それに、そろそろ家のベッドが恋しくなってきてしまって」
名残惜しさのようなものは、俺も感じていた。
とはいえ、さすがにいつまでもこの町に滞在するのは難しい。
……サーシャさんが来ているそうだが、どんな状況になっているのやら。
「でしたら、急ぎませんと。ここからストラまでとなると、時間もかかるでしょう」
「まったくです。一気に飛んで帰ってしまおうかと思うくらいには」
「またまた、ご冗談を」
店主さんが言った通り、もちろん冗談。
実際にはやらないという意味で。
飛んで帰れるのなら帰ってしまいたいが、生憎まだその手の許可は取れていない。
……この店主さんに飛ぶところを見せたらどんな反応をするのやら。
「ただ、おそらく……町を離れるのは別々のタイミングになると思います。実はもう一つ、依頼を受けている最中でして」
「おや。でしたら、まだ休んではいられませんね」
「はい、お願いしますね」
話をしているうち、皿は空になっていた。
これで明日からも動けるというもの。
とはいえ、内容的にさほど時間はかからないだろう。
俺がこの町にいる時点で目的を達成できているのだから、内容自体は何でもよかったのかもしれないが。
「では、私からも。――こちらを、お願いいたします」
何にせよ、休む前にもう一つ、やっておかなければならないことがある。
「……そのために引き返してきたの? わざわざ?」
思わず、彼に聞き返した。
キリハが持って来たカゴを見れば見るほど、不思議で仕方なかった。
「わざわざ、なんて言われるようなことじゃありませんよ。ほんの少し寄り道をしただけなんですから」
「……ここからあの店まで、それなりにかかる筈だけど」
「ですから、言う程でもありませんってば。現にこうして戻ってきたじゃありませんか。俺が」
「どうだか……」
また来ますから、と言って部屋を出たのはついさっきのことだった。
もう、外も明るくない。
戻って宿で体を休めてた方が、絶対にいい。
(……そのくらいのことはさすがに分かってるって、思ってたんだけど)
――『いざとなったら夜にでも』
――『大丈夫ですよ。これでも自分の限界くらいは分かっていますから』
――『俺のどこにそんなお行儀のいい要素があるんですか』
……そうでもないか。
これまでの言動を振り返ってみると、むしろ逆だった。
どうして自分が最初にあんなことを思ったのか、不思議になるくらい。
(あり得ないくらいに、無頓着……)
自分のことを後回しにしておいて、代わりにこんなことをするなんて。
だから『心配をかけたくない』と思うことはあっても、自分のことを案じないのかもしれない。
(……苦労しそうね。本人がこんな調子だと)
私たちは勿論、[イクスプロア]も。
彼の手を借りることになるのは多分、戦闘が絡んでくる状況。
そうなったら、きっと同じような行動に出ると思う。
しかもそのまま突破してもおかしくなかった。
(……能力の高さが本当に厄介ね)
普通なら無理だって諦めそうなところで、諦めない。
今回だってそう。
自分の依頼が軽いからって、結局、リリの探し物の他にも次から次へと手を出した。
……そんなことばかりしてたら、いつか自分に返ってきそうなものだけど。
「心配性ですね。ナターシャさんは。こんなことまで気にしていたらそれこそ疲れかねませんよ?」
「そう思うなら行動を改めて」
「ではまず、ナターシャさんにお手本を」
「……どうして私が」
どうしてそこでそうなるの。
彼は真顔で言った。
私に『疲れかねない』って言った表情のまま、言ってきた。
(……どうして、私が)
意味が分からない。
言って納得するとは思ってなかったけど、こっちにつき返してくるなんて。
「ナターシャさんだって人のことは言えないでしょう。自分が倒れたばっかりなのに、そんな心配ばかりして……。ナターシャさんこそ、もう少し他のことを後回しにするべきでは?」
「……。…………私はいいの」
「そんな無茶苦茶が通って堪りますか」
……思ってたより、普通の理由だった。
てっきり、また躱すために言ったと思ってた。
この町にいる間だけでも何回も聞いたから、そうだとばかり思ってた。
(……まさかここまで心配するなんて)
自分のことを後回しにして。
「だって、あなただって言ったでしょう。言う程でもないって。私も同じよ」
「ああ……やはり今日はゆっくりお休みになってください。言っていることが滅茶苦茶ですよ。さっきから」
「なんですって」
「俺は客観的な事実をお伝えしたまでのことです」
――どこが?
やっぱり、違った。
ちょっとでも納得しかけたことが失敗だった。
どうして言い返しただけで病人扱いをされなきゃいけないの。
「……本っ当に、生意気……」
「えぇ、まあ。おかげで師匠にも毎日のように折檻されましたよ。ははは」
「笑いごとじゃないでしょ」
しかも、訊いてもないのに、そんなことを言い出した。
……それでも矯正できなかったんだから相当ね。
「別にそんな、命の危機に瀕したわけでは――……まあ……ギリギリないと言えないこともないでしょう。おそらく。……いざとなれば元凶がどうにかした筈ですから」
「普通は命の危機になんてならない筈だけど?」
「そちらはそちら、うちはうちですから」
「そんな馬鹿な話が……」
さっきから、どこまで本気なのかも分からない。
リリにはあれだけ優しくできるくせに、どうしてこうも――
「まあまあまあ、その話はまたいつか。ひとまず今は、美味しい料理を食べてたっぷり栄養を取ってください。さすがに邪魔はしませんから」
「…………そういえばそんな話をしてたんだったわね」
……忘れてた、わけじゃないけど。
後回しになったのも、仕方ない。
キリハがおかしなことばかり言うんだもの。




