第424話 深夜帯
「もうかなり暗いですから、よくよく注意してくださいねー?」
ありがたい忠告に会釈で返しつつ、外へ。
未だに身体がこの辺りの空気に馴染んでいないのか、さっきから風が冷たくて仕方がない。
ここ最近はしかるべき時間に寝ていたから、そのせいかもしれないが。
(ナターシャさんに知られたら今度は何を言われるやら)
苦笑はしても、足は止めない。
あの人のことだ。呆れるだけではきっと終わらないだろう。
もちろん、協力云々を抜きにしても。
(……まあ、その辺りはバレないように上手いこと立ち回ればいいとして)
刹那の不安を投げ捨て、周囲の様子を確かめる。
門番の彼が言った通り、あたりは真っ暗。
とてもじゃないが、探し物に出掛けるような時間ではない。
「――つまり、そこまで分かっていながら外に出たということですか」
例によって物音ひとつ立てることなく姿を現したイリアの指摘は、もっともなものだった。
「あのペースだと何日かかるか分からない。長引かせるのはあの子に悪いだろう」
「では、そんなあなたに私から提案が」
「全身全霊で却下」
だが、その提案を受け入れようという気にもなれなかった。
これ以上は行動を共にする必要はないと、そう言いたいのだろう。
ナターシャさんとのやり取りが致命的な遅れを生んでいるわけではないと分かった上で。
「いくらなんでもそういうわけにはいかないだろう。……正直、イリアの言い分も分からないでもないが」
「答えは出ましたね」
「ああ。ひとまずは現状維持で」
急ぎはしても、焦るべきではない。
一人に――なんて言うと、また誰かさんが文句を垂れそうだが――なったからと言って、見つかってくれるわけでもない。
「……そう言うと思いました」
イリアもため息こそついていたものの、落胆した様子もなかった。
「悪い。心配してもらったのに」
「構いませんよ。それがあなたのいいところでもありますから」
代わりに小さく微笑んで、イリアは半歩先を行く。
イリア自身が言ったように、予想通りの内容だったからだろう。
本気で単独行動するべきだと思っているなら、わざわざあんな言い方はしない。
「それにしても、解せませんね。何故あれほどまでに固執するのか」
「しかも、自分が上だと主張するためでもない」
「どうやらそのようですね。その点だけは評価してもいいかもしれません」
「いいや、全く。これっぽっちも」
……今の言葉も冗談半分だと思いたい。
「何も全力で否定することはないでしょう。私なりの率直な評価なんですから」
「いくらなんでも率直すぎる」
さも当然のように言うから性質が悪い。
客観的だの、冷静な評価だのと言い出しかねない。
どこまで本気で思っているかはさておき。
「それは仕方がありませんね。他に評しようがありませんから。何か問題でも?」
「少なくともそこで開き直るのは大問題だろう、どう考えても」
ナターシャさんの能力を低いと思っているわけではない筈。
原因は別のところだろう。
具体的にはさっきまでの態度とか。
「あれの肩を持つ必要はないでしょう。あれだけ聞いておきながら、いざ自分が聞かれる側に回った途端に口を噤んでしまうのですから」
「……あの人に対する印象が一分一秒単位で悪い方に更新されているのはよく分かった」
町に戻った後も様子に変化はなし。
同席を却下しなかったことにむしろ驚かされた。
おかげで『』――昨日も寄らせてもらったあの店――のご主人にも、不思議そうな顔をされてしまったが。
「むしろあなたが気を使い過ぎなんですよ。知名度の差など些細な問題ではありませんか」
「誰が今さらそんな程度のことで……」
イリアのことだ。その辺りも見ていただろう。
その口調はどこか窘めるようにも思えた。
とはいえ、それも一瞬のこと。
「今さらではないでしょう。むしろ以前のあなたの方が気にしていませんでしたよ、桐葉?」
「失礼な」
何が楽しいのか、くすくすと笑う。
それはもうよくご存じだろう。
中学時代、組織の拠点にた時間の俺を間近で見ていたのだから。
「とはいえ、確かに……あなたに対する認識は少々歪んでいると言わざるを得ませんね。寝首をかくような人でないことくらい分かるでしょうに」
「そういう風に割り切れない事情でもあるんだろう、何か。それが何かはともかく」
「むしろ自分の首を絞めているようにも見えますが」
イリアどころかアイシャ達よりも付き合いが浅いのだから、その辺りは仕方がない。
イリアは諸々の状況も踏まえた上で言っているわけだが。
「それより、問題はあの人の支援者だろう。……どこまで知っているのやら」
「面倒な追いかけでないことを祈るばかりですね」
ナターシャさんの態度が、何割かは件の支援者のせいだということも含めて。
イリアが心配しているようなことはないだろう。
またあの男のような存在だったらと思うとうんざりしたくなるもの分かる。
「困ったものです。あなたをまたしても戦いに駆り立てようとするなんて」
「ヘレンが聞いたらまた頭を抱えそうな話だ、まったく」
「やはり暴走しないように首輪でもつけておきましょうか」
「絶対にヤメロ」
何が『やはり』だ。
「冗談ですよ。私としても、あのような展開は本意ではありませんから」
「その地獄の番犬がつけていそうな首輪を持っていなければ少しは説得力もあったんだがな」
ナターシャさんが着けているようなチョーカーであれば、少しは可愛げもあっただろうに。
「あら、ただのアクセサリーですよ? 私は身に着けようとは思えませんが」
「麻酔効果を備えたアクセサリーがあって堪るか」
勿論、よろしくない昨日は全て削ぎ落とす前提で。
「こんな物の話はいいとして」
さすがに本気で着けさせるつもりはなかったのだろう。
ため息交じりにイリアが手を離すと、凶悪な見た目の首輪はたちまち消えた。
「気を付けなさい、桐葉。あなたが思っている以上に厄介な展開になることも十分に考えられますから」
「だろうな。わざわざ外部からの助けを求めるくらいだから」
それも[ラジア・ノスト]のナターシャ・ロクアニク・ソーアリッジが。
並大抵のことでないのはなんとなく分かる。
少し用心し過ぎなくらいでちょうどいい。
「……あなたはあなたで、あれの能力を過大評価しているようですね」
イリアには今度こそ呆れ気味に言われてしまったが。
「そうでもない。イリアも見ただろう? “首長砦”を落としたあの一撃を」
「いえ、全く。あなたの様子を見ていたので」
「嘘をつけ」
たイリアは、ため息をついた。
「間近で見たあなたなら、理解している筈ですよ。あれが抱えている問題点を」
「まあ、それなりには」
一目見てわかる程度の範囲ではあるが。
「いざという時のことを考えるのであれば、見くびるべきではありませんが……警戒しているようにとられかねませんよ。過剰な評価は」
イリアの言い分も、正直分かる。
あちらの警戒心の一部が、俺のこういう言動に起因していることも、なんとなく。
「あなたがあれに敗れるなど万に一つもあり得ないとは思いますが」
「自分で作ったまじめな雰囲気を自分で壊してどうする」
「せっかくのあなたとの時間を他の誰かの話だけで終わらせたくないからに決まっているでしょう?」
そんな話をしていたにもかかわらず、何のためらいもなくイリアは言った。
それはそれは清々しい表情で言いきった。
しかし、それにあれこれ言っている場合でもなかった。
「……ところで、桐葉?」
「分かっている」
――茂みの向こうの、妙な気配。
楽しいお喋りの時間は早くも終わりを迎えたようだった。




