第411話 発言を覆して
想定外だった。
仲間達にも多くを語っていないらしいキリハの口から発された言葉とは信じがたい。
まさかそんなことを言い出すとは、夢にも思っていなかったのだ。
「……あの子の失くし物は、どうするつもり?」
対して、ナターシャは先の少女の存在を持ち出し待ったをかけた。
関心がないわけではない。
またとない好機とさえ言える。
ただ、あまりに唐突な提案に、安易に頷くことなどできなかった。
「探すつもりなら、まだ戻らない方がいいと思うけど。まだこんなに明るい時間なのに」
「いざとなれば夜中でも」
「そんなことは言ってない」
まして、これだ。
これ空真面目な話をしようとする者の態度ではない。
このような姿を見せられては、なおさらキリハの言葉を鵜呑みにはできなかった。
「冗談ですよ。勿論こっちを止めるつもりはありません。ナターシャさんが片手間でもよければ、ですけど」
そのキリハはといえば――ナターシャの態度を見てか、小さく肩をすくめた。
自らの言葉を証明するかのように、彼の手は動き続ける。
ナターシャの視界の端で、小さな光が何度も舞っている。
「作業の間、気を紛らわせたいのね。つまり」
「そう思ってもらって構いませんよ」
ナターシャの方へ何度か視線を向けてはいたものの、彼の動きが鈍ることはなかった。
リリと名乗る少女が失くしてしまった、母親からの贈り物。
それを見つけようとしているのは、確かだった。
「何にせよ、ナターシャさんだけが得をするということはありませんから。安心してもらっていいですよ」
翼の模様が描かれたグローブは、仕舞われていた。
鞘の先端が地面を掠めることもない。
少女に話しかけた時のように姿勢を低くしたまま、彼は自らの手の感触を頼りに探していた。
「今のその言葉で一気に安心できなくなった」
「それでも、唐突に喋り出した違和感くらいは消えたんじゃないですか? 昔のこと」
そんな中、何食わぬ顔で彼が口にした言葉に、ナターシャは思わず言葉を詰まらせてしまった。
「……気付いてたのね」
「さすがに、そのくらいは。自分自身が覚えておけばいいと言った件もありましたし」
わざわざ掘り返すようなことを――そんな言葉は、ひとまず呑み込んだ。
もしその件を指摘したとして、その程度のことでキリハが発言を撤回することはないだろう。
それでも、あえて言わないことを選んだ。
理由はひとつ。他でもないナターシャ自身が、あの時のことを思い出したくはなかったからだ。
「発言そのものを撤回するつもりはありません。が……俺のことで悩まれているのなら、それはそれで申し訳ないので」
「やけに今日は気を遣うのね。私を相手に」
「失礼な。俺はいつでもこうですよ。迷惑をかけるのは本意ではありませんし」
「……それなら、発言を撤回したくなるようなことを言わないでくれる?」
およそ本気とは思えない言葉に、ナターシャは溜息を隠す気にはなれなかった。
とてもそんな風には思えなかった。
発現の内容のそのものは勿論、彼の態度がそう感じさせた。
(こうも調子よくしゃべられると、こっちの調子が狂いそう……)
仲間との和解がこうも影響するものなのかと思うと、二度目のため息は重みを増した。
「そういうのは[イクスプロア]でやって。付き合いきれないから」
「やりません。冗談を言い合うくらいのことはありますけど」
「……さっきは『いつもこう』って言ってなかった?」
出まかせばかり言っているのでは――そんな、呆れるしかない予感が一瞬過った。
ナターシャとキリハとの間に、認識の齟齬はない。
そんな中でキリハは、先程の発言を覆すようなことをのたまった。
眉間に皺を寄せるなという方が無理な話。
そんなナターシャに、キリハは。
「ナターシャさんのような警戒をしているわけではありませんから」
そんな風にされたらそれはそれで困ると、肩をすくめながら言った。
間違いなく、キリハにナターシャを非難する意図はない。
一瞬だけ振り返った彼の表情は、ナターシャの目からもそんな風には見えなかった。
「アイシャ達にするのと同じようにナターシャさんに接するつもりはありませんし、逆もまた然りです。そういうものじゃないですか。人付き合いなんて」
「それもそうね。……まさかこんなところで説教されるとは思わなかったけど」
「いえいえ、そういうつもりではなく」
そう言いながら、キリハは生い茂った緑の中から顔を出した。
頭に乗った葉を払い落し、普段にもまして跳ねた髪を整えナターシャの方を向き、
「そういう風に過ごしていく中で出来上がったのがコレだという話ですよ」
自信があるのかないのか、曖昧な表情で自らの胸を小突いた。
……頭に、葉の飾りをちりばめたまま。
しかもそれに。気付いた様子はなかった。
(……はぁ)
何をしているのかと、内心呟く。
どちらに向けたものだったのか、ナターシャ自身にも分からない。
ただ、身体の中から力が抜けたのは間違いない。
予想外に間の抜けた姿を見せられて、追求しようという意思はたちまち薄れた。
「……格好をつけるなら、ちゃんと葉っぱくらい落したら?」
「別に、格好をつけたつもりは――いえ、落とします。落としますよ。今すぐに」
「いいから。別に」
「よくはないでしょう。これっぽっちも」
頭を何度もはたくその姿が、どうしてもナターシャには演技とは思えなかった。
「…………」
そんな彼の方へ、自然と手が伸びた。
「そうじゃない。とってあげるから、じっとして」
「……。…………お願いします」
キリハが迷ったのは、ほんの一瞬だった。
観念したようにその手を下ろし、されるがままに受け入れた。
(なんなの……一体……)
やはり、ラ・フォルティグと激闘を繰り広げた魔法使いと同一人物には見えない。
「……こんな体勢で話すのも、どうかと思いますけど」
キリハが続きを切り出したのは、頭の葉をナターシャがすべて取り除いた後だった。
「――戦いに関わる前は勿論、関わってからもそうです。俺にとってはどちらもなくてはならないものでした」
一方で、衝撃的な出来事は戦いに関わってからの方が多かったことを彼は認めた。
それが当たり前だと、ある種の諦めを抱いてもいた。
「――そんな戦いの中で知り合った人達も、一人ひとりがそれぞれ戦う理由を持っていました。どのようなものであれ、何かしら」
かつての戦いがなければ知り合うことすらなかった人でもあったと、目を伏せたまま付け足した。
同じ集団の一員として連携を取ることも間々あった、と。
「――当時の俺達から見た敵勢力も、そうだったと思います。それがあること自体を否定するつもりはありません」
どこか確信を持った様子。
しかし、その内容までは肯定していなかった。
交流の浅いナターシャでさえはっきり感じるほど、雰囲気ににじみ出ていた。
「さっき、正義の味方なんてとんでもないという話をしましたよね」
「……当時の知り合いが聞いたら、一蹴するような話」
その答えに、キリハは小さく頷いた。
「それもこれも、戦う理由が戦う理由だったからなんです。世界を守りたいだとか――そういうものばかりではありませんでしたから」
自身がどうか、その場では明言なかった。
ただ、キリハもまたそうだったのだと、彼の雰囲気が語っていた。
「…………あなたが生まれ育った世界も、大変だったのね……」
そんな言葉をナターシャがこぼしてしまったのも、そんな彼の雰囲気に当てられたからだった。




