第377話 誤解は重なり
「どうしちゃったの、キリハ君。魔力を暴走なんて、いくらなんでもらしくないミスだよ?」
なるほど、魔力の暴走。
確かにそういう風に見られてしまってもおかしくはない。
「いや、違う」
だが、そうではない。
「魔法に見えたかも知れないが、さっきのあれは似て非なる別物だ。魔力のような使い方ができるものじゃない」
体内の魔力が少しやんちゃをしただけならどれだけよかったことか。
俺の魔力の暴走など、意図的なものでなければたかが知れている。
以前のような危険性もない。
意識さえしていれば、問題なく抑えられる。
「それは、どういう……?」
言葉だけを聞いても、意味不明な状況。
それを一番最初に言葉にしたのがトーリャだったというだけで、皆も何かしら思うところはあっただろう。
不思議そうな顔を見ればさすがに分かる。
「具体的にこういうものだと説明するのは難しい。魔物との戦いで頼るようなことも……ないだろうな。きっと」
だからこそ、説明できないこの状況が歯がゆかった。
全てを説明しようと思うと、あの話にもこの話にも触れなければならない。
俺としても気軽に話すことのできない内容が、いろいろと。
「? どういうことだよ。使っても意味がないってわけじゃないんだろ?」
「いや、それが一番近い。故郷の状況が少しばかり特殊だっただけだ」
ソレが必要となるような状況を作り出さないのが大前提。
俺個人では限界がある。
大多数にとって『そこまでする利点がない』だけで、お構いなしの輩には効果がない。
「でも、その割にはなんかすごい反応してなかった? あんな顔して実は何もありませんでした――なんてことはないと思うんだけど」
「おかげでまーた部屋に戻っちまったじゃねーですか。もう少しくらい説明しろってんですよ」
そんな曰く付きの代物が、真っ当な筈もなく。
「これから先、二度と使われることのないものだと思っていたからだ」
より正確には、自分にそれが向けられることはないだろうと思っていたから。
「あいつにとってもいい思い出のある代物じゃない。……どうしても、思い出すんだろうな。色々と」
少なくともあの時、ヘレンが浮かべたのはソレだろう。
驚きの中に怯えが混ざり込んだ、あの態度。
口が裂けてもいいことなどとは言えないが、間違いない。
そんな話を聞けば、皆の顔つきが険しくなるのも当たり前のことだった。
「それが分かってる、なら……どうして使った、ですか? ヘレンさんが嫌がること、キリハさん、なら」
「ああ、もちろん。俺だってあいつに嫌がらせをしたいわけじゃない。……そこがこいつの厄介なところだ」
実際にはヘレンが思い浮かべてしまったソレそのものではない。
そのものであれば、この程度では済まされない。
「自動防御――……いや、本能的な反射でしかないか」
しかしながら、あの時の稲光にそれが全く関わっていないというわけでもない。
「とにかく、ほとんど制御下に置いてもどうにもならない部分がある。今回のはまさにそれだ」
もしそうなってしまったら、イリアでさえ同じように誤解をしたかもしれない。
もっとも、万に一つもあり得ない話。
今回の件がなければ何の躊躇いもなくそう言い切れるようなものだった。
「本来であれば、反応するのは敵対する意思を持った相手だけだ。その中でもごくごく一部に限られる」
「じゃあ、そのごく一部の中にヘレンさんがいるって言うんですか? そんなことなさそうですけど……」
ユッカが疑問に思うのも当たり前。
ヘレンとの間にトラブルが起きるたびにこうなっていたら、今のような関係さえ残らなかっただろう。
関係を続けるという選択肢が残されていなかっただろう。
「ああ。あってはならないことだ。たとえどんな理由があったとしても」
俺自身、そんな結末を望む気はさらさらない。
その意識は今でも変わっていない。
ちょっとやそっとのことで今さら変わってしまうというのもおかしな話だ。
「そんな風に思ってたのに駄目だった、ですか」
「現状、そうとしか言いようがない。この前までは何ともなかった筈だが……」
だからこそ、俺自身にも分からなかった。
あんなことが起きてしまった理由を断定することができなかった。
「それって、ヘレンさんが部屋にこもりがちになる前のことなんですよね。だったら、部屋でやってることが理由なんじゃないですか?」
「ない、とまでは言えないが……」
果たして、そんなことがあるだろうか。
確かにあり得ない話ではない。
そしてそれは、ヘレンがヘレン以外の誰かの手を借りているということにもなる。
普段のヘレンであれば、その程度の事はすぐに気付くだろうが……
「そうだ、ユッカ。ユッカは何か聞いていないか? ヘレンが部屋で何をしていたのか」
「なにをって……。…………なんでしたっけ?」
「マユに訊かれても分かんない、です」
誰かに、全部話せるようなものならそもそも隠したりはしない、か。
誰が相手であっても同じこと。
対象を記憶させないようにするくらい、ヘレンにとっては朝飯前だろうから。
「分からないと言えば、いきなり帰ってきたのも謎だよねぇ。飛び出す勢いで出掛けて行ったのに」
「腹でも空かしてたんでしょーよ。この前だって料理の匂いに釣られてたでしょーが」
「釣られたわけではないと思う、ですよ?」
そちらに関しては、やはりイリアが関係しているのだろう。
(イリアの結界を強引に突破しようとして、あいつがすぐさま解除をしても間に合わなかった……。……いや、それでもアレが反応する理由にはならない)
底なし沼に引き摺り込まれて行くかのような気分。
考えれば考えるほどに分からなくなる。
「そーだ。そいつが何か作って持ってきゃ少しは話も出来るんじゃねーです? 好きなもんでも作ってさっさと持ってけってんですよ」
「さすがにすぐは無理だろ……。さっきのを見て、びっくりして部屋に戻ったんだからさ」
(好物。好物か……)
そのくらいはさすがに覚えている。
そういう話をする機会もすっかり減ったが、好みが大きく変わっていないことくらいは知っている。
「あの、キリハさん? まさかほんとに作るつもりですか? そのくらいじゃさすがにヘレンさんも……」
「いいから、そのまま好きにさせとけです。いつものヘンテコ調味料なんか突っ込んだらさすがにあいつもキレるですよ?」
「へんてこってなんですか、へんてこって!?」
こちらでも近いものは作れるだろう。
全く同じ食材を揃えられるなんて思っていない。
この世界へやってきたその日には分かっていたことだ。
ただ。
「……その前に、少し片づけをしておこうか」
直接的な被害はなくても、ちょっとした騒ぎにはなるだろう。
「それならマユがやっておく、ですよ? あんまり遅いとお店も閉まっちゃう、ですし」
「ありがとう。気持ちは嬉しいが……台所じゃないんだ」
扉を開けた、更にその向こう。
町のあちこちからヘレンの力をはっきりと感じる。
「…………どうなってるんですか、あれ?」
闇に染まりつつある空。
そこに、本来あるはずのない円状の何かがぼんやりと浮かんでいた。




