第360話 帰ってみると
「二人とも、おかえりっ」
――扉を開いてすぐ、声が聞こえてきた。
迎え入れてくれる声に、思わず頬が緩んだ。
ストラへ戻ってきたその足で依頼の報告は済ませた。
これまでのように協会でたむろする必要もない。
「ああ、ただいま。アイシャも元気そうで何よりだ」
「もう、大袈裟だよ。何日も空けてたわけじゃないのに」
住まいを移してからというもの、それぞれが個別に動く機会も増えた。
今回、俺とユッカだけで依頼を受けに行ったのもそう。
これまでもやろうと思えばできたことだが、やりやすくなったのも本当。
体感的なものもあるだろう。
それから、比率の問題も。
以前と比べて顔を合わせる場面も増えた。
アイシャやマユとの間でさえそう感じることがある。
相手がユッカやリィル、レイス達となればそれ以上になるわけで。
「嘘ついてんじゃねーですよ。昨日なんてずっとそわそわしてたくせに」
「へ?」
……おまけに、そのちょっとした余韻に浸る暇があるわけもなく。
声が聞こえてきたのは、リビングに置いたやや古めかしいソファの方。
首から上だけをイルエはこちらに向けていた。
「だよねぇ。キリハ君の部屋の前にいた時はどうしようかなって思ったけど」
「えっ……え??」
いっそ、聞こえなかった振りをしてこのまま部屋に戻ってしまおうか。
一瞬浮かんだ姑息な手段を頭の隅へと蹴り飛ばして、奥を見る。
休憩時間を満喫していたであろうレアムとイルエを見る。
間違っても、戸惑うアイシャとは目を合わせることの無いように。
「待って。ちょっと待って? イルエちゃんもレアムちゃんも、なんで知って……?」
「なんでも何もないよ。キリハ君達が出掛けた後のアイシャちゃんを見てたら……ねぇ?」
「隠したいなら次はもう少しなんとかしとけってんですよ」
「…………ぁう……」
……気の毒に、顔から湯気が噴き出しそうな勢いだった。
レアムもイルエも、半分はからかい目的。
残るもう半分は……おそらく呆れ。
放っておけば更に色々と掘り起こされるだろう。
俺が想像もしていないようなことが、更に。
「そこまで。……何もなかったのならそれでいい」
何やら気になる話が聞こえてきたが、それはそれ。
この場で確認するような事でもない。
これまでにもそういう機会はあったというのに、アイシャも一体どうしたのやら。
レアムもイルエも、まさか見張っていたわけではないだろう。
落ち着いた日々が続いてはいるものの、持て余すほどの暇はない。
「まあ、あれ以上はさすがにねぇ。出かける前に厄払いも済ませてくれたみたいだし」
「厄介払いの間違いだろう」
それはもう、色々と。
シャトさんが次は平和な帰宅を望んだ気持ちも正直分かる。
呼び出すだけ呼び出して、帰し方が分からないなど迷惑な話。
巻き込まれた妖精と同じ境遇に立たせてやればさすがに分かるだろうか。
「その反応、もしかして出た先でも何かあった? いつもみたいに」
「あって堪るか。精々、帰り道で魔物を見たことくらいだ」
「それも結局キリハさんがすぐに倒しましたけどね」
なかなか逃げ足の速い魔物だったが、そのくらい。
協会によると、変異種でもないそう。
やはり、あるべき姿に戻りつつあるとみてよさそうだ。
「そういう話なら後でいいや。困るようなこともなさそうだし。キリハ君もユッカちゃんも二回話すのは手間でしょ?」
「話すようなこと、他にもうないんですけど」
「そういうことだ。二回だろうと一〇回だろうと変わらないような話しかない」
何か珍しいものを見つけたというわけでもない。
お土産になりそうないい話でもあればよかったが。
「――ヘレンも。何か気になったことは?」
ないだろうとは思いつつ、視線を上に向ける。
部屋から出て来たばかりなのだろう。
しかも、足音がいつになく重い。
「ふぁ……。そういうのは後にしてくださいよぅ……起きて来たばっかりなんですからね……?」
「どんな生活してるんですか」
――……何か、あったのか?
その言葉に嘘が混ざっていないのは、すぐに分かった。
だからこそ違和感も大きかった。
あのヘレンが、正午も過ぎたこの時間に瞼を擦っていた。
「まあまあまあ。ほんとのほんとに何にもありませんでしたよ? そんなに警戒することないですって」
「じゃあどうしてこんな時間まで寝てたんですか」
「えっ……」
かつてない異常事態。
イリアからのメッセージはないが、不安も募る。
「な、なんですか。どうしたんですか。急に。変なこと聞いたわけじゃありませんよ?」
「いや、プライベートな情報は、さすがにちょっと……」
「ヘレンさんにだけは言われたくないんですけど!?」
いつもと比べて、テンションも低い。
普段と同じように聞こえる声。
しかしやはり、どことなく覇気がない。
タイミングよく現実に復帰して呉れたアイシャに、こっそり顔を近づける。
「(……ヘレンは、俺が出てからずっと?)」
「(そんなことはないと思うけど……昨日も一昨日も、私より先に起きてたくらいだし……)」
魔力の調整もちゃんとやってくれたと、アイシャは言う。
徹夜してその時間まで起きていたのかと思えば、そうでもなく。
昼にも夕方にもくつろぐヘレンの姿は見たと言っていた。
「眠いならもう少し休んできたらどうだ。お前だって体力が無限にあるわけでもないだろう?」
「だから今日はこの時間まで寝てたんですってば……。ふぁ~あ……」
「全然足りてないじゃないですか」
――……おかしい。
イリアが大きな異変を見逃す筈はない。
しかしどう見ても、ヘレンの様子は普段と違っている。
台所へ向かう足取りも、明らかに重い。
それなのに、手を貸そうとすると断ってくる。
「だ、大丈夫かな……? なんか、疲れてるみたいだったけど……」
「珍しいですよね。いつもはもっと余裕ありそうな顔してるのに」
「元気があるとかじゃなくて……?」
――原因を確かめる間もなく、ヘレンは再び部屋に戻ってしまった。
ユッカ達も、違和感を覚えたのだろう。
視線は自然と、二階に向けられる。
「でも確かに、疲れてるところを見たのは初めてかも。キリハ君だってこの前は疲れたような顔をしてたのに」
「何故そこで俺を引き合いに出す?」
「ここにいる中で一番体力があるからだよ」
イリアに訊ねてみても、やはり不明。
命に関わるものではないということしか分からない。
「なあ、アイシャ。最近何か、気になることはなかったか? どんな小さなことでもいい。やたらとカシュルの値段が高いとか」
「そういうのは思うよ? 昨日もリィルちゃんと買い物に行ったけど……うん。いつも通りだったと思う」
「すまない。カシュルの価格はたとえだ。それに限った話じゃない」
昨日まではいつも通り。
それが今日になって突然。
「レアムも、イルエも。何か、思い当たるようなことは」
「そんなこと言われてもなぁ……。二人がいない以外は基本的にいつも通りだったし」
気性が遅い事には皆も気付いていたらしい。
朝呼びに行った時は『後で行く』と返事があったそう。
「強いていうなら、キリハ君とユッカちゃんが帰って来たことだけど」
「俺達のことをなんだと思っている?」
「そーですよ。何かあるとしたらこいつだけでしょーが」
「そうじゃない」
見かねたリィルが届けた食事も、寝ぼけながら受け取ったと教えてもらった。
不定期的に起こされたとも考えられるが……きっとそれだけではないだろう。
「本当に心当たりがないんだよねぇ、全く。そういうキリハ君こそ何かないの? 昔からの仲だって言ってたけど」
「離れている間のことはさすがに」
……少し、夜に探ってみようか。




