第336話 父の帰宅-⑩
「むぅ~……」
帰宅し、席に着いても、アイシャの様子は相変わらずだった。
正面に座る母へと、その隣の父へと半眼を向けている。
そんなアイシャの隣にキリハやマユの姿はない。
それがいっそう、アイシャの釈然としない思いを強める。
「もう、むくれないの~。言わなかったのはキリハ君達の責任じゃないって言ったでしょ~」
「……むくれてないもん」
今日、キリハとマユは宿に泊まる。
驚きが抜けきった今、決して小さくない不満がアイシャの中にはあった。
そのことをアイシャが知らされたのは、帰宅した後。
リィルとユッカに促されるまま先に一人で帰宅し、それからようやく知ることとなった。
(ああ言ったってことは、知ってたんだよね……ユッカちゃんも、リィルちゃんも)
買い出しに戻った後、キリハ達の態度に違和感を覚えなかったわけではない。
その原因はアイシャも薄々ながら察していた。
皆であればという、期待にも似た感情もあった。
しかしまさか、まさかこのようなことになるとは夢にも思わなかったのである。
「キリハ君もマユちゃんも、気にしてたのよ~? 書き置きもだけど~、この果物とか~」
見覚えのあるカゴの中には、いつ用意したのかも分からないカシュルが入れられていた。
キリハ達が用意したという言葉を疑ったわけではない。
しかし、手放しには喜べない。
「……でも、言ってくれなかったし」
「だってアイシャ、言ったら止めるでしょ~?」
「…………そんなことないもん」
「誤魔化したって駄目よ~。見ていればそのくらい分かるもの~」
強く否定することはできなかった。
もし言われたら、きっと止めていたという確信があった。
それでも納得いかないものはいかない。
「んんっ、ん……?」
「あなたもどうかしたの~? まだお腹が空いてなかったかしら~?」
「あぁ、いや……そうじゃなくてね。本当なら、今すぐにでも食べたいんだ。ただ……」
「ただ、なに~?」
しかし、アイシャにとって驚きだったことがもう一つ。
「キリハ君たちの気遣いということは分かったけど……アイナ? その話、どうして今まで……」
「先に言ったら意味がないでしょ~? それに、あなたにだけ教えるのは不公平じゃない~」
父ですら知らなかったということ。
その言葉が嘘でない事は、見れば分かった。
てっきり、父の相談があったのだとばかり思っていた。
「二人とも、分かった~? それじゃあ、いただきましょうか~」
にこやかな、しかし有無を言わさぬ雰囲気の母にはかなわない。
これまでの経験から、その事は身に染みていた。
(でも、キリハ達もいろいろ考えてくれたんだし……いい、よね。うん)
それに、アイシャも――この状況を、嫌だとは感じていなかった。
「……ほんとにうまくいきますかね? あの方法で」
宿に着いても、やはりユッカはそのことを気にしていた。
黙っていたことへの罪悪感も決して小さなものではないだろう。
一足先に休むと言って部屋に戻ったリィルも、それを気に敷いていた。
「俺達にできるのは状況を作ることだけだ。……大丈夫だとは思うがな」
「だといいですけど。なんか、このまま待つっていうのも……」
あとのことはアイナさんにお願いしておいた。
アイシャと入れ替わりに、こっそりアイナさんのところにお邪魔してきた。
あまり俺達が口を出すべきではない。
とはいえ、落ち着かない気持ちも分かる。
「さっきもすごかったんですからね? お父さんは変なことばっかり言って、って」
「ああ、やっぱり。それなら大丈夫だろう。きっと」
「どこがですか!?」
口にすらしないのであればどうしようかと思ったが。
シャトさんもそう。
朝も、昼も、話題は基本的にアイシャに関することだった。
「普段のアイシャのことを思い出したらいい。俺達といる時と、家にいる時。雰囲気も少し違うだろう?」
「……そういうものじゃないですか? 普通」
「そう、その通り。つまりはそういうことだ」
「どういうことですか。ちゃんと説明してくださいっ」
説明と言われても。
こればかりは、ただその通りとしか言いようがない。
アイナさんもいることだし、自然とそういう方へ進むだろう。
そうでなくとも、そちらに軌道修正されるだろう。アイナさんの手によって。
「ちゃんと話せば、きっと元通りってこと、です」
少しばかり押しつけがましい方法ではあったが、それはそれ。
「そんな簡単に行きますかね? ほら、あの……リットさんみたいに」
「待った。さすがにそこを混同するのは」
「それにアイシャさん、もうそこまでリットさんにも怒ってないと思う、ですよ?」
「どこがですか……。この前だって睨んでましたけど」
……なんとなく、現場は想像できてしまった。
まあ、確かにそういう部分はあるかもしれない。
俺にとっては些細なものでも、納得しきれていないのは仕方がない。
「もうそれに関してはいつものことだとしか」
「そうじゃないときもある、ですし」
どちらにせよ、今回とは事情も違う。
……ひょっとすると、その問題もいずれまた再燃するかもしれないが。
「どっちかって言うと、気を付けなきゃいけないのは誰かさんの方ですよねー。険悪ムードから一転!? みたいなの、よくあるじゃないですか♪」
「だ、そうだ。ユッカ」
「どうしてそこでわたしに振るんですかっ!」
どうしてと言われても。どうしても、としか。
「今の自分の表情を見てもらえば」
「鏡ならあっちにある、ですよ?」
「見ませんよっ!」
それは残念。
ついでのつもりはないが、いい機会だと思ったのに。
「そうですよぅ。そうやって話を逸らすの、よくないと思いますよ? ちゃんと現実を見つめましょう?」
「また突き返されたいのか、お前は。自分の言葉を」
「どうぞどうぞ。さっぱり身に覚えがないので痛くもかゆくもありませーん」
全身クリティカルヒットの間違いだろうに。
険悪云々に関して言えば、ヘレンも現在進行形で当てはまる。
それも、アイシャとシャトさん以上に。
「キリハさんとマユはいいですけど、どうしてこの人まで……」
この宿にわざわざ移っておきながら、それに関しては全く触れようとしなかった。
「んもー、またそうやって私のことばっかり。仲良くしましょうよぅ」
「じゃあそういうの止めてくださいっ!」
ヘレンがいままでどことを受かっていたのかは知らない。
ただ、この宿でないことだけは確か。
「大体なんですか。なんなんですか。昨日まで他の宿使ってたんですよね? そっちはどうしたんですか」
「引き払いましたよ? この人達もここに来るならとりあえず合わせとこっかなーって」
「いまさらですか……」
確かにそれも嘘ではないだろう。それだけではないというだけで。
まわりくどいというか、なんというか。
ユッカとは違う理由でため息をつきたくなる。
「もう手続きもしたんですからいい加減に諦めてくださいよぅ。仲間外れはんたーい」
「じゃあ一人でこっそり動くのをやめてくださいよ!?」
おっしゃることごもっとも。
しかしそれを言われたヘレンはと言えば――笑っていた。
「えぇ? それ私にしちゃうんですか? 他に言わなきゃいけない人いると思いますよ?」
「それは間違いない、です」
「ちょっと待て」
何故そこで俺に飛び火する。どうして俺に矛先を逸らそうとする。
「待つも何もないですよねー。事実なんですから。この前のその子だって、どうしたんですっけ?」
「ユッカやリィルといた時だから問題ない。無罪だ、無罪」
「またまたぁ。合流できなきゃそのままいっちゃうつもりだったんですよねー?」
「そのために本来の目的を投げだしたら元も子もないだろうに」
……できることならあちらも片付けておきたかったのだが。




