第332話 父の帰宅-⑥
不思議な雰囲気を纏う少年だった。
散歩をしようと誘った少年の後ろ姿を見ながら、シャトは「不思議だ」と再び心の内で呟いた。
身長は間違いなくシャトよりも低い。
年齢を考えれば抜かれていてもそうでなくても、おかしな話ではない。
しかしその背中は、大きかった。
シャトより年上の、アーコの警備隊を取りまとめる人物よりも大きく思えた。
落ち着いてはいるが、それだけではない。
大人びた姿を見せたと思えば、意外にも子供らしい反応を見せる。
そしてひとたび戦いとなれば、どちらでもない。
自らのやるべきことを定め、時に冷酷とも言える態度で臨む。
キリハの戦いぶりは、ガルムから教わった話しか知らない。
アイシャからの手紙には『いろいろあった』と度々記されていたものの、その詳細が明かされることは滅多になかった。
語ることのできない何か。
キリハと言葉を交わし、ようやくそれがどのようなものか確信に至った。
一部では、ストラに現れた新星と評される少年。
寝静まったかのように静かでありながら、思わず気圧されそうな魔力。
服の下に隠れた筋肉も、並々ならぬものであることは分かった。
どちらも並の冒険者が持つようなものではない。
(……君は本当に不思議な子だよ。キリハ君)
――およそ公表できないような功績を上げた。その可能性に、シャトは気付いた。
以前、ストラの支部の職員によって引き起こされた魔物の大量発生。
それと同等か、それ以上の事件に際して。
今この瞬間にも、周囲の暗闇への警戒が解かれることはない。
しかしそのキリハは、本当にただ当てもなく歩いているようにしか見えない。
彼自身がかつてガルムに語ったのも全て本当のことなのだと、そんな気がしてならなかった。
そして、そこにあるのは完全無欠の頼もしさなどでは、断じてなかった。
「さすがに、少し冷えますね。どうします? 一旦戻りましょうか?」
凍えるほどの寒さではないが、やはり冷たい。
なにかもう一枚、羽織った方がよかったかもしれない。
あくまで、その程度の確認。ただ、シャトさんにとっては、そうではなかった。
「いや、いいよ。話を聞ける折角の機会だ。少しでも長い方がいい」
「……ご期待に沿えるような話ではありませんよ? おそらく」
「そうかもしれない。それでも聞きたいんだ。僕はまだ、キリハ君のことを何も知らないからね」
アイシャの姿が重なって見えたのは、気のせいではないだろう。
外見的な部分はあまり似ていない。
ただ、紛れもなく親子なのだということは、はっきりと感じられた。
ここに来て待ったをかける理由もない。
そうでもなければわざわざ外に出たりはしない。
「……まずは、分からないと答えた件の続きから話しましょうか」
酔い覚ましなんて冗談はその辺に捨てておくとして、いい加減に本題に入ろう。
「自分の中で整理がつけられていないのは、さっきも言った通りです」
「自分自身の問題が解決していないから、だったね」
むしろ、続きではないのかもしれない。
あんな答えの元にあるものを訊かれているのだから、考えようによっては遡っているとも言える。
そしてシャトさんは、やはり微妙に納得していないようだった。
「アイシャのことを、皆のことを、大切に思っているのは本当です。仲間として、友人として」
「…………」
それが等しく同じものかと言われると、また違う。
そしてその違いは単純な優劣の話でもない。
人と人とのかかわりが全く同じものである筈がない。一人ひとり、相手が違うのだから。
それはアイシャ達も、皆の間にも多かれ少なかれあるものだろう。
「それもこれも『好き』の一つだと強引にまとめてしまえば、最悪片付けられないこともありません。俺から見た、一方的な問題なら」
時として、それもまた確かな一つの結論となり得るもの。
しかし今この場で俺がそう言ったところで、逃げにしかならない。
ラブとライクで言えば、ライクの方。人として好きだとか、友人として好きだとか。
そもそもそれすらなければ関係を続けようがない。
今のこの状況を、ただの事務的な関係なんて思いたくもない。
「……そこまで言うということは、そうでない確信があるのかな? キリハ君には」
「止めましょうよ。シャトさん。今更そんなこと。あなたが一番よく知っている筈じゃありませんか」
たとえ普段は離れて生活していても、親子は親子。
憎悪に近い感情を向けるでもなく、時間を重ね、純粋な愛を育んできた親子。
皆目見当もつかないなんて、嘘だろう。
「……友人や仲間に向ける感情だけでないことくらい、さすがに分かりますよ。俺でも」
さすがに、そこまで否定するつもりはない。
まだ向こうもその正体をはっきり掴めていないだとか、くだらない言い訳をするつもりもない。
分かっていながらあの態度かと言われたら返す言葉もないが。
「きっかけは分かりませんが、そのくらいは分かります。それに対する答えが人としての、まして曖昧な『好き』ともなると……あまり、いい気はしませんね。俺は」
見返りを求めない愛とやらを否定するつもりはないが、それとこれとは別問題。
はっきりとした答えですらない。
見向きもされない相手のために躍起になるのとはわけが違う。
「…………」
「シャトさん? ……少し、話し過ぎてしまいましたか?」
それを聞いたシャトさんは、黙り込んでいた。
俺の言い分に引いたというなら、まあ仕方がない。
しかしそういうわけでもない。どちらかと言えば、驚いたような……
「違うよ。そういういことじゃないんだ。……やっと、キリハ君の生の感情が見られた気がしてね」
「俺の、というか……嫌でしょう。誰だって」
その思いが真剣であればあるほどに。
経験があろうがなかろうが、何かしら感じるものくらいはある。
「僕も気持ちは分かるよ。でも、今の君の表情はそれだけじゃなかった。間違いなく」
「は、はぁ……?」
……今一つ分からない。
生憎鏡は持ち合わせていない。見ようとも思わないが。
自分の顔を見て何が楽しいんだか。
そしてシャトさんはといえば、俺のことなどお構いなしにどんどん盛り上がる。
「やっぱり、キリハ君の中にもあるんじゃないかい? 友達や、仲間に向ける以上の気持ちが」
真面目な話をしている分、無下にもできない。
その言葉に引っかかるものがあるから、余計に。
「……どう、でしょうね。あると言えば……確かに、そうなのかもしれません」
ただ『同じではない』以上の何か。
それがないのかと訊かれたら、きっと首を横に振るだろう。
「ある。絶対にあるよ。今の君を見てはっきり分かった」
「……そういうものですか?」
「うん。間違いない」
何を根拠に。
問い返そうとして、止めた。
そんなことをしてもどうにもならない気がした。
(絶対に、か……)
あれだけはっきり言ったからには、きっと相応の理由があるのだろう。
そんな答えまで求めていてはまた叱られかねな――
「どうしたものか……。せめてもう少し相手の子が少なければなぁ……」
「やめてください。そこでそういう方向に発展させるのは」
……どうしてそうなるのか。
それらしい落としどころくらい、他に幾らでもあったでしょうに。




