第324話 魔法禁止令-⑭
――すれ違いざまに、斬り捨てる。
特別なことなんて、何もしなくていい。
大通りを走り抜ける途中、見つけた魔物に刃先を触れさせてやればそれでいい。
大地を踏みしめる必要も、柄を握る右手に力を込め過ぎる意味もない。
魔物の急所を正確に、それでいて撫でるように、刃を振るう。
景色は飛ぶように過ぎ去っていった。
何日も過ごし、目に馴染んだ筈の町並み。
しかし今、民家の明かりが夜のストラの町を照らし出すことはない。
(こうやって探し回るとなると、さすがに広いな……っ)
たとえ暗闇の中であろうと、ミスが許されることはない。
このような状況だからこそ、いつも以上に凡ミスは許されない。
――逃げようとする人々を魔物から軽く遠ざけ、時には壁を足場に駆け抜けた。
視界に捉えた魔物は逃がすことなく、夜の大通りを突き進む。
間違っても衝突する事のないように、細心の注意を払いながら。
「――ッ、ふぅ……っ。この辺りは、大体片付いたか……」
走り抜けた道を振り返って、ようやく一息。
いくら真っ暗闇の中だろうと、大きな動きがあればさすがに気付く。
散らばった魔結晶は後で協会に回収してもらえばいいだろう。
引き返したところで魔物の頭数を減らせるわけでもない。
それに今は、他に引っかかっていることがあった。
(思っていたより、数が多い……? そろそろケリがついてもいい頃だろうに……)
俺が見つけただけでもおよそ五〇匹。
正確な数が計測されていたわけではないが、それにしても多い。明らかに多い。
俺が一人で見て回っただけでこれだ。
総数は三桁を優に超えるだろう。ここだけに偏っているとは思えない。
しかも、それだけ探して例の妖精とやらは見つからないまま。
見張り台から届けられる指示も、ルークさんに会う前から何も変わっていない。
誰かが見つけたのなら、その時点で指示も変わる筈。
知らせる間もなく行動不能に追い込まれない限り、一声くらいはあるだろう。
「――キリハさーんっ!」
しかし、追加の指示が届くよりユッカとリィルの姿を見つける方が早かった。
曲がり角の向こうから二つの影が走って来る。
今更あの二人のことを見間違える筈がない。魔力を探らなくとも、すぐに分かった。
先にペースを上げたのはユッカの方。
近付くにつれ、その不満そうな顔がより鮮明に浮かび上がってくる。……まだ何もしていないのに。
ただ、心当たりが全くないわけでもなかった。
「どういうことですか、また一人でやろうとするなんて。ちゃんとわたしにも声かけてくださいよっ」
「ユッカ達もいずれは動くと思ったんだ。それなら現地で合流した方がいい」
それに関しては紛れもない本心。
もっとも、ここまで早く合流できるとは思わなかったが。
これだけ騒ぎになっているのだから、気付かない筈がない。
無視を決め込みたくても鐘の音が、叫び声がそうさせてくれない。
気付けば自然と足はそちらへ向かうだろう。たとえ宿で休んでいたとしても。
「それと、今回はさすがに一人じゃない。ルークさん達も今頃町中を探し回っている筈だ」
別れたのはついさっきの事。
少しばかり急いだからか、ルークさんの魔力は随分遠くに感じる。
生憎、ここに来るまでの間に協力してくれそうな相手を見つけることはできなかった。
戻って来た冒険者達も動き出している筈だが、一度も遭遇していない。
ユッカとリィル以外に見たのは、逃げようとしていた人だけ。
「じゃあ、ヘレンさんも? どこにもいませんでしたけど」
「…………どうなんだろうな?」
「わたしが聞きたいんですけど!?」
居場所を聞きたいのは俺も同じ。どれだけ訊かれても、知らないから答えようがない。
それなりの距離を走り回った筈だが、ヘレンの姿は一度も見なかった。
ほんの微かな力の波さえ、感じることができなかった。
いつの間にか現れて、器用に障壁を取り除いてしまう。
そんなヘレンを知っている二人にしてみれば、今のこの状況が奇妙に思えて仕方がなかっただろう。
「言ったって仕方ないでしょ。本人がいないんだから。……それよりキリハ、あんた魔法はどうしたのよ。使ってる?」
「いや、使ってない。というより、使わない方が色々と都合がいい」
こればかりは俺の感覚的な問題でしかないから、説明が難しい。
遠くの魔物の存在を掴むたびに《刈翔刃》を向かわせたところで、他の冒険者を邪魔しかねない。
あの頃と違って、直接戦える者も少なくないのだから。
魔物の所在を探るだけならまだいい。
たとえば、《小用鳥》と魔力の発散をうまく組み合わせるとか。……今は無理でも、いずれは実現させた方がいい。
ただ今は、そんな過去の俺自身が残したツケよりも。
(……さっきのあれのせい、だな。どう考えても)
わざわざあんな言い方をした辺り、相当気にしているんだろう。
俺の言い分に納得していないような態度をとりながら、無視はしなかった。
あのヘレンが、普段の自分でないことに気付かない筈がない。
(問題はその原因も俺にあることか……)
むしろそれ以外に考えられない。
自分の馬鹿さ加減には呆れるばかり。いつものこととはいえ、だ。
コロサハでの解放は仕方のないことだったとしても、思い当たる節が多過ぎる。
あれなんてその最たる例だろう。
何か感じるだろうと思っていた――なんて、言い訳ができる筈もなく。
「……ちょっと? 聞いてる? ぼーっとしてる場合じゃないわよ?」
「ああ、勿論。――見つけた魔物から対処していくしかない」
大雑把な処理はそろそろ十分。そろそろ方針転換が必要な頃。
ここからは、一つ一つの裏道も念入りに調べていくべき。
これだけの数が解き放たれた原因を見つけることはできなくても、意味はある。
「結局、どのくらい出たんですか? わたしたちも五匹くらい倒しましたけど」
「今のところはまだなんとも。さすがにもう百匹は切っていると思うが……」
「ひゃっ……!?」
あの魔道具ひとつでここまで増えたというなら、そういうものだと受け入れるしかない。
だが、もし他の要因があるのなら今のうちに潰さなければ大変なことになる。
「……来ない、ですね?」
確かに――喉まで出かかった言葉を、アイシャはぐっと呑み込んだ。
気持ちはアイシャも同じ。
しかし、今この場を離れられない理由があった。
「分かんないよ。まだ。もしかしたら、今こっちに向かってるかもしれないし」
「それっぽい音が聞こえたら要注意、ですね」
魔物の足音が聞こえるかどうか、アイシャはあえて考えなかった。
(一番怖いのは、上から来ることだけど……)
普段は聞くことの無い鐘の音は、通りから少し外れたアイシャの家にもしっかりと届いていた。
聞き落としてはならない音をかき消されるかもしれない状況で、アイシャは冷静だった。
その時ふと、彼女達の背にある扉がそっと開かれる。
「二人とも~? 頑張るのはいいけど、無理しちゃ駄目よ~?」
「大丈夫。ちゃんと、マユちゃんと打ち合わせもしてるから。……ね?」
「そういうこと、です。マユにとっても、大切な場所、ですから」
母の目を真っ直ぐ見つめ、アイシャは言いきった。
マユも誇らしげに胸を張っている。
「そう~……頼もしく、なったのね~……」
――母の言葉と、鐘の音が重なった。
「へっ? お母さん、今なんて?」
「なんでもないわよ~。……じゃあ、お願いするわね~?」
「う、うん……?」
戸惑うアイシャをよそに、扉は静かに閉じられた。
何かを言っていたという事実しか、アイシャには分からなかった。
そんなアイシャを、正面から見上げるマユが呼ぶ。
「今はとにかく集中、です。そろそろ来てもおかしくない、ですから」
「……だよね。前はお願い、マユちゃん」
「もちろん、ですっ」
マユに呼ばれて、アイシャは再び周囲に意識を向けた。
研ぎ澄ました意識を、少しずつ伸ばしていく。
(……私も、頑張るから)
そうすることで、キリハの気配を感じられる気がした。
「っ、アイシャ、さん――!」
「うん……!」
――貫く《水流》は、どこまでも真っ直ぐだった。




