第319話 魔法禁止令-⑨
「なるほど、なるほど? それでひん剥かれちゃったってわけですか。……ぷっ。ぷふふふふ……っ!」
……いい度胸じゃないか。
喧嘩か。わざわざ考えなくても喧嘩だろう。喧嘩以外にあり得ない。
失礼極まりない宣戦布告。そこまでやるなら俺も黙っているつもりはない。
「笑うな。そんな目で俺を見るな。別にそこまでされてない」
「別に全然――くくっ、笑ってなんかないですよ? 気の毒なだって……ぷふっ、思っただけで。……ふふふ……っ」
「思いっきり笑ってるじゃないですか」
「絶対、そんなこと思ってないよね……」
そんなに面白いか、この野郎。
魔力を発散させるために取り押さえられた俺の姿がそんなに滑稽だったか、小悪魔が。
さっきから笑いを隠そうともしない。それどころか。
「だってだって、あります? あんな面白いこと。今年最大の笑いポイントですよ? もう一回やってくれません? ……くくくっ」
「お断りだ。天と地がひっくり返っても」
それどころか、堂々と開き直って再要求までする始末。
会ってきたばかりでなければ、引き摺ってでもイリアのところへ連れて行くことも出来たのに。
今連れて行くのはさすがにイリアに悪い。色々な意味で。
呆れ果てたような溜め息が聞こえてきたから、きっとまた何かあったんだろう。
イリアに話すつもりがない以上、俺もそっとしておくことしかできない。
「別に遊んでたわけじゃない、ですよ?」
「分かってますよぅ。ただ……ぷっ、あまりにあんまりな格好だったんですもん。あれは笑わない方が失礼くないです?」
「あんたねぇ……」
この小悪魔は愉しくて仕方がないだろう。
俺が取り押さえられているという状況を見ているだけで愉しんでいるんだから。
やられた側はまるで笑えない。
必要なことだというのは分かる。
魔法を全く使わない日など本来何日も続くとは思えないが、その辺りは歴史や文化の違いだろう。
単なる体外放出とも異なる奇妙な感覚。
魔力のマッサージとも言えるそれは、初めて味わうものだった。
魔戦時代に教わった身体のケアとも明らかに違っている。
はち切れそうな魔力を抑制するため試行錯誤していた頃に近いと言えば、まあ近い。
とにもかくにも、俺の知識の中にはないものだった。
まさかそのためにシャツを脱がされるとは思わなかったが。
「二人もよくできちゃいましたね? あんな大胆なこと。服を無理矢理に脱がせるとか」
「仕方ないじゃない。こいつ、今までほとんどやったことないって言うし」
「初めての時は手だけだと上手くいかないって、教えてもらったから。特にキリハは、魔力をたくさん持ってるし……」
そして、そんな状況を愉快犯じみたこいつが見逃す筈もなく。
「いえいえ、そっちじゃなくて。いくら医療行為的だからって、いつも会う相手の服脱がせるのは凄いなぁって♪」
「ばっ……!」
それ以上言うんじゃない――止めようと発した声が、何かに消された。
突然、何かに吸い込まれるように消えていった。
隣のユッカやマユでさえ、小首を傾げている。
(お口チャック、ですよー? いい子なんですからちょーっと黙っててくださいね?)
(皮肉のつもりか。大体、誰がお前の悪だくみに……っ!)
これ以上ない無駄な力の使い方。
発した声が伝わるより早く消えていく。
アイシャもリィルも、おそらく俺が声を出していることにすら気付いていない。
声を多少大きくしたところで、結果は同じ。
かといって魔法で誤魔化せば、今度は別の罠が作動してしまう。
「すっごいですよねー、ほんと。医療行為だって思っても、普通あそこまで堂々とはできませんから♪」
器用にこちらの動きを封じているから始末に負えない。
おかげで直接二人の肩を叩くこともできない。
「へっ? あれ、そんなにおかしなことだった?」
「そんなわけないじゃない。何よ急に。それよりヘレン、やったことないならあんたのもやってあげるわよ?」
俺にできる事は、ただ一つ。二人が気付くのを祈るだけ。
どうせ単なる力では破壊できないように手を加えているんだろう。
ほんの少しでも魔力が混じると途端にその強度を失う、理不尽極まりない存在。
俺が魔力を、魔法を使う瞬間を待ちわびているとしか思えない。
「それはいいんですけどぉ……その前に、あの人にはご退場してもらってもいいです? さすがにそういう趣味はないんで」
「だよね。――ごめんね、キリハ。ちょっとだけ出かけてくれる?」
そうじゃない。違うから気付いてくれ。
目の前の愉快犯が一方的に音を遮断していることに気付いてくれ。
出かけるくらい、なんの問題もない。
ストラをゆっくり見て回るだけでも、時間は潰せる。
「いやほんと、恥ずかしいですよねー。見るのも見られるのも」
頼まれたらどこにでも行くから、とにかく今は気付いてほしい。
目の前の小悪魔の悪だくみに今すぐ気付いてほしい。アイシャ達自身のためにも。
「あんた、さっきからどうしたのよ。そんなの当たり前のこと――……」
――そうして、アイシャとリィルは顔を合わせ、
「「…………ッ!!?」」
示し合わせたわけでもないのに、全く同時に顔から湯気を噴き出した。
(……あぁ、駄目だった……)
二人が詰め寄って来ても、他人事のように思えてしまった。
他人事のように思ってしまいたかった。
たとえ何も変わらないとしても、せめて。
無駄な抵抗だということくらい、自分が一番よく分かっている。
「ち、違うのキリハ! あれはその、えっと、そういうのじゃなくて……!」
「あんた、分かってるでしょうね? ……ちゃんと分かってるわよね!?」
どれだけ頷いても、二人の追撃の手が止まることはない。
それどころか激しさを増していく。
「あたしはただ、あんたの身体が心配だったからで……! 変な意味じゃないのよ!? ……聞いてる!?」
「本当に初めての時はああした方がいいの! お母さんが前にそう言ってたから! 嘘じゃなくて!」
たとえそのつもりがなかったとしても、一度認識してしまえばこの通り。
「そんなに焦らないでくださいよぅ。そうやって慌ててると、余計本気に見えちゃいますよ?」
「お前もこれ以上煽るんじゃない!」
そちら方面の耐性はさほどないらしいアイシャ達の反応くらい、分かっていた筈。
ヘレンのことだ。むしろ、分かっていたからやったんだろう。
こんなことなら無理にでも止めておくんだったと思っても、もう遅い。
あの状態のヘレンに見つかった時点で、どうしようもない。
「……だから止めたんですよ。あのときに」
「なんとなく、こうなる気はしてた、です」
そう思っているなら止めてくれ。今からでも止めてくれ。頼むから止めてくれ。
さすがに、俺一人じゃ手が回りきらない。




