第3話 魔力の剣
かつて、魔力を手にした者達の間で戦いがあった。
俺が生まれるはるか昔から続く長い戦いがあった。
魔力を手にした者達が二つの勢力に分かれ、各地で、世界中で争った。
片一方――教団とも呼ばれた者達は、自らが信じる神のために。
そしてもう一方。組織側は、その行いを阻止するために。
教団を止めるべく活動を続けていた組織の中にあったのは、決して義務感だけではなかった。
大切な人を傷つけられた怒りや憎しみ。或いはそれに近い感情を持っていた構成員も少なくなかった。
それは戦いの中で命を落としたかつての仲間であったり、魔力を持たない家族や友人であったり。
自分達が正義であるとは、口が裂けても言えなかった。
そんな中、両勢力の最大の違いは一般人――より正確には、魔力を宿す事のなかった人達への対応だった。
教団にとって、魔力を持たない人々は都合のいい存在でしかなかったのだと思う。
そうでもなければ、たとえ僅かでも人々の生命を吸い上げることなどできる筈がない。
それでも戦いの存在が公表される事はなかった。
公表のしようがなかったのも、大きな要因だったのかもしれない。
魔法を扱う事ができなければ、ごく一部の例外を除き太刀打ちできなかった。
その例外でさえ、結局魔力を利用した技術を利用していた。しかも一般化できるようなものではない。
問題の仕組みも『知って』いたところで防げるものではなかった。
何より、世間に知られていない点が教団への最後のストッパーとなっていた。
それがなくなってしまったら、その日の内に方針を切り替え各地を地獄に変えていただろう。
実際、教団による誘拐も全体で見ればごく僅かのものだった。
他にも理由は山のようにあったと思う。俺も全てを知っていたとは言えない。
そして、俺もまたそんな戦いの中にいた。
何度無茶な真似をしたか分からない。
その結果、指もまともに動かせない上、低級魔法さえ扱えない身体になってしまったのだ。
「け、剣……?」
劣化しているとはいえ、最低限あの魔物共を狩るだけなら十分だろう。
剣を握る手に力を込め、程よく固い地面を蹴り、
「――切り裂け!」
手近な個体を勢いそのままに両断した。
懐に潜り込むのは実に簡単だった。こちらの速度にサイブルが追い付いていなかったからだ。
注意しつつも、まだ距離が開いているからとたかをくくっていたのかもしれない。
上下に分かれたそいつを足場に、続けて後ろにいた個体を切り捨てる。
そこでようやく、残されたサイブル達は迎撃行動を開始した。手遅れだと気付かずに。
拳を掻い潜り、突き出された頭の角を空いている左手で掴んで斜め後ろ――別の個体がいる方へと流す。
正面衝突した二匹を纏めて仕留め、返しの一撃で更にもう一匹。
踏みつけようとしていた個体は逆の足を払い、体勢を崩したところで止めを刺す。
直後に両脇から掴みにかかろうとした二匹は、その手をすり抜けた後、ボディプレスを空振りさせた個体諸共。
残った三匹は、逃亡しようとしていたところをそれぞれ斬撃と突きで完全に動きを止める。
他に気配はない。間違いなく、確認した十二匹で全部だった。
「別に、巣が近くにあるわけでもないのか。そういうことならこの仕留めた魔物の山をどうにかして――」
最後に胸部を貫かれた個体が、大きく遅れて地面に崩れ落ちた直後のこと。
何故か魔物の群れは誰からともなく爆散した。
最後の抵抗かと思ったが、それも違った。その証拠に、咄嗟に展開した防壁が爆風を受けた様子がない。
おそらく魔物を構成していたであろう黒い粒子が充満しているだけだった。防壁を解いて触れてみても、害はない。
そして、代わりに。
「これは……?」
黒い粒子となった魔物達は、奇妙な結晶をその場に残した。
例によって詳細は不明。はっきりしているのはごく僅かな魔力を感じることだけだ。
荒削りの、丁度手のひらに収まるくらいの大きさ。色は薄いグレー。今持っているものと合わせて、丁度倒したサイブルと同じ数が転がっている。
試しに拾い集めて見てみると、周りに落ちている一つ一つの形状は微妙に異なっているのが分かる。
同時に、俺が今いるこの場所が全く別の世界であるという予想は限りなく確信へと近づいた。
勿論まだ過去や未来に飛んだ可能性もゼロではない。
それらを差し置いて別世界だと思ったのは、言ってしまえばただの勘だ。それでも一応根拠はある。
一番は当然、魔物が残した結晶の存在。他にも、これまで理由として考えていた各要素。おそらくこの先も証拠は増え続けるだろう。
存在自体は知っていたが、まさか自分が送られるとは思いもしなかった。
「待たせてしまって申し訳ない。怪我はないか?」
「あ、うん……?」
平気と言うには待っていた少女の反応は微妙なものだった。
何か信じられないものでも見たかのように目を丸くして、俺とサイブルがいた方を交互に見ている。
少女にしてみれば信じがたい光景だったんだろう。自分の魔法では倒せないとも言っていたくらいだ。
それと戻り方。時間をかけるよりはと思って一気に飛んだせいで。
「その、びっくりしちゃって。あんなにたくさんいたサイブルをあっという間に倒しちゃうんだもん。ねえ、キリハってほんとに冒険者じゃないの?」
「ああ。それはさっき言った通りだ。冒険者なら魔物を倒してもいいのか聞いたりはしないだろう?」
ついさっきのやりとりを思い出してくれたのか、少女は納得したように小さく頷く。
確認せずに倒してもおそらく問題はなかった。余計な心配と言えばそれまでだが、楽観して取り返しのつかない事態になるよりはいい。
「ただ、戦う機会が全くなかったわけじゃない。だからさっきもその頃の感覚を頼りに剣を振り回しただけだ。誇れるようなものでもない」
「あっ、そう。それだよ。あの剣。どこから出したの? サイブルを倒した途端に消えちゃったけど」
「どこからというか、あれならいつでも作り出せる。っと……話を続ける前に、一つだけ」
「?」
他にタイミングもないだろう。
だが当の少女は『なんのことだろう』と首を傾げていた。どうやら本気で分かっていないと見える。
「名前だ。そろそろ、君の名前を聞かせてもらえないか。俺としてもその方が話をしやすい」
俺はまだ少女の事を俺は何も知らない。ついこの世界の常識やサイブルのことを優先してしまっていた。
これも何かの縁だろう。長く続くかどうかは、まだ分からないが。
「あっ、ごめんね。まだ言ってなかったんだっけ」
ほんの少し慌てた様子の少女は赤くなった頬をかく。
一応、サイブルのところへ向かう前に後で聞かせてくれと言っておいたような。まあいいか。
「私はアイシャ。ストラのアイシャだよ。さっきは助けてくれてありがとう、キリハ!」
戸惑ったような表情ばかりさせてしまっていた少女の、アイシャの笑顔。
柔らかな表情に釣られて、思わず口元が緩んでしまった。
「こちらこそ。おかげでどこかの町で不審者扱いされることもなく済みそうだ」
「冒険者とか魔物を知らないって話? でも、そうだよね。会員証がなかったら町に入れないもん」
「……今、なんて?」
何か、不穏なフレーズが。
できることなら聞き間違いであってほしい。そうでなければ最悪詰む。
「えっとね、この会員証がないと町には入れないの。他にも方法はあるみたいだけど、キリハは…………あっ」
「そう来たか……」
アイシャが見せてくれた会員証――木製のカードのようだった――など持っている筈がない。他も同様。
つまり、町へ入る手段がない。
いくらこめかみを押さえても状況はそのまま。身元不明の人物の説明を聞いてもらえるなんて期待は無駄だろう。
「だ、大丈夫だよ! 確か、お金を払えば通してもらえるって聞いたことあるし、それでなんとか……ならない?」
「かなりの額を要求されるんじゃないか、それ」
「その、それなりに……」
だろうな。
仮にサイブルの結晶を換金できたとしても、おそらく大した額にはならない。1%に届くかどうか。
「他に何か聞いた事があれば教えてくれないか。例えば冒険者以外の、商人の出入りとか」
「確か、そのための手続きがあるって言ってた気がするけど……先に町の中でやっておかないといけなかったような……。ご、ごめんね? うろ覚えで」
「謝らないでくれ。正直、俺も聞いている途中で普通に無理だと思った」
それこそ違法な商売が横行しかねない。多分、冒険者とやらになるのが一番簡単な方法だろう。
「でもこのままだとキリハが町に入れないままないんじゃ……?」
「焦らなくても日が暮れるまでには何かアイデアの一つや二つは思いつくだろうから大丈夫だ。最悪は野宿で乗り切ればいい」
「野宿って、道具は?」
「探せばどうにでもなる。それより今はアイシャだけでも町に戻った方がいい。一緒に考えてくれるのはありがたいが、あまり体力も残っていないんだろう? 魔物に襲われるのが不安なら近くまで送っていく」
アイシャの魔力は枯渇寸前。しかも、追いかけられていた疲労は抜けきっていないまま。
こんな状態で外にいる方が危険だ。何よりこんな事に付き合わせるのが申し訳ない。
アイシャには少し複雑そうな顔をされてしまったものの、最終的にはその方向でまとまった。
「おじさんに話せば……入れてもらえるか分からないけど……ううん、ちゃんと説明すればきっと……」
そのアイシャはと言えば、歩く間も何か横で考えているようだったが。
あまり面倒をかけるのも忍びない。とりあえず今思いついたアイデアの結果次第で今後の方針を決めよう。
そのためにも。
「ねえ、キリハ。もしよかったら――」
「……後で狩りに行くか、魔物」
「!?」
手当たり次第に。とりあえず百匹くらい。
「だ、駄目だよ! 魔結晶は協会に持って行かないといけないし、私が代わりに納品したら規約違反になっちゃうから!」
「ああ、聞こえて……さすがにその辺りはしっかりしているのか……」
バレなければいいという話ではない。
別にアイシャに頼むつもりもなかったが、どうやらそれも厳しいようだ。
しかし法を犯さない手段を選ぶとなると会員証を持っていない点がどうしても足を引っ張ってくる。
「じゃなくて! 今からストラに行くでしょ? もしかしたらだけど、そのとき一緒に中に入れてもらえるかも!」
「またいきなりだな。ストラがアイシャの故郷だという話は確かに聞いたが……何か、関係が?」
「うん。実はね、お父さんの友達が門番をやってて、困ったことがあったら相談しろって言われてるの。だから、おじさんに頼めば……どうかな?」
「い、いいのか? そこまでしてもらって」
「さっき助けてくれたもん。だから、これはそのお礼。行こっ、キリハ!」
少し体力も回復したのか、アイシャの足取りは軽かった。
そんな彼女に手を引かれながら、後に続く。
ストラの町はそう遠くないらしい。無事に入れてもらえたなら、そこがこの世界での拠点にもなるだろう。
ただ、名案が浮かんだと嬉しそうなアイシャに向かって言える筈もなかったが、懸念もあった。
まだ俺の身分を証明できるのが何もないという問題は解決していない。
どれだけ親しい人が相手であっても、証拠もなしに『この人は安全だから通して』と言われて素通りさせるとは思えなかったのだ。