第291話 ひとまず、今は
イロンの支部は、たちまち喧騒に包まれていった。
「「「…………」」」
騒動の中心にいるアイシャ達は、それに気付かない。気付く余裕がない。
映し出された光景を見て、ただ息を呑むばかりだった。
(どう、なってるの……?)
アイシャ達が使っていたテーブルの上に置かれた青い水晶。
手のひらに収まるほど小さなそれは、今カウバで繰り広げられる戦いの様子を鮮明に映し出した。
突如としてアイシャ達の前に現れ、制止した女性。
この場にいる誰とも面識のないその人によって置かれた水晶の正体を確かめようという気も、たちまち失せてしまった。
――ラ・フォルティグの絶叫を阻んだのは、巨大な円。
(今の、って……)
信じがたいほど巨大な魔法にアイシャ達は見覚えがあった。
あの夜、コロサハに出現した魔法に酷似していたのだ。
それがある一人によって作り出されていることをアイシャ達は知らない。
(……これ、もしかして……)
しかし彼女は感じていた。
盾を織りなす膨大な魔力に、よく知る彼の存在を微弱ながらに感じ取っていた。
アイシャ自身その理由は分からない。
あるのは、キリハがそこで戦っているという確信めいた予感だけだった。
――その時、またエルナレイとナターシャが“首長砦”を崩しにかかる。
ラ・フォルティグと対峙しているのはキリハだけではなかった。
アイシャ達が追いきれない速度で、点のように小さな二つの影が飛び回る。
それがいっそう、ラ・フォルティグの大きさを際立たせていた。
映し出されているのは“首長砦”のほんの一部。
それだけでも画面の一部を占領してしまうほどに巨大だった。
大き過ぎるあまり、今映し出されているのがどの部位なのかさえ、アイシャ達には分からなかった。
小さくも激しい明滅がなければ、エルナレイやナターシャの居所を掴む事すらできなかった。
二人もの姿も鮮明に映っているとは言いがたい。
大きく映し出されたわけでもなければ、その人であると補足されたわけでもない。
しかしその場にいる誰もが、攻撃を仕掛けた二人がナターシャとエルナレイであることを確信していた。
――そして今度は、一直線に光が伸びた。
映し出された映像を上下で二つに隔てるように、一直線に伸びた光。
カウバの外壁から放たれた光線は、その勢いを落とすことなく怪物を貫いた。
標的は大きい。あまりに大きい。
どれだけ制御が下手な魔法使いでも、届きさえすれば当てられる。
問題はその飛距離。
カウバから怪物までの距離は大きく開いていた。開き過ぎていた。
ストラやカウバどころか、コロサハの防壁の直径をも上回る距離。
揺らぐことなく一直線に伸びた光は、短くないその道のりを矢のように駆け抜けた。
たった一瞬で、遠く離れていた筈の怪物に突き刺さった。
魔法に精通している者ほど、その事実に狼狽えた。
微動だにしない正確さもさることながら、瞬く間に怪物を刺した魔法の速度は魔法使い達にとって信じがたいものだった。
その一撃を放ったのがエルナレイであれば、また話は違っていた。
多くの精霊と心を繋ぐ事の出来る彼女であれば、居合わせた者達も多少は納得することができただろう。
しかし彼女は今も“首長砦”を攻め落とすべく優雅に宙を舞っていた。
間違いなく、カウバの防壁の上にその姿はない。
巨大な円形の盾を作り上げる何者かによって放たれたとしか考えられなかった。
彼を評する噂は知っていても、カウバの防衛に努める謎の人物と結び付けられる者はほとんどいない。
「っ……」
しかし彼と、キリハと親しい間柄にあればすぐに気付けてしまう。
その魔法を放つ瞬間を何度も見ていたからこそ、アイシャはその人物の正体に疑いを持つことができなかった。
「あのぉ……少し、よろしいでしょうか?」
「へっ……!?」
アイシャの意識を現実へと引き戻したのは、遠慮がちに声をかけてきた童顔の協会職員だった。
「先程から何か映し出されているようですが、これは一体……?」
それは、映像に意識を奪われた人達が口にすることのできなかった疑問だった。
遠く離れた場所での出来事を投影するなど、本来不可能に等しい。
どのような形であれ、一回の冒険者が手にできるものではないのだ。
「あっ、えっと、そこの人に渡されただけで、私達にもよく分かんなくて……っ!」
そこでようやく、アイシャは気付いた。知らずの内に、映像に魅せられていたことに。
それを渡されただけの彼女が、説明できるだけの知識を持っている筈がない。
慌てて立ち上がると、アイシャは後ろを指差した。
「そこの方、とおっしゃいますと……一体、どなたでしょう?」
「え…………?」
しかし、いない。
大勢の冒険者に囲まれてはいたが、フード姿の女性はどこにもいない。
懐かしさにも似た奇妙な感覚がそうだったように、知らぬ間に消えていた。
「あっ……!」
そして、誰かが漏らした声が再びアイシャの意識を映像へと引き摺り戻した。
「これではまるで、見世物ですね……」
自らが残した水晶に集まる者達の姿を一瞥し、イリアは深いため息をついた。
最初はそこに偶然居合わせた冒険者が遠目に眺めるだけだった。
それがいつしか外にいた者達まで寄せ集めてしまった。
「少々、加減を間違えましたか……慣れないことをするものではありませんね……」
アイシャ達の意識を引き寄せておけばそれでよかった。
町の外へ飛び出すような事さえなければ、イリアはそれで十分だった。
向う見ずに飛び出したところで、危険に晒されるだけ。
この世界で普通に暮らしている限り、本来遭遇しない筈の危険に。
(……よくもここまで、余計なものばかり残してくれたものです)
事態をここまで悪化させた最大の元凶に、憎しみに近い感情すらイリアは抱いていた。
既に自身の管轄にない奇妙な男を、自ら問い詰めるべきだったと考えるほどに。
――男によって撒かれた脅威は、“ラ・フォルティグ”だけではない。
町の外では今も、内密に情報を渡された者達が戦いを繰り広げていた。
キリハの前に現れたスライムに似た、奇怪な存在。
自身に迫る脅威すら糧とする不可解な存在は、イロンの近くでも姿を見せている。
引きつけるための力も、アイシャ達が強引に飛び出さないよう仕込んでおいたもの。
結果的にそれが周囲の者達にも影響し、このような状況に繋がってしまった。
――桐葉の存在を誇示しなかったのは、正解だった。
大勢の目に触れれば、その特異性が際立っていたことは想像に難くない。
(……やはり、影響は出てしまいましたか……)
しかもキリハは、戦いの中で更に力を強めていった。
一段階だけとはいえ、コロサハでの戦いでキリハは封じられていた力を解き放った。
その影響は今も出続けている。
(……今は見守りなさい。彼の事を想うのなら)
それでも今は、そう言う他なかった。




