第289話 ささやかな抵抗
「こ、こんなときに、どこいったんですか……あの人は……」
再びイロンの協会に集まったアイシャ達。
先に門まで往復した事もあって、疲労が表情にまで現れている。
しかし誰も、ヘレンの姿を見た者はいなかった。
まして、キリハの行方を知る者など見つかる筈がなかった。
「こんな時だからだよ、きっと……。どこかで、私達より先に気付いたんじゃないかな? キリハ君の居場所……」
「レアムちゃん、それって……」
「うん、そういうことだと思うよ。他に考えられないから」
いつ、どのタイミングでこの町を飛び出したのか分からない。
いつの間にかいなくなっていることの多いヘレンの居場所を、そもそも誰も確かめていなかった。
把握していたつもりでも、気付けば別の場所にいる。
魔物の大量発生の件で、ユッカがキリハと共に説明会に行った時もそうだった。
ストラにいた筈の彼女は、唐突にコロサハの街に姿を現した。
まさに神出鬼没。
キリハでさえ、以前はヘレンの動向をまるでつかめていなかった。
「ユッカちゃんやリィルちゃんの話を聞いた感じ、町と町の間を一気に移動できるんじゃないかな? それこそ、この前のキリハ君に負けず劣らずのスピードで」
「……そういえばいきなりいなくなったわね。初めて会った時も」
「いきなり町の中に出てきますからね。あの人」
――しかし、これまでのヘレンの行動の多くは少なからずキリハに関わるものだった。
レティセニアでの件は勿論のこと、[イクスプロア]に籍を置く以前からそうだった。
時には先回りしてキリハ達の助けになるように。
また時には、キリハとその周囲の不安要素を取り除くように。
「でしょ? だから……加勢に行ったんじゃないかな。キリハ君の所に」
確かに、それ以外の可能性は考えづらい。
加勢するために町を飛び出したのは火を見るよりも明らかだった。
「っ、それは……」
その現実を、アイシャ達はすぐには受け入れられなかった。
受け入れる事を無意識のうちに拒んでいた。
何故ならそれは、キリハが今、ラ・フォルティグと戦っていることを間接的に裏付けてしまうものだからだ。
「……皆も、“エルナレイさんの使者”なんて噂にも聞いたことない人が本当にいるとは思ってないよね?」
実際に避難が行われている以上、何者かが協会に“首長砦”の所在を伝えたのは間違いない。
しかしそれは、ある人物が“精霊騎士”の名を借りたに過ぎない。
何より、その人物は嘘を信じさせる何かを持っていたということ。
そして、アイシャ達は知っていた。
キリハに長距離飛行の許可が下りたのは、エルナレイの口添えがあったからだということを。
「だが、ここからカウバまで、馬車でも……」
「馬車で何日かかるかなんてキリハ君には関係ないよ。コロサハを出てからここに着くまで、半日もかからなかったんだから」
各都市で避難を始められたのは、どこからともなく降り立った“エルナレイの使者”がラ・フォルティグの所在を知らせたから。
その時、どのようなやり取りが交わされたのかアイシャ達に知る術はない。
しかし、キリハが今カウバにいるという事実を否定することは、もうできなかった。
(……策でも見つけた、ですか?)
キリハは、言った。『無策には挑めない』と。
偽の協会職員と共に調査へ向かおうとた時、キリハは確かにそう言った。
もし今ラ・フォルティグと相対しているのが本当にキリハであれば、何かを見つけている筈だ。
見つけていなければならないのだ。マユ達にとっても。
(キリハ…………っ)
最初に話を聞いたときは、どこかで油断していた。
キリハがそこまで深刻な表情を浮かべていなかったのも原因の一つではあった。
しかしそれ以上に、“首長砦”と直接戦うということに実感がなかった。
「…………私、やっぱり行く」
そして今、それはアイシャに決意を固めさせるための後押しとなった。
今もまだ、噂以上の事を何も知らない。直接見たことなどある筈がない。
どうしようもない脅威という認識だけが、彼女達の中にはあった。
「待って。ちょっと待とうよ、アイシャちゃん。危険指定種だよ? まともに戦える相手じゃないんだって」
「戦える相手じゃないのは分かってる。……だから、今できることをやりたいの」
自らの、ここに居る全員の力を集めても叶う相手ではない。
それも理解した上で、アイシャは町の外へ一歩踏み出そうとした。
「馬鹿言ってんじゃねーですよ。さっきトーリャのやつが言ってたでしょーが。ここから滅茶苦茶かかるってのに」
「分かってる」
「分かってねーから言えるですよ。そんな無茶苦茶」
――仲間たちが止められるかもしれないと、分かった上で。
「考えてもみろです。あのバケモノが暴れ回ってんだから、あちこち無茶苦茶になってるに決まってるじゃねーですか。こちとらあいつみてーに飛べるわけじゃねーんですよ?」
「だったら、そのせいで困ってる人たちを助ければいいんだよ」
ラ・フォルティグと戦うキリハの直接的な援護は難しい。
それはこの場にいる全員の共通認識だった。
(……足を引っ張らないくらい強くなることが、できないなら……)
自らの現状を覆そうにも、時間が足りない。
場合によってはむしろ、自分達の存在がキリハを危険にさらすのではないかとさえ感じていた。
「……カウバに行かずに、ザコをぶちのめすっつーことですか」
「うん。協会にもお願いして、なんとかできないかなって」
――本当は、カウバに行きたい。
残念ながら、今のアイシャにその手段はない。行ったところで、太刀打ちできない。
彼女なりの、せめてもの抵抗だった。
「……先に言われちゃいましたね?」
「な、なによ。いいじゃない。別に。誰が先に言ったって」
「誤差、です」
そしてその考えに至ったのは、アイシャだけではなかった。
「あれっ……ユッカちゃん達も? マジで?」
「……考えることは、同じか」
ユッカも、リィルも、マユも、レイスも、トーリャも。
お互いがお互いに、丸くした目を向けていた。
「あはは、この感じだと全員で行くことになりそうだね?」
「笑ってる場合ですか。とんでもねー命知らずばっかじゃねーですか」
「そういうことならイルエちゃんはお留守番?」
「ざっけんなですよ。誰も行かないなんて言ってないでしょーが」
そして、レアムもイルエも した時。
「――こんな時に、一体どこへ行くつもりですか?」
そこに待ったをかけたのは、不思議な程に透き通った女性の声だった。
(…………?)
その声にアイシャも聞き覚えはない。
しかし何故か、その声にアイシャは懐かしさにも似た温かさを感じた。
「だ、誰ですか? 邪魔しないでくださいっ」
「今あなた方が知る必要はありません。それより私の質問に答えなさい。……今、何をしようとしていたのか」
「なにって……」
支部の一角。テーブル席の前に突如現れた、フード姿の女性。
性別もあくまで声から判断しただけのもの。
実際には、席に着いたアイシャ達からもその顔は見えない。
「外へ出るつもりなら止めなさい。無意味に命を落とすことになりますよ」
「むっ……!?」
その人物は、訪ねておきながら自分で答えを口にした。
「なに馬鹿なこと言ってやがるですか。こちとら大真面目に悩んで決めたってのに」
「えぇ、その心意気は大したものだと思いますよ。だからこその忠告です。今は待ちなさい」
どことなく上から目線の態度で、はっきりと。
「いきなりそんなこと言われたって――!」
「ゆ、ユッカちゃん……!」
確かに、見ず知らずの他人の言葉を聞き入れる必要はない。
(あ、あれ……?)
しかし不思議と、身体が動かない。
「同じことを何度も言わせないでください。今、あなた方に勝手に動かれては困るんです」
突如現れたその人物に魅入られてしまったかのように、動けなかった。




