第263話 あなたは何者?
その場に駆けつけた時にはもう、何もかもが終わってしまった後だった。
瓦礫の山に埋もれていたコンピューターから回収された僅かな交信記録。
光の柱が全てを消し去るまで、一分もかからなかったことを示していた。
特段、油断していたわけではなかった。
普段通り――いや、普段以上に警戒して監視は行われていた。
当然、組織側も、接近された段階で相手の姿もしっかりと確認していた。
接触を試みて数名を即座に武装させ向かわせたことも分かっている。
それでも、防ぐことはできなかった。どうにもならなかった。できる筈がなかった。
そもそも相手に対話の意思がなかった。
接触するべく空に上がった部隊諸共、何もかもを破壊し尽くした。
撃たれたそれを防ぐための手など、瞬時に用意できる筈がなかった。
相手は最初からそのつもりで、その場に現れた時点で発射準備を終えていた。
何より、相手の装備は当時の組織の技術水準をはるに上回るものだった。
整えられた防衛設備も、何もかもが余りに無力だった。
緊急展開されたバリアシールドによるささやかな抵抗も蹴散らされ――結果、瓦礫の山だけが残された。
その現場を、あの光景を忘れたことは一度もない。これから先も、ずっと。
「っ…………」
はっきり言って、寝覚めは最悪だった。
頭が痛む。この世界に来てから、これほど強烈な痛みを感じたことは一度もない。
まるで鈍器で殴られたような痛みは、今も緩やかに広がり続けていた。
(強引に解放したことが原因と思えばまだ軽い方、か……)
この気怠さも、もう少し休みさえすればすぐに良くなるだろう。
うなされる程の高熱もなければ、魔力の異常も見られない。
イリアのことだ。
そのつもりならこんな中途半端な不調を残すことなく癒すこともできた。
しかし無理に完全回復させてしまえば、また別の違和感が残ってしまう。
身体の感覚のすり合わせ。そのためにも必要なことだ。
「…………気が付いた?」
今のような状態でも、この程度の事にすら気付けない。
「ナタ――……いや、エイラか……」
そこにいたのはまさしく[ラジア・ノスト]のリーダーとしての顔のナターシャさん。
気高さを感じさせるその表情に浮かんだのは呆れの感情。
「もしかして、わざとやってる? この前は訂正するまで直さなかったのに」
少し意識を研ぎ澄ませばすぐに分かることだった。
エイラとして振舞っている間は感じられなかった魔力も、今ははっきりと感じることができる。
木の柱に白塗りの壁。天井に届く木製の棚に並べられた文庫はごく僅か。
小物入れの引き出しも、その全てにカギが固くかかっている。
閉ざされたまま、微動だにしないクローゼット。皺ひとつないカーペット。
八畳間のこの部屋には、不思議な程に生活感というものがない。
「今はもう変装もしてない。……ここではその必要がないから」
「ああ……なるほど。ナターシャさん以外誰も知らない隠れ家だったわけですか」
ということは、建物全体に様々な仕掛けが施されているに違いない。
気配の遮断や偽装。その他いろいろ。おかげでこの場所がどこなのかも分からない。
「しかしどうして、ナターシャさんの隠れ家に? 確か、あの夜は……」
「正体不明の怪物が出現し、同様に正体不明の存在によって倒された。――表向きには、そういうことになってる」
そしてイリアに誘われるままに、意識を手放した。
ほんの少しだけ仮眠をとるつもりで。イリアも頷いていた。その筈なのだが。
「やっぱり、ナターシャさんには見られていましたか……予想はしていましたけど」
「言いふらすつもりなんてない。このことは、他に“精霊騎士”しか知らないから」
「……アイシャ達は?」
あれからまださほど時間は経っていないだろう。
だとしても、アイシャ達から見れば俺が失踪していることに変わりはない。
距離も離れていた上に、扱った魔力も桁違い。
普段は冗談半分にあんなことを言っていても、俺にはすぐ繋がらない筈。
「『追加の調査ために“精霊騎士”と調査に向かった』……[イクスプロア]にはそう伝えられた筈。怪物を消滅させた何者かの存在があったから、話を通すのは簡単だった」
「つまり、俺はいま自分で自分の調査をしているわけですか……」
言葉にしてみてもわけが分からない。
しかも、そんな出鱈目を伝えたのが状況を把握している人達と言う事実がますます困惑に拍車をかける。
「知らせた方がよかった? 昏睡状態のあなたを爆心地で見つけた、って」
「ご配慮いただきありがとうございます」
それにしても、まさかあのイリアが誰かに任せるとは。
普段から行動を共にしているアイシャ達とは違って、イリアから見てもよく分からない部分が多いだろうに。
姿を見られないようにするだけなら他に幾らでも方法はあった筈。
……なんて、余計な事を考えていたら次会った時にからかわれるだけか。
「彼女達のことがそんなに心配なら早く治すことね。とても運動できる状態じゃない」
「とんでもない。動けますよ。今すぐにでも」
「……寝起きの冗談にしても、もう少し自分の状況を顧みた上で言った方がいんじゃない?」
「その上で言っているんです。あの程度で音を上げられませんよ。今更」
いくら想定外の事態だったとはいえ、寝てばかりもいられない。
さすがに、夜と全く同じように戦うことはできないだろう。
今のままではどうしても動きが鈍る。それも少しの間の事だ。
「それにどうせ、仲間の一人には何もかもバレていますから。隠すだけ無駄ですよ」
「この前迎えに来た子のこと? 彼女のことなら別に……心配する必要もない」
「何を根拠に」
正直、解放そのものを止めに来るんじゃないかと思っていた。
まさかヘレンが気付いていないなんてことはないだろう。
アイシャ達に話しているかどうかはさておき、知らないなんてことは万に一つもあり得ない。
今こうしているところにいきなり現れてもおかしくなかった。
「簡単な話。少し不思議な力を持ってるみたいだけど、それでもここの偽装までは見破れない」
「大した自信をお持ちのようで」
「力の多くを封じてる相手に見破られるような甘い造りにはなってないから」
澄ました顔で告げた言葉には、確かな自信が宿っていた。
事実、外の雰囲気は掴めても近付く気配はどこにもない。
一瞬だけ感じたあいつの力も溶けるように消えていく。
「――降参。参りました。あなたのスポンサーのこと、見誤っていたみたいです」
「別にそういう関係じゃないんだけど……」
ナターシャさんが正体を隠す時に使った以上の力。
規模も範囲も大きくなったというのに、使われている力はごく僅か。
多少感覚を取り戻した程度では見破れないだろう。俺も。
「それに、見誤ってたのは私も同じだから。……あんなに戦闘能力が高いなんて思ってなかった」
「たった数分でガス欠ですよ。扱いきれていないのに、自分の力とは言えません」
「昨日見た限り、思い通りに扱えるみたいだったけど? 巨大な斬撃も、砲撃も、完全に制御されてたわ」
「あんなものを根拠にされても。あの時のような力はもう感じられない筈です。それが答えですよ」
まだナターシャさんの実力も底が見えていない。
人格面はさておき、噂されるだけの実力があるのは確か。
昨日のあれも物差しとしてはまるで役に立たない。
ただ範囲と威力の桁が狂っているだけ。
周辺一帯への被害を気にしないのであれば、最悪いくらでも避けられる。
異次元に引き摺り込んでしまえばその心配もなくなる。
「私が、魔法の規模を測り間違えたとでも思った? 町の防壁どころか、防衛線も軽く破壊できる威力だったのに」
特にこの人の場合、そういう方面にも長けているようだから。
決してそれを誰かに明かそうとしないだけで。
「真面目に答えて。……あなたは、何者?」
そんなナターシャさんから見ても、奇妙に映ったということだろう。




