第259話 慌ただしかった一日
「……見事なまでの氷漬けね」
それに目を向けるエルナレイさんが呆れていたように見えたのは、きっと魔法を使い過ぎてしまったからだろう。
最前線での戦いもまた、かつてないほどに一方的だったらしい。
あの合体魔法を受けなお動くことができたのは、魔物の中でもごく僅かだったそう。
本来であれば、軍による砲撃支援も計画されていた。
しかし、彼らの一番の出番は遠くに建造された壁が魔物に越えられてしまった時。
第二の防衛線を死守してもらわなければならない。
もし突破されるとしても、エルナレイさんがコロサハ傍まで戻る時間だけは確保しなければならない。
それもこれも、万に一つの事態にならなければの話。
そうなってしまった時にはもう、残された全戦力を投入する以外にない。
どちらにせよ、激しい戦いになると予想されていた。
もしものために弾薬を節約できたと考えれば、この状況はむしろ好都合。
最前線組も、想定より消耗は少ないそう。
早い段階で全滅させられたこともあって既に次の襲来への準備が進められている。
「最低限、話ができるよう調整させた。手足の自由を許すわけにはいかん」
「……協会と軍、両方の決定と言うわけですね」
「捕縛した魔法使いには『我々がを責任持って受け持つ』と伝えたのだが……見ての通りだ」
困り果てたような視線を送られようと、答えを変えるつもりはない。
全て任せてさようなら、なんてできないだろう。どうせ。後で呼び出されるだけだ。
「この場はよくても、直接戦ったという事実は残り続けます。――だからこうして残ったのよね、キリハ?」
「今のうちに、できる限りのことはお伝えしておこうと思いまして」
岩のような氷の中に閉じ込められた、魔人族の男。
強弱の波の激しい電気が絶えず流れ続ける捕縛用の魔法の中でもやはり、ギルバリグルスが動じることはない。
並の捕縛魔法では抑えられない相手を想定した魔法の一つ。
それが必要になると感じた相手には最終的に必ずと言っていいほど打ち破られた。
あくまで、この魔法は繋ぎの一つでしかない。
協会も軍も、ギルバリグルスには聞きたいことが山のようにあるだろう。
「フフフ……呑気なものだ。一人抑えただけで勝った気でいるとはな」
「誰もそんなことは思ってないわ。だから教えてほしいのよ。あなたが何を隠しているのか」
「知らんな。そこの小僧が話したことが全てだ」
「ならばトレスに現れたあの男か。……協力者がいたことは分かっている」
この男を捉えた程度で勝利宣言などできる筈もない。
いつまた魔物の襲撃があるかも分からない。
危機が去ったと言える筈もない。おそらく裏では、今も新たな情報が次々届いているだろう。
「どちらにせよ、知っていることはすべて話してもらう。――連れて行け!」
この場にあの男はいない。探った限り、それだけは間違いない。
あれだけの攻撃を受けてすぐに動ける筈もない。
……なんて、警戒を緩められる筈もないのだ。ただ、無数の脅威の内の一つを潰しただけ。
しかもどこかでまた復活するのは確実。
それでも、慌ただしかった一日はどうにか終わりを迎えようとしていた。
「しっかしまぁ大活躍だったねぇ、キリハ君。よっ、ストラ一!」
「イルエ、できればレアムに冷水を」
「あははは、冗談きついよ? ……おーい? キリハくーん?」
生憎、ついさっき空にしたばかり。
わざわざそんなことのために魔法を使える筈もなく。
「なーに言ってやがるですか。そこのバカが酔うわけないでしょーが」
「……そもそも、飲ませない」
「いつも通りって言えば、ほんといつも通りだよなー」
両脇が目を光らせている今は猶更。
一斉射撃への参加はよくても、さすがにその後は駄目だったらしい。
「ぷっ……くふふふふふっ……!」
余計な一言でこの状況を作り上げた元凶に至っては目を逸らして笑っている。
面白いくらい思い通りに事が進んだのだから、さぞ愉快な気分だろう。
……こんな状況でなければイリアのところに突き出すこともできたのに。
「みんな揃って冷たいなぁもう。冷えすぎて風邪ひいちゃいそうだよ」
「「「ひくわけない」」」
魔物による第一の襲撃を経てなお普段と変わらない。
その状況が、どれだけありがたいことか。
どこかの誰かが余計な事を言わなければもっとこの状況を満喫することができたのに。
「アイシャもリィルも、ちょっとくらい離れましょうよ。キリハさん、それじゃご飯も食べられませんよ?」
「いいわよ。あ……あたしが食べさせるから」
「「そういう問題じゃない(です)」」
あんなタイミングに仕掛けてきたギルバリグルスを恨むべきか、余計な事を口走ったヘレンにささやかなお返しをするべきか。
動かすことのできる《小用鳥》もたったの一羽。
ヘレンに監視役を任せておけば問題はないものの、何もしない理由にはならない。
「じゃあこの辺りはどう、ですか?」
「なにが『じゃあ』ですか! というかなんなんですか、それっ!」
串焼きだろう。……おそらく。
らしからぬ大きさである事さえ除けば、見た目は串焼きそのもの。
本でも焼いたのかと思いたくなるような大きさの物体――おそらく肉――が幾つも通され、挟まれた野菜はごく僅か。
串に至ってはそのまま武器として使えそうなサイズ感。どこで売られているのかまるで分からない。
「ごはん、ですけど」
「大きい、大きいですから! 早くそこに戻してくださいっ!」
「男の人はたくさん食べるって聞いた、のに」
「キリハさんでもマユには負けますよ……」
「?」
量だけなら食べられる。なんの問題もなく食べられる。
この形状で渡されなければ余裕で間食できる量。こんな形状でなければ。
「いいからそれは戻してください。いくらなんでも大きすぎですよ。マユでも食べられませんよね? そんなの」
「頑張ればいける、です」
「そんなところで頑張らなくていいんですっ!」
これを作るのも並大抵の労力ではなかっただろう。
頑張ってくれたのは分かる。その量を見れば、さすがに分かる。
「いや、待った。その前に上から一つだけ。……折角だから、そのまま」
「ひとつと言わずに全部どうぞ、です」
「それは外してからにしようか。さすがに」
かぶりつくだけでも一苦労。
グローブを外しておいてよかった。本当によかった。汚すのは忍びない。
(意外と、固い……っ!)
噛み千切れない程ではないが、固い。明らかに。
肉の香りが全身に染みついてしまいそう。
「んん――っ! んく……っ! ――っ、ふぅ……」
熱気と香りと固さと、全く繋がりのないコラボレーション。
途中で立ち上がっていなければ支えきれなかった。確実に。
「――と、まあ……見ての通りだ……ふぅ……とりあえず、続きは外してから食べようか?」
さすがに同じ食べ方はもう勘弁。顎が疲れる。
いくら美味しくても食べづらさが圧倒的に強いようではもったいない。
「お、おぉぉ……」
……思わず魔法で一口サイズに切り刻むところだったが、黙っておこう。言えるわけがない。




