第229話 希望者の正体は
「あ、やっと来ました? こっちですよ、こっちこっちー」
人懐っこい笑顔を浮かべて手を振るその人物を見て即座に引き返さなかっただけ、自分をほめてやりたい。
「……ねぇ。あたし、今の声にすごく聞き覚えがあるんだけど」
「……なんか見たことありますね。あの顔」
人違いの可能性はない。悲しいことに、絶対にあり得ない。
声も、姿も、記憶にあるそれと完全に一致している。違うのは精々、その身に纏う衣装くらいのもの。
「おっそいですよ。次の日には来ると思って宿も取ってなかったんですからね? 大遅刻かますなんていい度胸ですよ。ほんとに」
今にも溢れ出しそうなため息を抑えに抑えて、重い足を引きずって向かった先にいたのは……ヘレンだった。
口先ばかりの怒りをぶつけてくるその姿は、本当にあの頃のまま。俺がよく知るヘレンそのもの。
それがかえって不思議で仕方なかった。
「あれあれ、聞いてます? もしもーし? あなたの頼りになる相方が来たんですよー?」
だが、何度見ても、目を擦っても残酷な現実は変わらない。
オレンジのサイドテールを揺らすあざとい振る舞いすらあの頃のそれ。
「さ、帰ろうか。やはりタチの悪いいたずらだったらしい」
「……はぁあああ~?」
何から何までおかしいと思った。
こんな情勢で声を上げるなんてどんなもの好きかと思えばこんなオチか。
狙いすましたかのようなタイミングに届いた所属希望。
どうせある程度状況が分かっていたから念入りに準備をしていたんだろう。ここまでやるか。普通。
「待って待って。ちょーっと待って。いいんですか? 折角の機会がふいになっちゃいますよ? 足りてないんですよね。頭数」
「なんでそんな事まで知ってるんですか、この人……」
「ただ状況を整理しただけなんですけどねー。そっちの階級とか人数とか。あとは……協会の規約とかとか?」
噂話はおそらくこれまでにも広まっていた。
あれが幻だと分かっていなければ、討伐隊も組まれていただろう。それはおそらく、今回の招集とは大きく異なるもの。
そして魔物の大群に至ってはこの前届いたばかりの新情報。
少なくとも、ヘレンがあんな手紙を寄越した時点では本来知り得ない情報だった。
その程度のことにヘレンが気付かない筈もないが……わざとだろう。あの表情からして。
「はぁ、階級ですか。わたしたちの。それであんな手紙を? 手を貸すために?」
「その通りっ♪ やーっと分かってくれました? どうせその内一人足りなくなるだろうなーって」
「…………階級まで教えたことありました!?」
「え、言ってましたよ? その人が」
大真面目にやるならこんな冗談は言わない。言うな。指をさすな。
ユッカもこんな程度の嘘に乗せられてどうする。
「デマを垂れ流すな、この悪魔が。この前の事件で話す時間がどこにあった?」
「定義的には真逆の存在なんですけどねー、一応」
最後の一言はきっと、リィルやユッカには聞こえていないだろう。
聞こえる声量だったとしても、まともに取り合ったかと言われると……ない。
言われたところで信じない。間違いなく。
「まぁ今のは根も葉もない嘘だったんですけどー……実際、年中無休で見張ってどうするんです?」
言っていることは正しい。ああ、確かに正しいだろう。それは間違いない。
もしヘレン以外の誰かに言われたら力強く、全面的に肯定していただろう。
レティセニアの一件然り、ほぼ四六時中こちらの様子を探っていたこいつに言われなければ。
「こらそこ。鼻で笑ったの見えてますからね。見せつけてます? 喧嘩売ってます?」
「公衆の面前で誰かがそんな馬鹿なこと。大体お前、いつの間に登録なんて……」
「そこはあれですよ。ちょちょいのちょいっと。誰かさんみたく身元不明とかやらかさなきゃ普通はすぐに通りますよ?」
「文書偽造の常習犯が何を言うか」
俺が知っているだけでも数回。組織が手を貸していたとはいえ、確実にやらかしている。
今回はそれを一人でやったというだけ。元々できないわけでもない。
協力者がいるとすれば……あのお婆さんくらいだろう。ある程度事情は知っていたようだから。
「そのうるさいお口、そろそろチャックしてくださいねー? 折角築き上げたまともなイメージ壊すような発言はNGです。出るとこ出ますよ?」
……何がヘレンをそこまで駆り立てるのだろうか。
呆れている。あのイリアでさえ、心の底から本気で呆れている。
最初は何事かと反応していた筈が、深いため息を最後にもう声も聞こえない。
「……まとも……?」
「止めなさいよ。もう。そうやって反応するから全然話が進められないじゃない」
そしてそれは、ユッカやリィルも同じ。
「うっわぁー……ナノレベルでも信じてもらえないんですけど。あります? こんな仕打ち」
「自業自得だろう。どう考えても」
一度自分の胸に手を当てて考えてみればいい。
きっとすぐに分かる。分からないなら一世紀かけてもおそらく分かる日は訪れない。賭けてもいい。
「それで?」
「んー?」
「どういうつもりか聞いているんだ。この前の件といい、お前が出張る理由がない」
「関わるなと言われる理由もないですからセーフでーす」
……あくまでも真面目に答えるつもりはない、と。
この反応、どう問い詰めたところで躱されるだけ。……少なくとも、協力するという言葉に嘘はない。
「まっさかレティセニアからこっちに戻るまでの間に増えちゃうわけないですし? 今から昇格とか無理ゲーですし? 探すしかないですよねー♪」
ないと思う。多分。きっと。
「キリハさんの言う通りですね。それじゃあさようなら。どこか他をあたってください」
「あ、はいはいさようならー……じゃないですよ? そこは受けるとこですよ? 本当に状況分かってます?」
「分かってても嫌なんですよっ!」
正直、ユッカの気持ちも分からないとは言えない。
「と、ゆーわけで! 今日からこっちでお世話になることになりました♪ 気軽に絡んじゃってくださいね?」
それでもやはり、受けないという選択肢はなかった。色々な意味で。
「ね、キリハ君。こんなこと言うのもあれだけど……そろそろ刺されるんじゃない?」
「誰にだ。……それに、もし狙われたところで多少の不意打ちならどうにでもなる」
「見ず知らずの他人だったらそうなるだろうけどね」
わざわざ接触してきたからにはきっと意味がある。
あんな風に逃げ隠れはしなくても、あの頃からあれこれ考え込むきらいはあった。
「あぁああああ~……!」
「ゆ、ユッカちゃん……そんなに落ち込まなくても……」
「落ち込んでなんかないですよっ!」
特に大きな騒ぎでなければ、円滑に進めるべくこっそり動いていたことも少なくない。
これもその一環だとしたら……ありえる話だ。
「(ちょっと、本当に大丈夫なんでしょうね? またあんなことになったらさすがに止められないわよ?)」
「(今のところは問題ない。わざわざ出てきたくらいだ。この件が片付くまでは大人しくしておくつもりなんだろう)」
反対意見は承知の上。
実際、手を貸してくれるならこれ程心強い相手もそういない。
「(それに、あいつもいるなら勝ちはほとんど決まったようなものだ。あとはいかに被害を抑えらせるかにかかってる)」
おそらく今もリミッターはかけているだろう。
それでも十分すぎるくらい。並の冒険者ではそれこそ手も足も出ないだろう。
「(随分信頼してるじゃない。前は『頼るつもりなんてない』とか言ってたのに)」
「(……それを言われると耳が痛いな)」
あそこまで言われて、忘れられる筈がない。リィルが怒るのも当たり前だ。
「(当てにしているのは本当だ。否定はしない。ただ……今、こうして落ち着いていられるのは――……)」




