第222話 ついに訪れたその瞬間
「――あとは、これらを温めた聖水に加えて……」
ただただ倉庫に放り込まれておくより、こうして使われる方がずっといい。
何かしらの加護があるにせよ、それも永遠のものではない。
泉に宿っていたであろう力もいずれは消える。どれだけ注意をしていても。
「私、見てて思ったんだよね。あの薬の一番とんでもないところって、誰でも作れるところだって。材料さえあればぼろ儲けだよ。きっと」
「まさか。あの人のように技術がなければ作れない。ただ材料を加工して放り込んでも、珍味スープになるだけだ」
「え、そうなの? 私もレアムちゃんと同じで……あ、ぼ、ぼろ儲けは違うからね!?」
「またまたー。アイシャちゃんも素直になればいいのに」
「思ってないよ!?」
そもそも材料を集められるだけの知識がなければどうにもならない。
その上、掃いても捨てても次々湧いて出る魔物への対処もある。
手っ取り早い解決策は、近付かれる前に一掃すること。
隠れ場所の多いあの山の中から近付く魔物を。一匹残らず
かといって、こちらが山の中に飛び込む利点も正直ない。
あの場所は魔物達にとってのホームグラウンド。最悪いいように弄ばれる。ついでに数の暴力。
魔物が魔結晶を残して消滅する存在でよかったと、これほど思ったことは一度もない。
そうでなければ、九割以上を諦めて帰るところだった。
「でもやっぱり、ちょっとくらい効果はあるんじゃ……? あんなに色々入ってるんだし……」
「お互い自己主張が強すぎて周りの長所を打ち消すだけだ。ほぼ間違いなくな」
高価なだけに、その特異性もかなりのもの。
サーシャさん曰く『まだ各国に広まっていない』代物もあるそうだから、知られていないのも当然だが。
「だったら教えてくれてもよかったじゃないですか。わたし、聞いてないんですけど」
「まさかあそこまでとは思っていなかったんだ。香りにせよ何にせよ……記憶に残るだけのものがある」
見た目だけならまだ優しい方。
曰く舌が痺れるような風味を持つ代物もあるそうだから、スープにするにせよ苦労は多いだろう。確実に。
「じゃあ、きっと次はすぐに見つけられますね」
「そんな事態、無いに越したことはないがな。もしもの保険というのも分かるが……売るために持っておくようなものじゃない」
「やだなぁキリハ君。冗談だよ。冗談。ねぇ?」
「あの目、ちょっとくらい本気だったろ……」
記録にある数々の素材もそれはまあ一癖も二癖もある代物ばかり。
まだ広く知られていない今回の材料なんて、[ラジア・ノスト]の情報がなければとても扱えそうにない。
「あと、は……っ!」
とはいえ何も悪いことばかりではない。
それだけ強烈な特性を持っているおかげですぐに見分けることが出来たのだから。
きっと今回の件は高くつくだろう。
「これで、完成……しましたよ……!」
無論、結果を思えば不満などある筈もない。
「きれい……」
「じゃあ、じゃあ、これを、飲めば……」
「はい。文献通りなら一杯で十分足りる筈です。……少し、作り過ぎてしまいましたね」
誰もまるで問題視していないということは、本当に完成したのだろう。
神秘の雫とも呼ばれるそれが、ついに完成したのだろう。
伝説上の存在に限りなく近い代物が。今、この場所に。
「いざって時のために取っておけばいいじゃないですか? 怪我にも効くんでしたよね。確か」
「し、しかし先程、他の方との取引に使おうとされて……」
「ね、レイス君。私、本気であんなこと考えてるって思われてるのかな。傷つきそうだよ。さすがに」
「じゃあ冗談でも言うなよ!?」
必要な成分のみを抽出し、部位を切り落とし、火にくべ、調理とは程遠い過程を経た数々の素材。
それらが絡み合い、ついに現代に蘇った秘薬も金色に輝きはしない。
しかしあれだけの素材を混ぜ合わせたにもかかわらず、うっすらとカップの底が見える程度の透明度を持ち合わせていた。
一切知らされずに出されたら、紅茶感覚で飲んでいたかもしれない。
「……おや、今日は随分と豪華じゃないかい。まだお昼には早いよ」
こうして、御茶請けまで用意されていたら余計に。
お婆さんの口からそんな冗談が飛び出たのも正直分かる。
「承知しております。……まずは、こちらを」
「座って飲んでください、です。早く、早く……っ!」
そっとテーブルに置かれたのは一杯のカップ。
手を引くマユの視線はお婆さんとそれを何度も行き来していた。
「年寄りを焦らせるんじゃないよ。……まったく。本当に完成させたんだね」
「皆様のおかげで」
「特に、キリハさんが頑張ってくれた、ですよ」
遠目から見て、それが万病に効くと謳われた秘薬だとは夢にも思わないだろう。
しかし感じる。確かに感じる。何とも形容しがたい不可思議な力を。
「……どうやらあんたには、知らないところも含めて随分世話になったみたいだね」
「意外ですね。てっきり、マユに関わることなら一通り把握しているものかと」
どこかの誰かさんが逐次報告していただろう。
レティセニアに向けて旅立って以降については確実に。気配を完全に消してもその事実は変わらない。
「さ、それよりも。……込み入ったお話は、また後程」
「……そうさね。おかげでもうしばらく、この生活を満喫できるようだからねぇ……」
サーシャさんに聞いても、他の解決策については首を横に振られるばかり。
ルークさんもリットも、この薬を用意する前提で動いてくれていた。
しかし俺も、俺達も、手を貸してくれた人たちでさえ、今まで実物を見たわけではない。
「っ……」
完成するまでは考える必要のなかった不安を、この場で言い出せる筈がない。
「(大丈夫だ。絶対に。マユが心配しているような事なんて、万に一つも起こらない。俺が保証する)」
「(…………やっぱりお見通しだった、ですか)」
「(見ていれば、な。だから分かる。あれなら絶対に治せる)」
かつての記録には、秘境の奥底から持ち帰ったと思しき記述もあった。
それも、生物の部位を。……少なくともその時代には、その場所にそういう存在が板のだろう。
家畜とはまた別の、信じられないほど大きな力を持った何かが。
だが……これ以上、この場で考えるべきものでもないだろう。
「(……手、もうちょっとだけいい、ですか?)」
「(マユの気が済むまでいくらでも)」
「(じゃあ、ずっと、です)」
「(それは困る)」
こんな冗談、マユの内心を思えば可愛いもの。
握る力が強まっているのがその証拠。
「……この前のあれと比べても、なんだか飲んだって感じがしないね」
「それでいいんです。このまま安静にしてさえいれば、すぐに良くなる筈です。……それでは、あちらの席へ」
「おや、仲間外れにするつもりかい」
「ご安心ください。すぐにお持ちしますから。皆さんと」
覚束ない足取りが突然変わるわけではない。
しかしからかうようなその言葉に、今までにない活力を感じた。
きっと、気のせいではないだろう。そうだと思いたい。
「……ありがとうございました」
戻って来た彼女の表情を見れば、心配も全て杞憂だということはすぐに分かった。
「本当に……感謝してもしきれません……それに道中、お二人が貰った聖水も全部……」
「ばあやを助けられるなら本望、です」
「もし必要になったらその時はその時。探しに行けばいいんですよ」
どの道つかいようのなかった代物。
落ち着くべきところに落ち着いたとも言える。
「お喋りならこっちに来てからにしな。改めてしなきゃいけない話もあるからね」
「はい、です」
「何も飲み終わってすぐに始めなくても」
「何せすることがなーんにもないからね。ほら、こっちに来るんだよ」
ふんぞり返って手招きする姿はおよそ病人のそれではない。
(……まあ、倒れられるよりはいいか)
「だ、そうだが……どうする?」
「困った人、です」
見ればマユも、笑っていた。
どことなく、困ったように。そしてそれ以上に、嬉しそうに笑っていた。




