第215話 そうなった時に
「見ましたか? 見ましたね。見たでしょう!? 隙のない構えに流れるような立ち振る舞い、そして圧・倒・的! なあの一撃! 何度見ても惚れ惚れしますね!」
本当にすごかった。
あの魔物だって強いはずなのに。それが全然分かんなくなっちゃうくらいすごかった。
たった、一回だけで。まるでキリハの《解砲魔光》みたい。
魔物に何もさせなかったところもそっくり。《解砲魔光》は、まだすごい光の魔法ってなんとなく分かったけど……なにしたんだろう、さっきの。
キリハに聞けば分かる、かも?
ナターシャさん、さっきから真っ直ぐ奥に向かってる。キリハの魔力も、ちょっとずつ近づいてる。
だからきっと、もうちょっと。キリハの魔力も遠ざからないから、きっとすぐ。
(……もしかして、思ってたより近くだった? キリハの魔力が……マユちゃんもいっしょ、だよね?)
マユちゃんの魔力はまだ感じらないけど、きっとそう。
キリハならきっと、マユちゃんを一人だけこんな場所に置いて行ったりなんかしない。
あの洞窟の中なら、安全かもしれないけど……いなかったから、いっしょにいるよね。
……まさか、あの人もじゃないよね? ユッカちゃんが言ってた変な人。キリハの知り合いみたいだけど……ち、違うよね?
「……ーい」
そんなことより、どうしてこんなところまで行ったのか聞かなきゃ。
こっちに向かっても出口には辿り着けないと思う、ってサーシャさんもナターシャさんが言ってた。
こっちになにがあるか分からない、って。
キリハが持って行った本を読めば分かるみたいだけど……キリハに聞けるんだよね。そのときには。
……でも、それにしてはナターシャさん、あんまり困ってなさそう? なんか、道が分かってるみたいに進んでるよね?
さっきは、この辺りに来たのは初めてって言ってたのに。
(サーシャさん、まだ怒ってるのかな。やっぱり……)
さっきから、どんどん周りも暗くなってるし……
どうしてこんなところまで来ちゃったんだろう。キリハもマユちゃんも。
崖沿いに進んでるんじゃなかったっけ? そんなにすごいことが書いてあったとか?
「聞こえてなさそう、です」
「まさか向こうから見えていないなんてことは……は、幻惑? そこまで。もう十分楽しんだだろう。そこまでにしてくれ。頼むから」
あ、あれ? 声? キリハ? マユちゃん? どこ??
「こっち、です。こっち……!」
こっち、って――
「すまない、みんな。心配をかけてしまって。……見ての通り、マユも俺も無事だ」
時は遡り、ナターシャが、怪物を切り裂くほんの少し前。
「ッ……」
緑を纏う獅子のようなそれは迅かった。
マユの目をもってしても完全には追いきれないほどの勢いで森の中を駆け抜けていた。
(……これじゃあさすがにお手伝いできそうにない、です)
マユ達が利用した馬車すら軽々踏みつぶせそうな巨体。
それが森の中を、生い茂った木々の間を雷の魔法のごとく駆け抜ける。
あれだけの巨体でありながら、木の枝にすら干渉することなく走り続ける。
「……大した力だ、本当に……!」
それでいて、キリハを相手に力負けすることもない。
キリハに叩きつけられた爪が、押し返される事もない。
既に、両手の指で数えきれないほどに繰り広げられた激突。
しかしキリハも、守護獣もその勢いが衰えることはない。
甲高い悲鳴が木霊し、剣は戦斧へ、更には長槍へと形を変えて獅子の攻撃を受け止める。
(……やっぱり、あっちの方が慣れてるみたい、ですね)
マユの目から見てもそれは明らかだった。
魔力が刻んだ光の軌跡が、そう思わせた。
振り切った瞬間その姿を変えている魔力の武器を、引いた一瞬で形を変える刃を見れば、そう思わずにはいられなかった。
迷宮の主から授かった剣。大切な人たちとともに送った鞘に収まった一振り。
普段、それを扱っている時以上に動きが滑らかだった。
(……剣が抜けなくなるなんておかしな話、ですけど)
迷宮の剣の気難しさはマユも聞かされていた。
鞘に手を当て文句を向けるキリハの姿を何度も見た。マユが効いた限り、キリハが言いたくなるのも仕方の無い内容ばかりだったが。
(仲がいいのか悪いのか分かんない、です)
まさに今、剣が使用を拒んだ理由をマユは知らない。
マユの前ではあまり見せない、慌てた様子のキリハが口にした内容から断片的に推測することしかできない。
「――《万断》!」
そう思っていたのも、束の間。
範囲を絞り、かつ絶大な威力を発揮したキリハの一撃。
ここぞという場面に、決定打としてキリハが選んできた魔法。
獅子の目の前を光の刃が駆け抜けた。
何もない筈のその場所を、キリハの一撃は確かに切り裂いた。
「……合格? それならよかった。てっきり、資格を受け取ったこいつを引き抜くまで続けろと言われたらどうしようかと」
獅子の歩みも、いよいよ止まる。キリハの手を離れた光の剣も虚空に溶け、消えていった。
「わざわざマユや俺の頭の中を覗いただけの成果はあった、というわけか」
そんな興味も、たちまち失せた。
それ以上に衝撃的な事実がマユを襲った。
『ごめんね。変な人には渡せないから』
マユが森の精を見上げると、やはり否定はしなかった。
最初の時点で許可が出たものだとばかり思っていたマユにとっては想定外も想定外。
(いつの間にそんな、こと……)
何より、戦っていた筈のキリハが認識していた。
目にも留まらぬ攻防を繰り広げていたにもかかわらず、森の干渉に気付いていた。
その事実にマユは驚きが隠せなかったのだ。
「気付かないわけがない。なんの抵抗もなかった時点である程度察して――……誰が分かりやすそうな顔だって? 生憎そこまで間抜けじゃない」
「リィルさんやアイシャさんはすぐ分かるみたい、ですよ?」
「あの二人と比べるのはさすがに。もう短い付き合いとは言えないだろう? ……勿論、マユも」
マユには、その表情がどことなく困っているようにも見えた。
しかし、現状に抵抗を示しているようにも見えない。嬉しさ半分にも見える表情。
「……もっとも、俺が通るなら余程の悪人でもなければ通りそうだが」
「大暴れしてるのは悪いことじゃない、ですよ?」
「その言い方はやめようか。破壊行為を行ったわけでもないのに」
小さく肩を落としたようなその仕草。
先程の圧倒的な姿からは想像もつかない、あまりに人間的な反応。
「でもやっぱり、悪い人なんかじゃない、です。あの時、だって。今回、だって……」
「そう思ってもらえているのなら一安心だ。ふ、悪人呼ばわりされるよりずっといい」
「……本気で考えてくれてる、ですよね? マユ達の、こと」
「仲間のことだ。当然だろう」
それこそ、[ラジア・ノスト]が目を付けるのも当然の能力だとマユは考えていた。
特に、森という環境下を考慮して使わなかった魔法の数々。
たった一言で放たれる魔法は、どれも並の魔法使いが詠唱して作り上げたそれを凌駕するほどのもの。
様々な形でそれらに触れてきたマユには、ある疑問が芽生えていた。
「……キリハさん、は、もし、ばあやの身体が、よくなったら……」
小さいままだった、とある疑問。
森の精に出会うまでの二人きりの時間に少しずつ、しかし確かに大きくなっていった一つの気持ち。
「……あの人がよくなった、その後で?」
マユをまっすぐ、じっと見つめるその目。
「だか、ら――」
その目に彼女は、懐かしさにも似た何かを感じていた。




