第207話 ある時代の遺物
「まさかあそこまで積極的に仕掛けるなんて。……何か、気になることが?」
「任せきりになりそうだった、ので」
マユの一撃を受けた番人は消えた。
何かを残す事無く、一瞬で気消え去った。二体目が現れる事もない。
「そんなことまで気にしなくても。状況が状況だ。あのくらいの敵なら対応できる」
「じゃあ、依頼主命令、です。邪魔はしない、ですから」
「そういえばあったな、そんな設定も……」
あの一撃が使えて、一体どこに邪魔になる要素があるのだろうか。
人間を辞める方向で振り切れたような連中が相手であれば或いは。
世を滅ぼす厄災の類が現れたのであれば、分からないこともない。
そこまでいけばどこの誰だろうと何の違いもない。
少なくともこんな場所でお目にかかれるようなものではないだろう。
今の例はいくらなんでも大袈裟だろう。
しかしマユのそれが、並の敵を想定するのなら必要のない心配であるのも本当。
「……どうやら、マユの手を煩わせる必要もなさそうだ。行き止まりが近い」
「隠し扉があるかもしれない、ですよ?」
「そういうのはまたの機会にしようか。時間をかけると魔道具がまた動く」
「いっそ持って帰ったらどう、ですか? 見つけた魔道具を回収したって、よく聞く話、ですよ?」
「そこまで。これ以上言わないでくれ。この場所がぼんやり金鉱に見えてきた」
……真面目な話、多少の足しにはなる。
墓荒らしのようで気は引けるが、今どうしても必要なものであることは紛れもない事実。
制度上、これと言った問題がないのであれば本気で持って帰ってもいいかもしれない。
全部なんて欲張るつもりはないが。
他の素材が都合よく見つかるなんてあり得ない。あればいいとは思っても、現実になるなんて期待はできない。
サーシャさんが教えてくれたという場所の他にも向かう必要がある。
ヘレンが見つけた小さな植物。様々な条件を満たした時にのみ見つけられる特異個体。
意図的にその条件を整えようとした過去の試みもすべて失敗。
超自然的な力が働いているのではないかと囁かれるほど。
その程度に希少な物資を手に入れるのだから、今の俺達にとっては高すぎる障壁。
「鉱石はない、ですけど、人はいたみたい、ですね?」
「こんな場所を選ぶなんて風変りにも程がある。……ある意味、色々と期待できそうだ」
直接的な解決策ではなくても、他に何か。
突き当りに構えられた小部屋のような空間に、ついつい期待を寄せてしまっていた。
あるのは作業台と、お世辞にも大きいとは言えない本棚。
持ち主の姿はない。それもおそらく何年も――いや、何十年以上も前から。ずっと。
ランプは曇り、蓋をされていた筈のインクはとても使えそうにない状態。
ペンの羽根は全て散り、残されたテーブルやイスは力を加えただけでも壊れそう。
一時期、生活の拠点になっていたのだろう。寒さをしのいでいたであろう何かの残骸が壁にかかっている。
しかし今となってはその面影もどこにもない。捨て去られてしまったような、寂れた空間。
「……何もなさそう、ですね」
「全てはあの棚の中身次第、か……」
おそらく引き上げる際、必要なものはもって帰ってしまったのだろう。
それでもあの番人は現代まで残り続けた。
主の命、或いは自らの存在意義を果たすために。
もしかしたら、本来の主もいつかはもう一度訪れるつもりだったのかもしれない。
しかしそれは叶わなかった。何かしらの原因によって。
そうとでも考えなければ腑に落ちない。
中途半端に使った物を捨てていく必然性というものを感じない。
棚に残された書物くらい、持って帰ることはできただろう。
あの魔道具を、わざわざ残しておく必要もなかっただろう。
(もう一つ可能性があるとすれば、それは――……)
その答えがあるとしたら、辞典のように厚い書物の中――
「私、終了、全部……『全ての工程を完了した』? 『未来の旅人達に捧ぐ』? わざと残したのか、こんなものを……?」
表紙を捲って、真っ先に飛び込んできたメッセージ。
見覚えのない文字が書いてあると思ったら。
隣も、その隣も、下の段も全て同じ。
上の段に四冊。下に三冊、と空箱。まず目に飛び込むところに、同じ筆跡で記されたメッセージ。
「……読める、ですか? その字が?」
「一応、なんとなく。ただ、直それらしい言葉を当てはめただけだからもしかすると間違っているかもしれない」
「普通は“それらしい言葉”が分からない、ですよ?」
「故郷の勉強の成果ということで。なんて、それもある人のおかげではあるんだが」
ルーレイアに入ってからも一度も見たことのない文字。
薄々は感じていたが、やはり。正直驚く要素はどこにもなかった。
使われなくなった言語。この世界に本来、存在しない筈の言語。
現代を越えかねない技術による現場の保存。
可能性はいくらでも思いつく。
そしてそのどれもが、ここにある全ての特異性を訴えかけていた。
極めつけは記された日付。どこかの誰かの名前からとったような暦。
町で調べても、きっと現在使われているものではないと分かるだけ。
(こんなものが、今まで発見されていなかったとはとても……)
現代以上に魔道具を扱うことのできる時代の来訪者。
何者かの遺産など、とっくに見つかっているべきもの。あの番人に阻まれたとは思えない。
不慮の事故以外に辿り着く方法がないとは到底思えない。
あの崖から落ちた人々が無事でいられなかった、と言うのはまだ分からなくもないが……
「とりあえず駄目元で中身も読んでみることにする。案外、リーテンガリアの言葉で書いてあったりして」
「……キリハさんの故郷、解読魔法も作った、ですか?」
「あれば大喜びだっただろうな。きっと」
特に外国語の試験。
問題として成立しなくなる。満点だって朝飯前。
しかしそんな術式をどう構築すればいいのか。
強く思い浮かべたところで、そもそも正解が分からなければどうしようもないという問題もある。
世界の叡智と密接に繋がった人物など俺も知らない。
(後でもう少し詳しく説明するにしても、当面は秘密にしてもらうしか――)
今ここに記されているものが読み解けるのは、リーテンガリアの言葉が分かるのと全く同じ理由。
「……なあ、マユ。皆がこの洞窟に辿り着くまで、どのくらい時間がかかると思う?」
「そんなこと、聞かれても。でも、風も霧も酷い、ですから、時間はかかりそう、ですね?」
わざわざあのような一言を残した理由を悟ることができたのも、それ。
「そう。サーシャさん達と合流できたとしてもあと二日……いや、おそらくもう少し時間がかかる」
日に日に細かく記されて行く地図上の注意事項が読み解ける理由も、当然同じ。
「その間に見つけてしまおう。こいつを。……もしかすると、もしかするかもしれない」
文面だけ見れば、にわかには信じがたい存在。
しかし本当であれば大きく状況を変えてくれるかもしれない、とっておき。
あいつの保険がなければ、それすら分からなかった。
奇妙な液体の絵だと勘違いしていた。
「よく分からない、ですけど、それなら合流した方がいい、ですよ?」
「戦力的な意味では勿論そうだ。……あの町からここへ辿り着けるなら」
とある理由でここを保護した理由も、何もかも。
意識を研ぎ澄ませば、確かに力を感じられる。
日に日に大きくなっていた違和感の正体も、きっとそれ。
「もっとちゃんと説明してほしい、です。何が何だか、全然……」
「気になっている事には全部答える。とりあえず今はこいつを仕舞うのが先だ。……さすがに今はこれがないと厳しい」
「やっぱり、昔ここにいた人だった、ですか?」
「ああ。ここまで綿密に調べられた資料は後にも先にも他にない。作成されてから現代までの間に多少の変化は起きているとしたら……いや、それを差し引いても十分だ」
データ化する手段も、それを閲覧するための機材も何もない。
「この区域……思っていた以上にとんでもない場所なのかもしれない」
写しを取るための時間さえ、今は惜しかった。




