第14話 化けの皮
それからさらに数日。声を掛けられて以降少女に会うことはなかった。
「――《水流》っ!」
しかし探す方にばかり時間を掛けるわけにはいかない。
最も優先する必要があるのはアイシャの魔法だという事に何も変わりはないのだから。
基本以前の問題が致命的だったというだけで、必要な知識はしっかりと持っている。
以前のような曲芸軌道を描く回数は格段に減り、今では炎弾以外の魔法にも手を出せるようになっていた。
「どう? かなり上手くいってたよね?」
「勿論、完璧だ。これなら明日以降は調整の回数を少し減らしてもいいかもしれない」
「やったっ」
油断はできない。完全に調整をしないなどもっての外。
もう少し詳しいことが分かればと思わずにはいられない。
それでも新たに分かった事はある。
球体にして撃ち出すより放射した方が、炎よりは水がアイシャに適している点。
こちらもまだ確証はない。だがここ数日を見る限りでは的外れでもないように感じる。
「そろそろ魔物退治とかも本格的にやりたいね。今はあまりいい依頼がないけど……」
「状況が落ち着いたら、だろうな。まったく迷惑な話だ」
三級以上、なんて条件の依頼もザラにある。
どうにかなっているのは討伐隊に参加する予定の冒険者が一部到着したからだろう。いや、だからそんな条件を加えたのか。
朝のトレーニングで偶然見つけた魔物はできる限り仕留めてある程度処理をしていたが、それでも全滅は遠かった。
何より厄介なのは一掃しても一晩経つとどこからともなく現れる点。日中姿を見なくなったと思っても安心材料にはならなかった。
おかげで協会ポイントも桁を間違えたような数値になってしまっている。得られた額もそれなりのものだが全く喜べない。
「あ、でもその前にキリハの装備をどうにかしなくちゃ。やっぱりちゃんとした防具は揃えた方がいいよ、絶対」
「いやいや、当面はこの胸当てとブーツだけでも」
「それ安くなってたのを買っただけだよね? 中古で」
それは勿論。
元の持ち主は何かいい物を手に入れたのだろう。数ある補修痕が長く使われた事を物語っている。
他に革製の防具は売られていなかったがこれだけでも十分だ。下手に金属の鎧を付けるより動きやすい。
もう何度目だろう。何もそこまで心配しなくても。
だが今回はそれ以上続かなかった。
何かが倒れ落ちたような鈍い音と、空を焼いた一直線の炎。
本来滅多に怒らないような現象だ。異常を知らせるには十分過ぎる。
「ねえ、今向こうで……」
「ああ。何かいる」
「もしかして誰か戦ってるとか?」
「いや、気配は一つしかない。とりあえずアイシャは戻ってガルムさんに伝えてくれ」
「わ、分かった!」
少なくともこの前の変異種ではない。
それどころかこの数日で相手をした魔物の中にあんな魔法を操る種族は一つもなかった。
精々小さな炎を吐く程度。あんな炎の柱を作り上げるような力はない。
それらを引き起こした元凶は未だにその場所に鎮座していた。自らの存在を隠そうともせずに。
(あくまで動くつもりはない、と)
茂みの中に飛び込んでも大きな気配に動きはなかった。
待ち構えているつもりだろうか。まさか倒された魔物の仇討ではないだろう。
遠くはない。《魔力剣》は既に用意した。
「――《土壁》!」
そうしていよいよ正体を目にできるかと思ったその瞬間、嵐が起こった。
周りの木々から生い茂った葉を根こそぎ奪い、それどころか表面を何度も刻む。
周囲の土を使って作り上げた壁も補強がなければ簡単に壊されていただろう。
「……随分大層な登場だな」
そうして刃物で切り裂いたかのような痕が幾つも刻まれた木に囲まれた俺の前に、そいつは姿を現した。
翡翠の瞳を持つ猛虎。刀のような長い牙を持った四つ足の魔物。
子供の頃に買ってもらった図鑑にあったサーベルタイガーの姿に限りなく近い。
だが間違いなくあの火柱を作り上げたのはこいつだ。周囲に風を纏い続けるこの魔物によって引き起こされたものだ。
(何故、今になって新種が……)
この世界で目を覚ましてから今に至るまで一度も見た事のない魔物。
あのゴブリンすら紛れていた朝の討伐の中でも、全く。
(冒険者と同じように呼び寄せた? だが――)
それはつまり、何者かの関与を意味する。
その可能性を排除していたわけではない。だがその場合、この状況は見たままのものとは言えなくなる。
考えるべき点はあまりに多い。
それでも魔物に飛び掛かられては優先度を落とさざるを得なかった。
周囲の木など存在しないかのように目の前に現れ、地面を砕く。
回避ついでにわき腹を斬ったが掠り傷。
追撃に放った氷の礫は周囲の全てを盾に変えて躱していた。
軽い。あまりに軽い。その場に足跡も残っていない。
斬撃の直前に横へ転がったりと芸の多い魔物だ。仕込んだ飼い主が見てみたい。
あれでは中途半端に追尾させても効果は薄いだろう。
「っ……」
しかも、切り返しからの突進に移るまでの時間があまりに短い。
受け流せば今度は反撃の前にその場を離れる。魔法を火の玉に撒きながら。
そうして続けざまに起こった爆発を防ぐとまた強靭な爪が振り下ろされる。音もなく近くの木を簡単に裂いてしまう爪が。
だからこそ、違和感を覚えた。
音がない。なさ過ぎる。
足跡もそうだ。あれだけ暴れて一切残らないという事があり得るだろうか? 俺が蹴った場所さえ分かりやすい跡があると言うのに。
(……試してみるか)
あえてサーベルタイガーとは真逆の方向に向かって走り出す。近付き過ぎず、離れすぎないように。
魔物は町に向かうことなく追って来た。炎の弾丸と突風で森を荒らしながら。
突進を仕掛けてきた瞬間に減速し、再び逆方向へ走り出す。あえて幅の狭い個所を選んでも、追尾は全く遅れない。
それどころか俺の目の前に炎弾を置き始める始末。保険のつもりか周囲でも立て続けに爆発が起きた。
やはり使う事ができるのは炎と風。逆にそれ以外はない。
簡単な魔法なら獣が纏う風の鎧で防がれてしまうのだろう。さっきも少し押し返される感覚があった。
だが本体の堅さに阻まれた感触は一切なかった。
「《糸雷》」
左手の指先からごく細の雷撃を伸ばす。
それらを通りぎわに木々に括り付け、交差させ、網のように張り巡らせる。
ついでに木に衝突してくれないものかとフェイントをかけたがどうやらそちらは期待できそうにない。いや、当たるわけがないのだが。
向こうも意図に気付いているのかすぐにはかからない。
想定通りだ。このまま範囲を広げて行動可能な範囲を狭める。それから。
「《針氷》」
針と言うにはやや大きな氷の棘が地面から顔を覗かせる。
何度も何度も。虎の着地点を予測しながら。それから、あえて無関係の地点にも。
踏めば怪我では済まないだろう。足が存在しているのなら。
(……踏んでもお構いなしか)
避けようともしないわけではなかった。
しかし先に置いたものとは別に足を着く寸前に設置した《針氷》を何度も踏んでおきながら、全く動きが鈍らない。
猛虎が飛び去った後には完全な形を保った氷の棘の姿がある。つまりはそういうことだ。
この魔物が何処かから連れて来られた事に変わりはない。
ある意味でこの前のゴブリンよりも厄介な能力の持ち主だという事も。
偽っているのは唯一、その外見。あとは中核の所在さえつかめば――
「は……!?」
「えっ?」
仕留めるだけの筈だった。
(冗談だろう!?)
何故こんなところに!
いや、違う。そんなことはどうでもいい。このままだと間違いなくぶつかる。その前に――
「ちょっと失礼!」
茶髪の少女を抱えて強行。それしかない。
本当に想定外だった。進路の先にいきなり現れたのだから。
この前の襲撃者のように気配を消していたわけではない。完全に気付けなかった俺のミスだ。
「な、なんですかいきなり! あなた確かこの前の……!」
「事情は後で説明する。あの魔物を倒すのが先だ」
そんな口論をしている場合ではない。言いたい事があるのはこちらも同じだ。
目的の地点はすぐ近く。少女の目にも猛虎は映ったようで、早速声を荒げてくれた。
「魔物? ……って、なんですかあれ! この辺りの魔物じゃないですよね!?」
「それが分かれば苦労はしない。だがあいつの本体は掴めた。このまま仕留める」
「仕留めるってそんな簡単に……!」
「簡単だとも」
既に仕掛けは整っている。《糸雷》で編んだ網は付近の全域に張り巡らせ、周りには《針氷》を設置済み。他にも少々。
地面を掘る能力があるわけでもない。少なくともそのそぶりすらいまだに見せない。
そしてこれらを避けた上で仕掛けようと思ったら。
「ちょっ、上見てください上! 葉っぱが……!」
「言われなくても」
身体と葉が接触していない事を誤魔化しつつ、上から襲撃するしかない。
「呑気なこと言ってる場合じゃないですよ!? このままだとわたし達二人とも――!」
「落ちついてくれ。上をよく見ろと先に言ったのは君だろう?」
「だから上にいるから……ん?」
上手くかかったか。やはり目で見て判断していたらしい。
逃れられないよう透明な防壁でその身体を挟む。そしてやはり脚や胴の一部は防壁を貫通していた。
「……なんか空中で動かなくなってますけど」
「ああ、その通り。あとは化けの皮をはがしてやるだけだ」
「なんですか化けの皮って。まるで魔物が変身してるみたいな言い方ですね」
「そんなところだ」
その手の魔物は多くないか、目撃例がないのだろう。こんな自信ありげな態度なのだから。
「吹き飛ばすなら……まあ、この辺りか。《旋風》」
まあいずれにせよ、この魔物が一例目になるだけだ。
「あんなこと言って結局普通に倒してるだけじゃないですか……」
「そんなことはない。もうすぐ――ああ、やっと見えたか」
牙も皮もすべて消え、残ったのは手のひら大の四つ足生物。
脱出しようともがいて暴れ、真っ赤な瞳とネズミのような口で自らの怒りを訴え続けていた。
「……あの、あそこにいる小さいのは?」
「あれが本体だ。自分と周囲の魔力を集めて、限りなく本物に近い形に見せかけていたんだろうな。大したものだ」
「はぁ。ちょっとよく分からないんですけど」
「だから言っただろう、化けの皮と」
まだ納得していないようだが逃げられてしまっては意味がない。話の続きは魔物を倒してからだろう。
「《流穿》」
最後まで脱出を試みていた本体は一直線に伸びた水流によって貫かれた。




