9 聖女様?
銀狼族。
平原の覇者とも呼ばれる彼らは、北部辺境領に暮らす獣人の中で四強と呼ばれる勢力の一角だった。
その特徴は強い団結力と集団行動。
呼吸を合わせて戦うことで、大型の魔物に対しても臆さず戦うことを可能にする。
勝利を積み重ねてきた彼らにとって、その戦いは悪夢以外の何物でもなかった。
勢力を拡大し南下してきたリーヴァス山脈のアンデッド。
どれだけ倒しても、また湧き出てくる。
長引く戦いの中で一人、また一人と倒れていく。
なんとか追い返すことはできたが、その代償は大きかった。
村の大人たちはその半数以上が重症を負い、衰弱していくばかり。
そんな絶望の中で、入ってきたのはさらに悪いニュースだった。
領主不在だった北部辺境に新しい領主がやって来たというのだ。
しかし、シオンという名の少年は、そこに一抹の希望を見出した。
公爵家の貴族である彼らなら、質の良い薬だって持って来たに違いない。
王国で流通している薬は、銀狼族が使うアストラルリーフの薬草よりもはるかに上質だと言われていた。
特にポーションと呼ばれる薬液の中にはどんな傷でもたちどころに治してしまうものさえあると言う。
(もしかしたら。いや、きっと――)
領主の邸宅に忍び込んだシオンが出会ったのは、領主を名乗る人間の少女だった。
『逃げないで! わたしは味方です!』
氷のような無表情の少女だった。
仕立ての良い服に身を包んだ彼女は、いかにも貴族家のお嬢様という感じで。
どうせいけ好かないやつに違いない。
そんなシオンの予想は見事なまでに裏切られることになる。
『薬ですか。ちょっと待っててくださいね』
少女は、縁もゆかりもないシオンにためらいなく薬を提供してくれたのだ。
決して安い薬ではないはずなのに。
それだけではない。
村に出向いて、診療までしてくれた。
医者としての知識を持っているらしい彼女は、見事な手際で狼たちを次々に治療した。
「あの子、いったい何者だ?」
「ありゃ魔法医師として相当の腕のはずだぞ」
「どうして無料で診療を」
村の大人たちが目を丸くするのを見て、シオンはうれしくなる。
獣人を嫌っている者も多い貴族家の人間ということで、当初厳しい目で彼女を見ていた大人たち。
しかし、診療が進むにつれ、その視線も少しずつ感謝するそれに変わっていく。
そして最後に、彼女が起こしたのはひとつの奇跡だった。
「たった一度の魔法で村の重傷者すべてを治療した……!?」
絶句する村の狼たち。
「俺の腕が……ッ! 俺の腕が元通りになってる……ッ!」
片腕だった狼の男性が興奮に目を見開いて言う。
「歩ける! ママ、歩けるよ!」
「ああ……こんなことって……!」
村中で喜びの涙が零れ落ち、
「痛くない! 痛くないぞ……ッ!」
「治った! 本当に治ったんだ……!」
村人たちは声をふるわせて、心から少女に感謝した。
狼を起源とする獣人の彼らは、際だって高い社会性と集団意識を持っている。
そこには狼の群れ同様、厳しい上下関係が存在する。
アルファと呼ばれる最上位の個体から、オメガと呼ばれる最下位の個体まで。
彼らの順位を決めるのは、性格と態度、そして集団への貢献度だ。
そして、魔力酔いによって気を失った少女は、知らないうちに圧倒的貢献度で銀狼族内の地位を上げていた。
「聖女様だ……聖女様がこの地に……!」
「ありがとう、本当にありがとう、我々の聖女、アリア様……っ!」
自身が聖女様? として。
銀狼族の中で尊敬を集める存在になりつつあることを。
食べ物の夢を見て、よだれをたらしている少女が知るまであともう少し。