1 出来損ないの少女
「お前はこの家にはいらない。出て行ってもらう」
十四歳の春、お父様はわたしに言いました。
やった……!
やっと言ってくれた……!
その言葉がどんなにうれしかったか。
だって、わたしはこの日をずっと待っていたのです。
わたしは跳びはね、拳を握り、くるくる回りながらこの喜びを空に叫びたい気分でしたが、こらえました。
今のわたしはあくまで、実家を追いだされる公爵家の三女。
絶賛いらない子扱いされているところなのです。
ここでよろこんでは、いけません。
空気を読むのは大切なことです。
わたしは悲しそうな演技をしながら、お父様の長い割に中身のないお話を聞き流していました。
「アリア様……不憫な……」
一歩後ろに付き添うメイドのクラリスが、かすかにつぶやく声が聞こえます。
どうやら演技はうまくできてる様子。
わたし、もしかすると将来は大女優になれるかもしれません。
「お前のような出来損ないがいると家名に傷が――」
お父様の嫌味も、今はなんだか感慨深く聞こえてきます。
今日まで長かった。
本当に、長かったなぁ。
わたしは、これまでの人生を振り返ってしみじみと思いました。
わたしは、代々聖女を輩出している名家、フランベール家の三女として生まれました。
フランベール家の聖女育成方法は単純。
スパルタです。
できないなら、できるまでやめさせなければいいじゃない?
これです。
最初わたしはどうかしてると思わざるを得ませんでしたが、やってみるとやっぱりどうかしてると思いました。
ほとんど虐待の域の教育が始まったのは、いつだったか。
物心つく前だったので正確には思いだせませんが、おそらく二歳の頃にはもう始まっていたのではないかと思います。
起きてから一日中続くお勉強の時間。
できなければ、寝ることは許されません。
わたしは寝るのが大好きです。
寝ているときが一番しあわせだと思うくらいです。
だから、わたしは最愛の時間を守るために全力で勉強に取り組みました。
前向きにがんばっていたのがよかったのか、わたしは姉たちより良い成績を取ることができました。
「この子、もうリリアと同じ点数を」
「嘘だろ、今日のは高等学校レベルの魔法薬学のテストだぞ」
「……この子は、天才なのかもしれない」
褒められるのはとてもうれしかったですが、その分テストの難易度が上がっていくのが地獄だったことを記憶しています。
それでも、愛する睡眠時間確保のため、必死で努力していたのがよかったのでしょう。
わたしは神童と呼ばれ、フランベール家で最も将来を期待される存在でした。
七歳の誕生日に行われる、魔力鑑定の儀を迎えるまでは。
魔力鑑定の儀は、この国に生まれた貴族の子供にとっては、最も重要な試験と言っても過言ではありません。
そこで判定される魔力は、わたしの生まれた国、アーデンフェルト王国の貴族社会において最も重要視されるものだからです。
魔力が乏しかったから、王位継承権を剥奪された第一王子。
魔力が不足していたから、代々一族で務めていた要職から降格になった辺境伯。
どんなに優れた家柄、立場でも関係なく、そういった例は非常に多くあります。
だから、貴族は子供の魔法教育に力を入れるのです。
わたしの家は、ちょっとやりすぎですが。
魔力量は、生まれついての資質もありますが、後天的なものも大きく作用すると言われています。
特に、ゴールデンエイジと呼ばれる七歳の誕生日を迎えるまでの教育が大切だ、と提唱する教育学者もいるみたいですね。
だから、貴族の子供たちにとって、この儀式は今までの努力の成果が試される最重要のテスト。
子供の将来は事実上ここで決まると言っても過言ではありません。
あの日、緊張しながら触れた測定球の感触をわたしは今でも鮮明に覚えています。
直後、見守っていた大人たちの狼狽する顔と、背筋を伝った絶対零度の汗のことも。
「残念ながら、この子には魔力がないようです」
わたしの人生が、ハードモードになったのはこのときでした。
わたしが魔力を持たないという事実は、家族と一部の者しか知らない秘密になりました。
家族にとって、わたしは家名に傷をつけかねない爆弾で、厄介者。
「いいか。絶対に誰にも見られるな。誰かに見られたら私はお前を殺すぞ」
お父様は、わたしを屋敷の地下にある鍵付きの書庫に幽閉しました。
外に出ることは許されません。
時々、姉たちがやって来てわたしをいじめます。
「いい気味よ。調子に乗ってたからバチが当たったんだわ」
だけど、当のわたしは意外と快適な毎日を過ごしていました。
もう勉強なんてしなくていい!
一日中ゴロゴロしても許されるのです!
なんという快適な生活!
しあわせはこんなところにあったのか!
わたしは思う存分惰眠を貪り、一日中ゴロゴロしたり、妄想をノートに書いて過ごしました。
『暗黒魔法使いアリア』はこの頃わたしが書いた代表作のひとつです。
呪われた左手の呪いを包帯で隠して生活しているアリアは、実は闇の力を持っていて、この世界の闇と人知れず戦っているのです。
わたしは意気揚々とお世話をしてくれるメイドのクラリスにノートを読ませました。
「こ、これは……」
そのときのクラリスの困った笑みと、『い、いいと思いますよ』というコメントは今でも忘れることができません。
なんということをしてしまったのでしょう。
もし過去に戻れたらなかったことにしたい出来事第一位です。
そんな感じで、意外としあわせに地下書庫での生活を送っていたわたしですが、人間とは欲深い生き物。
好きなだけ眠れてだらだらできるだけでも贅沢なのに、今度はさらに刺激を求めるようになります。
わたしは暇を潰すため書庫の本を読み始めました。
そこにあった本のそれはもう面白いこと。
まず夢中になったのは図鑑でした。
動物図鑑、植物図鑑、魔物図鑑……世界にはわたしが知らないたくさんの生き物がいることを知りました。
特に好きだったのは動物図鑑です。
なんともふもふで愛らしい姿……!
こんなのかわいすぎるではありませんか!
夢中で読んでいるうちに、わたしは気がつくと『動物博士』と『植物博士』、『魔物博士』のスキルを得ていました。
この世界では、本の内容を習得することでスキルを獲得できるみたいです。
「え? でもあの書庫の本は難しすぎて、誰も読めないものだと旦那様は言っておられましたが」
クラリスがそんなことを言うので、わたしはますます熱心に本を読むようになりました。
みんなが難しくて読めない本を読めるわたし、かっこよくない?
これです!
実際書庫の本はすごく難しいものばかりでした。
図鑑はその中の数少ない例外だったのです。
しかし、わたしには難しい本が読めるかっこいいわたしになりたいという欲がありました。
わたしは長い時間をかけて、書庫の本をひとつずつ攻略していきました。
『魔法薬学総論』、『魔法式構造学』、『量子魔法学的世界像』、『反安定魔法式曲線におけるファルツ予想について』
壁に投げたくなるくたい難しい本もありました。
実際二万回くらい投げました。
でも、がんばって読んで『魔法博士』と『魔法薬調合』のスキルを得ました。
他にも様々なスキルを得ていく中でわたしが感じたのは、この書庫はスキルを習得するための本が置かれているのではないかということです。
フランベール家は代々スパルタ教育の家系。
昔いたやばい当主が、この鍵付き書庫に子息を閉じ込め、各種スキルを習得させようとしたのではないか、と。
しかし、本が難しすぎて失敗に終わり、こうして放棄されることになったのでしょう。
そんな本を理解して、スキルが得られるわたしすごいのでは!
わたしはますます上機嫌で本を読みました。
交渉や駆け引きに使える『心理学』スキル、植物を育てる『栽培』スキル、ものの真偽を見極める『鑑定』スキルも便利そうです。
組織経営に使える『経営学』スキルや、戦いを指揮する『軍師』スキルは使いどころがないかもしれませんが、取れるものは取っておきましょう!
いつか使うことがあるかもしれませんし。
地理や歴史、世界について書かれた本もたくさん読みました。
世界を知るにつれ、次第にわたしは外の世界に出たいと思うようになりました。
好きなだけゴロゴロできる今の生活も快適だけど、外の世界にも触れてみたい。
しかし、ただ無闇に外に出ようとしてもうまくいかないのはわかりきっています。
書庫の外に出ただけで、お父様が怒りの化身になるのは見えていますし、めざとく意地悪な姉たちもいます。
そこでわたしが思いついたのはひとつの名案でした。
怒られるなら、見つからないように出ればいいじゃない?
わたしはまず本棚の裏に隠し通路を作ることにしました。
スプーンとフォークで壁に穴を開けるのは大変でしたが、幸い時間はいくらでもあります。
壁の向こうには換気口がありました。
わたしは換気口を伝って誰にも気づかれないように地下書庫の外に出ると、道具を調達しさらにお屋敷の極秘リフォームを続けました。
半年ほどかかって、隠し通路は完成。誰にも見つからずお屋敷を自由に移動できるようになりました。
何かあったとき屋敷の外に出られるように緊急脱出用の地下通路も作りました。
数年ぶりの朝焼けを見ながら、これもうこのまま逃げてもいいんじゃないかな、と思ったことお覚えています。
でも、わたしがいなくなるとフランベール家はあらゆる手段を使ってわたしを探そうとするでしょう。
口封じのために殺されてしまうかもしれません。
それは困ります。
こそこそ隠れて生きるのも嫌です。
そこでわたしは作戦を立てることにしました。
自分の意志で出ていくのではなく、お父様の方からわたしを追放してもらえばいいのです。
わたしは屋敷で働く誰かのふりをして、メッセージを父の書斎に忍ばせました。
『歪な環境で育った子供は、親に復讐しようとするかもしれない。差し出がましいかもしれませんが心配です』という内容のものです。
並行して、わたしはいかにも不気味で闇が深そうなお父様の絵を描いて、クラリスに渡しました。
効果はてきめんでした。
お父様はわたしを傍に置くことに危機感を覚えたようです。
続いて、わたしは北部辺境にある第十七公爵領の資料をそれとなく机に置いておきました。
この領地は、魔物が生息するリーヴァス山脈に面しています。
魔物が畑を荒らすため、人間の領民たちはここを放棄し、今は獣人さんだけが暮らしている領地。
領主代行を務めていたご老人が引退してから、後任が見つからず困っているという話でした。
山脈から流れ込む瘴気の影響もあって、収益は王国内で最低。
魔物と戦ってくれる獣人さんたちをかつては聖獣様と呼んでいたようですが、今ではそんなこともすっかり忘れ、一部の貴族たちは蔑んでまでいる様子。
わたしからすると、本当に許せない話です。
もふもふかわいい上に会話までできる!
その上、山脈の魔物を食い止めてくれて!
獣人さんなんて、この世で最も尊い存在だと思いますのに!
この誰も行きたがらない辺境にある第十七公爵領。
ですが、ここにわたしを送れば領主不在問題は解決します。
北部の辺境で人間も住んでいないので、わたしが魔力を持たないという事実が露呈する可能性も低い。
さらに、魔物との争いに巻き込まれてわたしが死ねば、自然な形で家名を汚しかねない爆弾を処理することができる。
頭の良いお父様は、自力でわたしが用意した解決策にたどり着いてくれました。
そして、わたしは遂に計画通り領主代行として北部に向かうことが決まったのです。
自由に外に出られるのはいったいいつぶりでしょうか。
考えてみれば、生まれてから一度もなかった気がします。
わたしは十四歳になっていました。
鍵付きの書庫に幽閉されてから、七年と九ヶ月が経っていました。
ああ、外の世界……!
本の中でしか知らない場所……!
いけません、頬がゆるんでしまいます。
ここはあやしまれないよう、悲しい演技をしておかないと。
顔をうつむけ馬車へと向かいながら、わたしはこれから始まる領主生活への期待に胸を膨らませていたのでした。




