魔王、笑う。
2時か。
俺の上で熟睡しているリリアナとフルララをベッドに移して、俺は窓を少し開けて外に出る。
鎧などに身を包んだ12人の人族が、音を殺して敷地の門の前に集まっていた。
窓を閉めてエントランスの屋根へと移動した俺は、門を直視する。
さて、オリファ達に声を掛けるか。
オリファとフルラージュは装備を整えてリビングのソファで仮眠を取っている。
倒すだけなら俺一人で十分なのだが、襲撃相手からの情報を引き出す役にオリファ達が必要だった。
《そろそろ、門を抉じ開けて入ってくるぞ。》
勿論、返事は届かないが、ソファから二人が起き上がるのを確認する。
門の施錠が破壊された音に続いて、門が開く金属音が夜の静けさを壊す。
おわっ! ッガゴン! なっ! ガガン! ゴゴンッ! どぉなっ! ガガシャ!
統制の取れた動きで庭へと侵入した襲撃者達が、フルラージュの作った罠で盛大に転んでいた。
そして、統一された鎧を身に着けていた襲撃者達であった為、寝た子を起こす程の騒音をあげていた。
リリナアとフルララは…目を覚ましてないな。
しかし、単純な物ほど引っ掛かった時の屈辱が大きくなるというが、これは見ていて面白いな。
よし、俺もやるか!
その前に、屋敷への遮音をしておかないとな。
俺は玄関の扉以外の屋敷の正面の壁に、結界魔術を施す。
さて、やるか!
滑る石床の上の、体勢を取り直そうと起き上がる襲撃者達の頭上に、直径5メートル程の水球を落とす。
ズン…バッツァアー!
突如襲う、上からの圧力。押し潰されるように膝を落とす襲撃者達。
そして、それが水の塊だと理解すると、溺れるように悶え足掻き、
水が地面へと通り過ぎて、庭へと流れ広がった後、
濡れた足と滑る石床で、また盛大にすっ転ぶ。
あははははっはははは!
駄目だ、笑いが止まらん!
丁度、玄関から出てきたオリファとフルラージュの足が止まる。
《いや、楽しませて貰った。相手はこの街の守衛兵のようだが、襲撃者なのは変わらないからな。遠慮しなくていいぞ。》
俺が近くにいると感じたフルラージュが周囲を探す素振りを見せる。
「ちょっとディムさん…相手の人達、既に戦意を無くしていませんか?」
「いや、逆に…頭に血が上っていそうですよ。あの人達。」
フルラージュの言葉に、オリファが腰の剣を抜いて前に出る。
《誰の命令か知らんが、逃げ帰る事は出来ないんだろう。》
「そのようですね。彼らの目は戦場に向かう目をしていますから。」
オリファの言葉が合図だったかのように、滑る石床から脱出した守衛兵士達が一斉に二人へと襲い掛かった。
フルラージュの『サイクロン』で数名の守衛兵士が吹き飛び、後続の者達を足止めする。
そんな中、オリファは一番先頭で隊長らしい行動を見せていた守衛兵士に剣を合わせる。
「この屋敷の住民を襲う理由は?」
「犯罪者が何をほざく! 各地の村や街での少女の誘拐。または両親を殺害してからの保護者と偽り、遠くの貴族や商人相手の人身売買。調べはついているからな!」
「それが、深夜に問答無用で屋敷を襲う理由ですか。」
オリファの剣が相手の体を押し返し、足の一撃で後ろに飛ばす。
剣を突き出し、相手を睨みつけるオリファ。
「主に仕える兵としてそれも正しい選択です。ですがそれは犬と同じです。
犬にこちらの言葉が届かない事も承知しています。
ですからこれは、互いの正義を掛けた戦と判断しました。
ここからは、命を奪うことに躊躇いはありません!」
オリファの踏み込みからの剣の一閃。
それは対峙していた守衛兵士の兜を横から叩き、足を掬われたように頭から地面に落下し強打する。
動かなくなった守衛兵士を見て身を強張らせる者。後ずさりする者。そして、敵討ちと言わんばかりに剣を振り上げた者。
その剣を振り上げた守衛兵士もまた、オリファの足払いで宙を舞い、振り下ろした剣で頭を叩かれて地面へと強打し、動かなくなる。
完全に戦意を砕かれた守衛兵士達が、オリファとフルラージュから距離を取る。
「話が通じない相手だとは理解していますが、これだけは言わせてください。」
相手を見定めるように突き出したオリファの剣に、守衛兵士達は静寂で答える。
「この屋敷に住む人達を犯罪者扱いにして襲った事を後悔するでしょう。それは貴方達自身ではなく、貴方達の家族が、貴方達の死体を前にした時に。」
「だから俺は違うと言ったんだあぁー! ここの人達が人身売買なんてするわけないって!」
守衛兵士達の一番後ろにいた男が大声をあげて、門の外へと逃げようとした。
声とその体格からして、まだ20才前ぐらいだろう。
だが、逃がしはしない。
俺は重力魔術で門を閉じ、固定する。
《オリファ、フルラージュ。存分に脅してくれ。》
「敵前逃亡は死罪ですよね。貴方は兵士としてこの屋敷に踏み入ったのですよね。
勝てない相手が居たから逃げました。なんて理由は通用しませんよ。」
オリファの言葉を理解したのか、門の鉄柵にしがみ付いていた兵士が、蹲るように膝を落とす。
「そうよね。私達がいなければ、貴方達は屋敷に住む無実の人達を皆殺しにしていたのでしょ?
もしかして、人身売買の事を言い広められないように、逃げてきた少女も殺害対象だったのかしら。貴方達に命令した、貴族商会の会長という人は。それとも、オロナ伯爵だったりしてね。」
フルラージュの話した内容に、守衛兵士達に動揺の声が広がる。
二人とも上手いな。
それに、俺が扉を閉めて逃がさなかった意図をよく理解している。
俺なら当然皆殺しで、首謀者を精神的に追い詰めるが、ここは人族の領地。
仮住まいとはいえ、良好な縁を壊すには惜しいからな。
築いた縁の中に、守衛兵士の家族がいるかもしれない。
そう思ったからこそ、オリファとフルラージュの判断に任せる事にした。
俺は屋根から下りて、花壇の物陰を移動して、近くの木に登り、枝葉の隙間からオリファ達を見下ろす。
剣を鞘に収め、兜を外し、両膝を地面に着いて降参の意思を示す襲撃者達。
「こんな終わり方をするとは…ああ、そうだな。家族に会わせる顔がない。」
一人の男が口にした言葉に、他の者達も苦悩と後悔の顔を見せる。
「勝手なお願いだと重々知っている。それでも頼む。
あいつだけは助けてやってくれないか。
この一部始終をあいつの口から仲間達に伝えて欲しい。
そして、これを命令したランドルとオロナ伯爵に報いる為に、リテラ公爵様にこの事を!」
「そんな事は、保護した少女と僕達の言葉があれば、事足りることなのですよ。」
オリファの口から事実を言われて、声を上げた兵士が肩を落として下を向く。
「そもそも、この夜襲が失敗した時点で、貴族商会の会長が人身売買の行為をした事が白日の下に晒されるのです。だから、万全の結果を得る為に12名という戦力を用意したのでしょう。
しかし、オロナ伯爵に関しては私達とは直接関わっていないですから、追求することが出来ません。ですから、それを貴方達が受け持ってくれるというのなら、私も剣を納めましょう。」
「貴方達とは? …私達全員を見逃してくれると言うのですか?!」
「見逃しはしません。最初に言った通り、これは双方の正義を掛けた戦いです。その戦いで、貴方達は敗北を認め剣を退きました。ですから、通例どおりに捕虜として扱うという話です。」
「なっ、なるほど! 判りました。では私達は、これからどのようにすれば宜しいですか?」
そうきたか。
正規の兵士だからこその、扱い方だな。
「そうですね。まずは、どういう命令を受けたのかを、教えてくれますか。それと、運良くそこの二人にはまだ息がありそうですから、治癒ポーションで回復してください。」
「判りました。ですがその前に、二人を拘束してから治癒しますので強靭な縄などをお借りできないでしょうか?」
「どういうことですか?」
「その二人が今回の命令と共に、我々の上官になったオロナ伯爵家の専属兵士なのです。」
状況を理解した俺は、オリファとフルラージュに屋敷の裏にある物置小屋に縄があることを伝えた。
フルラージュが縄を取りに行っている間、オリファは本来の隊長だった男から、今回の任務内容を聞き出していた。
人身売買を行っている犯罪者の隠れ家が判り、今現在、白い髪の少女が監禁されている。
屋敷の人間は全て犯罪者の関係者だから、見つけ次第殺害。少女を救い出し、オロナ伯爵の屋敷に連れて行く。
迅速に行う必要があり、深夜の襲撃とオロナ伯爵家専属の兵士が指揮に当たることになった。
「そういうことですか…なるほど…」
守衛兵士の隊長からの話が終わったとほぼ同時に、フルラージュが縄を持って戻ってきた。
守衛兵士の一人が持っていた治癒ポーションで、手足を縛って拘束した二人の兵士の意識が戻る。
「ここは…くっ! なんだこれは!? おい! くそ!」
「どういうことだこれは! お前達任務は!」
拘束に抗いながら状況を確認しようと視線を上げる二人の兵士。
それを見下ろす守衛兵士の隊長から殺意が放たれる。
「見ての通り、私達は降参し捕虜となりました。任務は失敗ということです。」
「なんだと! ふざけるな!」と、感情を露にした兵士だったが、どうすることも出来ない現状に観念したのか、目を閉じて無言になる。
それを見ていたもう一人の兵士も、目を閉じて静かになる。
「それでは、あなた達二人に少し質問があります。捕虜らしく全てを語って貰いますよ。」
オリファの言葉に目を閉じたまま反応を示さない2人の兵士。
「オロナ伯爵がどうして白い髪の少女の事を知っていたのか。そして、強引とも言える方法で手に入れようとしていた事についても、説明してください。」
当然、無言を貫く2人の兵士の顔の横に、フルラージュの出した炎の球が置かれる。
「顔を焼くとね、髪が焼けるにおいが臭いし、叫び声がうるさいのよね。だから…話してくれるとありがたいのだけど。」
「判った! 判ったから、火を消してくれ! 知っている事は全部話す!」
熱気だけでも十分に苦痛を与える炎に、男の一人が観念した。
「おい! こんな脅しに何を言っている! 人を殺す度胸もないやつの拷問などに屈するな!」
「何を勘違いしているのか知りませんけど、この庭を血で汚したくなかったから剣で叩き潰しただけで、十分殺すつもりでしたよ。僕は職業的に盗賊などを何人も殺してきましたからね。」
「私もそうね。この場所じゃなければ、纏めて焼き殺していたわよ。」
オリファとフルラージュの目は冷たく、淡々と語る姿に、その場にいた守衛兵士達は息を飲んでいた。
フルラージュは冒険者としての主な仕事は、街道や村などに出た魔獣の駆除と、馬車移動する貴族の護衛だと聞いていた。
当然、盗賊の類に出会うことがあり、躊躇なく対処していたとも聞いていたから、オリファと共に襲撃者との応戦を任せていた。
そうでなければ、フルラージュには屋敷内からの援護を頼んでいた。
「頼む! 話すからこれを消してくれ!」
兵士の一人が話すと言った事で、それ以上の交渉手段を見せる必要がなかったフルラージュは、焦らす事もなく、水の魔石を使って炎を消す。
もう一人の兵士には会話の邪魔をされたくないという理由で布で口を塞ぎ、そのまま拘束したまま放置し、話すと言った兵士の足の拘束だけ外して、座らせてからの尋問が始まった。
二人は集まった守衛兵士と同じ、レテイア領の兵士ではあったが、オロナ伯爵家との親族という事で専属兵士へと異動。
俺やオリファ達の思惑通り、内情を知っていそうな立場にいた。
だが予想は外れ、あの少女を捕らえるような理由は知らされず、ただ、伯爵としての立場が悪くなるから屋敷の住民を皆殺しにして白い髪の少女を連れて来い、という使い走り程度の立場だった。
しかし、犯罪者のアジトという話は守衛兵士を動かす為の嘘だったいう事を白状する。
さて、どうしたものか…
こちらから、あのオロナ伯爵というやつを脅してもいいが、レファルラが動いていることだしな。
《あれだな。無視する方向で、様子を見ることにしようか。そいつらには、このまま極秘に今からレテイアに走って貰え。そこの二人を拘束したまま連行し、今回の事を報告させる。
相手には、襲撃の結果が判らない状態になってもらう。》
俺の言葉を代弁したオリファに、守衛兵士達は最初、少しの動揺と困惑を見せたが、これが重要な任務だという事を理解し、オリファに対して兵士や騎士が行う儀礼の挨拶で答えた。
オリファもそれに対し儀礼を返す。
《そうだな、こいつらに真実を確実にして貰うために、あの少女を起こして連れてきてくれるか。》
俺の言葉に、フルラージュが静かに立ち上がり屋敷へと入っていく。
守衛兵士達の前に姿を見せた白髪の少女は、丁寧なお辞儀を見せる。
「初めまして皆さん。私はティアルと言います。」
「君は確か、東広場で踊っていた子だよね。」
一人の兵士が声を掛けると「はい。」と返事を返す少女に、同様の疑問を持っていた兵士達から、「ああ。」「やっぱり。」と声が出る。
それから少女は、自分が売られた話を守衛兵士達に話す。
『白髪の宿命』と遺体の取引の事は伏せて、政略結婚的な道具で引き取られたという話を。
「私はそれが嫌で、この屋敷の人達に助けて頂きました。私の為に公爵様へ知らせに行ってくれると聞きました。どうぞよろしくお願いします。」
もう一度お辞儀を見せる少女に、守衛兵士達は膝を突き、最大の敬意で答えていた。
『白髪の宿命』を伏せた事、それに、守衛兵士達がここに集まっているのが襲撃犯ではなく、これから助けてくれる人達だという話を、フルラージュが少女に伝えたのだろう。
拘束されている二人の兵士に少し驚いていたがな。
まあそれを、聞くような雰囲気でもないし、少女が訊ねるには無理がある。
そして、守衛兵士達に向ける少女の目が本物だと感じるのは当然で、疑う余地の無い事実となった。
与えた仕事を、求めた以上の成果を出すフルラージュに俺は感心した。
敷地の門から静かに出て行く守衛兵士達を俺達は見送る。
《俺は、こいつらが命令通りにレテイアに向かうか確認してくるから、屋敷の事を少し頼む。》
無言で頷きを見せたオリファとフルラージュが、少女を連れて屋敷の中へと戻っていくの確認した俺は兵士達の後を追った。
屋敷を見張っていた者は、この時間には居ない。
深夜に街道でずっと立っている者など、不審者ですと言っているものだからな。
守衛兵士達は、拘束した二人を連行するように住宅街を速やかに抜け、兵舎だと思われる建物に隣接する厩舎へと入って行く。
重厚な鉄の客車へと目配せした隊長の兵士。
意図を理解した兵士達は拘束した二人と一緒に数人が客車に乗り込み、残りの者が馬を客車に繋げていた。
「おいリッツ! 一体何をやっている?」
厩舎の奥の扉から兵士が一人現れて、馬車を準備していた隊長に声を掛ける。
「今から極秘任務で、レテイアまで要人の護衛だ。だから俺達の事を聞きだそうとする者が居たとしても、守秘しろよ。それがオロナ伯爵本人だとしてもだ。」
馬車の客車へと視線を向けた兵士。
「…ああ、判った。俺達はお前達の所在を知らない。という話だな。」
「そういう事だ。」
屋敷を襲った守衛兵士達が約束通りにレテイアに向かったのを確認した俺は屋敷へと戻り、リビングで待っていたオリファとフルラージュに報告と労いの言葉を伝えた。
「では、僕達は自室で休みます。」
《これから少しの間、気が抜けないと思うが、今は忘れてゆっくりと休んでくれ。》
「はい。はぁ~あ… んぅ~! ディムさんおやすみなさい。」
気が抜けたのか、フルラージュの大きなあくびと背伸びを見せる。
《ああ、おやすみ。》
魔力感知で、少女がベッドで寝ているのを確認した俺はリリアナとフルララが待つ自室へと戻る。
気になって起きていた。という事もなく、二人とも幸せそうに熟睡している。
さて、俺も少し眠るか。
朝7時。
いつもと変わらず、いつもの時間に目を覚ました俺は、フルララとリリアナに挟まれるように抱きつかれていた。
まあ、俺から二人の間に入って寝たからな。
「パパ!」
突然、目を開けたリリアナの腕が、俺を強く抱き締める。
《おはよう、リリアナ。フルララを起こしておいてくれるか。俺は朝食の準備に行って来るから。》
「うん! フルララおこす。」
《うおっ!》
「ディムさん!」
リリアナが手を離した瞬間、突然、目を開けたフルララが俺を抱き締める。
「フルララおきたぁー!」
「ふふっ、リリアナちゃんおはよう。おはようございますディムさん。」
リリアナが負けじと腕を伸ばした為、結局また二人に抱き締められる形に戻った。
《よく眠れたようだな。》
「はい。昨日の夜はどうなりましたか?」
《ああ、オリファとフルラージュが撃退してくれた。だから、二人は何かあるまで寝かしてやってくれよ。ティアルだったな。あの少女も一度夜中に起こしているから、目が覚めるまで起こさないでいいからな。》
「はーい!」「はい。」
ようやく二人の腕が離れた俺は、朝食を作りに向かった。
母とリリアナとフルララの3人とで朝食を済ませた俺はティアル用の朝食を作り、プレートに載せる。
《フルララ、ティアルは目覚めているようだから、朝食を持っていってやってくれ。》
ベッドの上で上体を起こし、ぼーっとしているのを魔力感知で俺は見ていたのだ。
「はい。朝食後は、どうします?」
《本人の希望に任せる。部屋にいてもいいし、リビングで寛いで貰っても構わない。俺はリリアナの帽子になれば問題ないからな。》
「部屋で帽子は…まあ、お気に入りですからね。」
クスっと笑って、プレートを持ち上げるフルララ。
「おねぇちゃんにごはんもっていくの、リリアナもいく!」
そう言った後、蜜柑ジュースを飲み干したリリアナが椅子から飛び降りる。
《じゃあ、二人共、ティアルの事を頼んだぞ。》
「はーい。」「はい。」
二人を見送った俺は、紅茶を飲んでいる母に頭を下げる。
《今日も騒がしい一日になると思う。》
「見ていて楽しいですよ。」
母の見せた笑顔は本当に楽しんでいる時の笑顔で、俺は変わらない母の姿に、嬉しさと懐かしさを感じていた。
母を不快にするような事は…さすがに人族の世界では起きないだろうな。
「命の価値を知らない者に、命を与えてやるつもりはない。その魂に未来はないと思え!」
そう言い放った母は、弱い種族を下等生物と罵って道具か玩具のように扱っていた黒獅子の一族を、絶滅寸前になるまで虐殺した時の事を俺は思い出す。
ティアルはリリアナと遊ぶ事にしたらしく、リビングの絨毯で積み木遊びを始めていた。
フルララはソファでそれを眺めている。
俺は当然、リリアナの頭の上だ。
リリアナはティアルと絵を描いて遊んだり、フルララも交えてカード遊びをしたりと、時刻は11時になろうとしていた。
そろそろ昼食の準備をしようかと考えていると、小道前の街道に一台の馬車が止まる。
《ラージュ、オリファ。客が現れたようだから、起きてくれるか。》
《フルララ、客が来るが応対しなくていい。ラージュとオリファに今回は任せるからな。》
《リリアナ、俺をフルララに渡してくれるか。ちょっと外を見てくることになるかも知れないからな。》
俺はそれぞれに念話を送り、来客者への準備を済ませる。
チリンチリン~♪
丁度、オリファとフルラージュがエントランスホールに降りてきた時に呼び鈴が鳴った。
《フルララ、俺達は二人の後ろから話を聞くぞ。》
「リリアナちゃん、ティアルさん。少し席を外しますけど、部屋から出ないでくださいね。」
「うん、わかったぁ。」「はい。」
少し不安顔を見せるティアルだったが、小さな頷きを見せ、リリアナとの遊びを再開する。
俺は帽子の姿のままフルララに抱かれる形で、エントランスホールへと移動した。
「どちら様でしょうか?」
玄関の応答小窓を開けて問い掛けるフルラージュ。
「オロナ伯爵様の執事長をしているハリエントと申します。ここに白髪の少女が居ると聞いて、旦那様が足をお運びになられましたので、屋敷の主様との話し合いの場を求めます。」
「話し合いとは?」
「オロナ伯爵様の実弟であるランドル・レツナの愚行に対して、こちらの屋敷に保護を求めた少女の引渡しの件です。
オロナ伯爵様は、犯罪行為を行った弟には既に法的な処分を下し、当事者の少女に償いたいというお気持ちから、養女として受け入れたいと申しております。」
「養女とは? 彼女には父親がいた筈ですけど? 人身売買という行為を行った父親も犯罪者ですが、彼女の父親には変わりませんよね?」
「父親と思われる人物は、明朝に死体となって発見されました。状況から盗賊に襲われたと思われ、その確認も含め、少女を我々が引き取るという話です。」
「そうですか。では、その遺体の確認は私達が行いますので、遺体場所を教えてください。白髪の少女は彼女の意思でここに滞在していますので、お渡しする事とは出来ません。」
「おい! いい加減しろ!」
執事長とは明らかに違う声の者が、荒げた声と共にドアを叩く。
「俺が娘の面倒を見てやるっていっているのだぞ! 親族が居ない子供を養女にするのに、お前達の意見も、娘の意見も必要ない! 伯爵家の養女にしてやるって言っているのだ! 態々出向いた相手に顔も見せないとは、どういうつもりだ!」
「昨晩、あなたの命令で、貴方の兵士と守衛兵士がこの屋敷を襲撃しました。」
「はっ? そんな事は知らん。俺はそんな命令を下した覚えはない。お前は襲撃者の言葉を鵜呑みにするのか? 馬鹿馬鹿しいっ!」
「なるほど。それが貴方の立ち位置なのですね。判りました。ですが私達は、襲撃の首謀者。それが、貴方への認識です。ですのでどうぞお引取り下さい。」
「なっ! なんだとぉ!」「旦那様、お止めください!」「俺を侮辱し怒らせた罪を忘れるなよぉ!」
扉を足で何度も蹴る音がエントランスホールに響く。
「ディムさん…これどうしましょうか?」
お手上げ。という感じの仕草を見せるフルラージュに、苦笑いを浮かべるオリファ。
さすがフルラージュ。期待通りの結果だ。
相手の出方も判ったことだし…
《そうだな…水でもかけて追い返すか。》
「私は水魔術が使えませんから、ディムさんが?」
《ああ、それでも構わないが…そうだな、これをラージュに渡そう。」
俺は直径15cm程の水の魔鉱石を一つ取り出し、フルラージュに渡す。
「これって、魔鉱石ですか?!」
《ああ、6層の洞窟湖で沢山拾ったからな。持ち易さも兼ねて、それくらいが丁度良いだろう。》
魔鉱石は魔石の数百倍の魔力が入っているし、この大きさなら魔術強化で強力な水魔術も発動させることが出来るだろうしな。
「ありがとうございます。早速試してみます!」
言うが早いか、扉を押し開けたフルラージュの行動に驚いて後ずさりした男二人が、フルラージュの出した直径2メートル程の水柱に押し流れされていた。
「お前ぇー!」
いかにも貴族だ。という服装の男が立ち上がると、草の切れ端や泥が全身に付着している。
「顔でも洗って出直してきなさい!」
カン! カン! カン! カン! カン! … カン! カン! カン! カン! カン!
冒険者ギルドが鳴らす鐘の音が突然鳴り響く。
その音は5連音で、俺はその意味を知るはずも無く。
「ディムさん、これは武装状態での緊急招集合図です。もっとも緊急性が高い合図で、魔物の襲撃くらいにしか発令されないものです。」
フルラージュが冒険者ギルド員としての知識を口に出す。
なるほど、ギルド共通の音なんだな。
「くそ! こんな時になんだ! ハリエント! ギルドまで急ぐぞ。
お前達の処分は後日だ! 街から逃がさないからな!」
憎しみと怒りの形相を置き土産にした、ずぶ濡れの二人が敷地の門から出て行くのを俺達は黙って見届けた。
《俺達には幸運の鐘の音だが…街の外に魔物が迫ってくるような気配は無いぞ?》
気配とは言ったがそれは比喩的な言葉で、魔力感知で調べた結果を俺は伝えた。
「冒険者の殆どがダンジョンの6層に居るはずなのに…この鐘の音は誰に向けての合図なのか…ちょっと判らないですね。」
フルラージュが悩み顔を見せるが、俺はリビングで待っているティアルの事が心配だった。
《まあ、この街に押し迫った危機なら俺達でなんとかすれば良いだろう。
それよりもだ、ティアルが父親の事に気付いているかもしれない…》
執事との直接的な会話は聞こえていないが、伯爵の怒鳴り声の中にその言葉に繋がるものがあったのだ。
「そうですね。彼女には私から説明します。遺体の確認もあることですし。」
《すまないな。よろしく頼む。》
俺はフルララの腕の中で頭を下げた。
リビングに戻ると、絨毯の上に立ったまま固まっているティアルの表情は暗く、エントランスホールから戻った大人3人に向けた視線が痛々しかった。
「ティアルちゃん、少し声が聞こえていたと思うけど…お父さんが遺体で発見されたらしいの。
まだ確認していないから判らないけど、覚悟だけは…しておいてね…」
フルラージュの言葉に、ティアルは唇を強く閉じて、泣く事を我慢しているようだった。
そんなティアルにリリアナが無言で抱き付く。
それはお腹辺りに顔を埋める事になるのだが、ティアルは応えるようにリリアナの頭を抱きしめる。
俺達はそれを黙ってみていることしか出来なかった。
そんな中、バーカウンターから二人を見つめていた母が席を立ち、ティアルの頭を優しく撫でる。
「少し父親と別れるのが早くなってしまったとしても、それまでの思い出を大事に、これからを生きていけばいいからね。辛い別れになってしまったけど、貴女は自分の生きる道を選んでここに来たのでしょ。だから、その気持ちを強く持って幸せになりなさい。貴方が望む未来は、貴方が歩いて行くしかないのだから。」
たしかにそうだった。ティアルは既に父親と決別していたのだ。
だが、微かな望みを抱いてたからこそティアルは今、涙を我慢している。
「大丈夫。私達が道を切り開いてあげるから。貴女は独りじゃないのよ。」
母の最期の言葉に大粒の涙を流すティアル。だけど、声をあげることはなく、「あ゛り゛がどうございます゛。」と、肩で何度も涙を拭いていた。
「確かにロチアさんです。」
ジュースとケーキで、少し強引にティアルの気持ちを落ち着かせた頃、ロチアが屋敷の敷地に入ってくるのを、オリファが確認する。
今はリビングのカーテンを全て開けているから、俺が来客者を感知してオリファに確かめさせたのだ。
チリン♪ チリン♪
「こんにちわ、ロチアですっ! 少し相談したいことがあるのですがっ!」
フルララが出迎えに向かっていたが、少し声が荒いロチアの声がリビングまで届く。
ここまで少し走って来たと判る程、胸を上下に動かし息が荒いロチア。
それをフルララが、倒れないかと心配しながらリビングへと連れて来る。
「あっ…えっと、彼女は?」
ソファで目と目元を赤くしているティアルに視線を向けたロチアが、初対面の相手なのに、自分のことよりも心配そうな顔を見せる。
「うちの客人です。それよりもロチアさん、水で良いですか?」
「あっ、ありがとうございます。」
フルララの差し出すコップを受け取り、一気に飲み干すロチアが、息を整える大きな溜息を漏らすまで、俺達は静かに見守っていた。
空になったコップをフルララに返すと同時に、ロチアの口が開く。
「あのっ! 兄をっ! 兄を助けてくれませんかっ!」
切羽詰った、切実な願いだと判るロチアの姿に、オリファが真っ先に言葉を返す。
「何がありましたか?」
その落ち着いたオリファの対応にロチアは気持ちを静める事が出来たらしく、ゆっくりと話始める。
「まずは、先ほどの鐘の音の事から説明します。
6層でずっと狩りをしていた冒険者達が1時間程前に帰宅したのですが、その理由が15メートル程の飛竜型ドラゴンに拠点を襲われたとのことで、数名の死者がその時に出ました。
それと、6層から5層へと繋がる崖道を破壊されて、100名程の方達が今現在も6層に取り残されいます。
6層での狩りを続行するのは不可能、そう判断しての退却だったので、取り残された人達を救い出そうとする人達は居ません。
しかしそれを認めない冒険者ギルドのマスターが、『ドラゴン退治の絶好機会。そして脅威を取り除く為に戦え。』と、緊急クエストを発令しました。」
そこまで聞けば、おおよその話が見えてくる。
おいおい、次から次へと問題が発生するとか…
俺達に祭りを楽しませたくない何かがあるのか?
「お兄さんが取り残されているんだね。そして僕達に、その緊急クエストに参加して欲しいという話なのか?」
オリファが想定の言葉を口に出す。
「あっ…いえ…そんな危険な事を頼むなんて事は致しません。それに無理矢理受けさせらた緊急クエストで、本気でドラゴンを倒し冒険者仲間を救い出そうと思っている人は殆ど居ません…」
口を閉ざし、意を決するような表情を見せたロチアがフルララへと耳打ちする。
「銀の騎士様にドラゴン退治をお願いしたいのです。」
「えぇー!」
大声を上げるフルララ。俺は偶然にもフルララの腕の中に居たままだったからその小声を聞くことが出来たが、他の者達には聞こえてはいない。
フルララ否定。否定しろ。
それでは…関係者です。と認めているのと同じだぞ。
俺は、「なぜそれを!」と言わんばかりの顔を見せるフルララに頭を抱えた。
手がないから気持ちとしてだが…
《ちょっと、ロチアに銀の騎士の関係者だと感づかれていた。見ての通りフルララが、それを認めた顔になっているから、オリファとラージュ、それとフルララはエントランスホールで話をすることにする。
リリアナはここでティアルを見ていてくれ。》
《うん。わかったぁ》
身内だけに念話を送った俺は放心状態のフルララを立たせて、ロチアをエントランスホールへと連れ出す。
やれやれ…ドラゴンに襲われたといっても小型だろ。数百人居れば対処できるだろうに…
《おい、フルララっ! しっかりしろ! 銀の騎士の関係者だとどうして判ったのか聞き出してくれ。それから、銀の騎士は知り合いだという事にしておけよ。それ以上の事は言わなくていいからな。》
それから放心状態から戻ったフルララがロチアに真相を訊ねると、ロチアは申し訳なさそうな表情を見せたまま、全てを話してくれた。
なるほど…あの寸胴鍋とケーキか。
ロチアが秘匿していたから助かった事だし、今後も秘匿すると約束しているし、良しとするか。
この屋敷の身内は全員『銀の騎士』を知っている。と、フルララが説明した後、ロチアから詳しく話を聞くことになった。