フルララ、安らぎを得ている。
レテイアに戻るお母様とナトレーさんを見送った後、私はリリアナちゃんとリビングに戻りました。
「ようせいのおねえちゃん、あしたもみにいく!」
「そうね。元気になった姿を見に行こうね。」
私とリリアナちゃんだけ知らされていなかった理由を聞いた時には納得しましたけど、リリアナちゃんはそうでも、私は大人なんですからね。
表情を隠して話すことも、ちゃんと出来るんですからね!
「ふるららぁ?」
「あっ! うん。なにして遊ぶ?」
「ようせいさん、かくの!」
笑顔のリリアナちゃんに急かされた私は、画紙と色蝋筆を棚から出してソファテーブルの上に並べました。
「そういえば…ディムさんも妖精ってことになるんだよね…」
「ん?」
「できたぁー!」
顔を上げて笑顔を私に見せるリリアナちゃん。
テーブルの上には、沢山の花の中に羽を広げた女の子の妖精と黒い丸が描かれています。
ディムさんです。ちゃんと角がありますからね。
「綺麗に書けたね。リリアナちゃん喉渇いてる? ジュース飲む?」
「うん、のむ!」
「誰か屋敷に入って来ましたね。」
私がソファーから立ち上がるのと同時に、ルヴィア様の声が耳に届きました。
「この時間に来客者?」
「随分と慌てているようです。」
チリンチリン~♪
「すみません! ティアルです! 助けて下さい! お願いします!」
玄関の外、扉越しでもリビングまで届く声に、私は駆け出します。
「僕も行こう!」
私よりも入り口に近いソファでお酒を飲んでいたオリファさんも既に立ち上がっていて私よりも先にエントランスホールに出ました。
オリファさんが玄関の扉を開けると、ティアルさんが雪崩れ込むように扉を抜けてきました。
それを抱き寄せるようにオリファさんが受け止めます。
「どうしました?」
オリファさんはティアルさんを抱き寄せたまま扉を閉めようとしたところで、動きが止まりました。
「屋敷の入り口の門の所に誰か居ます。一人のようですが…フルララさん、この子をリビングに。」
「はい。ティアルさんこっちに。」
私が差し出した手を握り、未だ恐怖から逃れられないといった表情を見せるティアルさん。
「大丈夫ですからね。ここには強い人が居ますから。」
ディムさんは居ませんけど、オリファさんとフルラージュさんが居ます。
それに、リリアナちゃんを安心して預けられるとディムさんが言っていた、ルヴィア様も居ます。
そりゃ、女神様ですからね。
私とすれ違うようにエントランスホールへと現れたフルラージュさん。
「外の事は私とオリファに任せて良いわよ。」
「はい。お願いします。」
私は、少し落ち着いた表情になったティアルさんとリビングに戻ります。
「ようせいのおねえちゃんだ…んと…」
心配そうな顔を見せるリリアナちゃんに、私は笑みを返す。
「ちょっと疲れたみたいかな。リリアナちゃん、隣に座って見ててくれる? 私は飲み物取って来るから。」
「ん! みる!」
「私も見てるから、慌てずにね。」
バーカウンターに座っていたルヴィア様もソファに座り、私は二人にティアルさんを任せて調理部屋へと走りました。
冷たい氷水を入れたガラスポットに、果物と絞り器。紅茶のセット、お菓子色々をワゴンに載せてリビングへと戻ると、オリファさんとフルラージュさんが戻っていました。
私はリビングの北側にある使用人用の通路を使って調理部屋へと往復したので、エントランスの声を聞くことが出来ませんでした。
なので、とりあえず冷水をティアルさんの前に置き、お菓子をテーブルの上に置いて、蜜柑を絞ることにしました。
「えっと、どうなりましたか?」
蜜柑ジュースをリリアナちゃんと、冷水を飲み干したティアルさんの前に置き、視線をオリファさんへと向けます。
「彼女は、ランドル・レツナ・オロナという貴族商会の会長の養女になったから引き渡してくれと言われました。」
「えっ…それって、」
「ええ、15歳以下の子供を養子に出来るのは孤児院などで育てられている子。もしくは家族を亡くした直後。そして、子爵家以上の立会いが必要よね。」
私の言いたい事を、フルラージュさんが言葉にします。
それは、ティアルさんに確認を取る為の発言でもありました。
「お父さんは死んではいません…私を貴族の娘に…それが幸せになるからと…お金を受け取って…ん゛っ」
溢れる涙を袖で拭き続けるティアルさんに、フルラージュさんがハンカチーフを渡しました。
「そう…なるほどね…」
「執事と名乗った人には帰って貰ったから。だから安心して、ゆっくりでいいから何があったのか詳しく教えてくれるかな。」
オリファさんの言葉に、涙を堪えながら「うん。」と頷くティアルさん。
それから私達は、ティアルさんからの話しを最後まで聞きました。
話し終えたティアルさんは、今はリリアナちゃんと一緒にお菓子を食べています。
話の内容をリリアナちゃんが全部理解しているとは思えませんが、お父さんに捨てられたという事だけは判っていて、一生懸命励まそうとして、今は一緒にお菓子を食べています。
そんな二人をルヴィア様が見守るように、一緒にいてくれます。
「おねえちゃん、これもおいしいよ。」
「うん…ありがとう。」
そんな二人を眺めながら、私はフルラージュさんとオリファさんと別のソファで話合いを始めました。
「まさか遺体を剥製にするなんて…人形のように飾る目的だと思うけど、最悪ね。」
フルラージュさんの言葉に私もオリファさんも静かに頷きます。
「今は彼女を客人として招いている私達の立場に相手は手を引いた状態ですけど、仮に父親が現れた場合には、彼女を庇う事が難しいと思います。」
オリファさんの重苦しい雰囲気に、私は息を飲みました。
「…お父様を説得すれば、そうでなくても、ティアルさんの意思で屋敷に残るのだったら、私達は守る事が出来るのではないですか?」
「たぶん、無理ね。」
私の言葉に、フルラージュさんが首を横に振ります。
「どうしてですか?」
「この時間になっても現れないってことは、父親は殺されている可能性が高いのよ。」
「えっ?! 」
私は声を荒げそうになるのを押さえました。
「序に言うと、あの子も直ぐにでも薬漬けにして人形に変える段取りだと思うわよ。」
「?!」 私は言葉に詰まりました。
「人身売買は違法行為。それをあの子の見ている前で行った事。
あの子を父親から引き離す手段として使ったと思うけど、あの子がそれを別の誰かに話す事になれば、その貴族商会の会長という人の立場が無いわよね。
だから、本来なら誰にも会うことなくあの子の処置を終わらせるつもりだったのでしょうけど、私達の屋敷に逃げられた。そして当然、私達に知られてしまった。」
「それって…つまり…」
「ええ、確実に襲ってくるわね。今夜にでも。」
「そうですね。外へと出る道の先には、既に見張りなどがいると思います。」
オリファさんのその目は、戦いに向けた騎士の眼差しになっていました。
《随分と面白そうな話をしているな。》
うひゃ! えっ?! ディムさんどこから…
私はソファの影から現れたディムさんを見つけました。
テーブルの下に隠れるように移動したディムさんに、私は小さく声をかけます。
「おかえりなさい、ディムさん。ティアルさんの事で少し…」
《ああ、リリアナに大体の事は聞いている。だが詳しい内容を教えてくれるか。》
えっ? リリアナちゃんから? いつのまに…
そんな素振りもなく、ずっとティアルさんと遊んでいるリリアナちゃんに少し驚きました。
それから私がティアルさんから聞いた話をして、フルラージュさんが推測の話をディムさんに伝えました。
《なるほどな。ラージュの考えに俺も同意見だ。現に、街道からこの屋敷を監視しているような者が数名いるしな。》
「屋敷の門を今日は閉めますか?」
《ああ、そうだな。そうしてくれ。》
静かに立ち上がったオリファさん。
「私も行くわ。」
フルラージュさんも立ち上がり、二人は無言で目を合わせていました。
《外は気にしなくていいからな。普段から閉めている感じで頼む。》
小さく頷くオリファさんとフルラージュさんが、ちょっと席を外すという雰囲気でリビングから出て行きました。
《俺はあの少女を匿う部屋を準備してくる。階段上がってすぐの部屋でいいだろう。》
「はい。それじゃあ、私はリリアナちゃんとあの子を見てます。」
《ああ、部屋の準備が出来たら呼ぶからな。》
ソファの影から使用人の通路へと、床を滑るように移動したディムさんを私は目だけで追って見送りました。
それは、控えめに言えば目にも留まらない速度で小動物が全力で逃げるような姿でしたが…
黒い塊が床を這って移動するのはちょっと…
私は考えを振り落とすように首を少し振って、リリアナちゃん達がいるソファへと戻りました。
「ティアルさんの部屋を準備しますから、安全になるまでこの屋敷で過ごしてくださいね。」
「あの…ご迷惑をお掛けしてすみません。」
「ううん。迷惑なんて全然思ってないですからね。それよりも、逃げてここまで辿り着いた事に私は嬉しく思っています。」
これも、ディムさんが教えてくれた『運命』なんですよね。
生きるか死ぬか。生かされるか殺されるか。
生死の明暗を分ける最後の要因は、結局のところ『運』になる。
だから、誰かの運に係わり、命に係わる時は、その命の価値と重さを受け止めて判断しろ。
命を救うのか、見捨てるのか、そして奪うのかを。
ここにいる私達、ここには居ないお母様達も、皆が救いたいと思った命を、ティアルさんが運んできたのです。
その『運命』は私達にとっては2度目なんです。
誰も迷惑だなんて思っていません!
「本当に、無事に、ここまで来てくれてありがとう。私達に貴女を救える機会を与えてくれた事に、心から感謝します。」
私はティアルさんに頭を下げていました。
「いえ…そんな…」
ティアルさんからの言葉はそれ以上はなく、手を頬に当て、涙を堪える姿を見せました。
「ようせいのおねえちゃん、おうちにおとまり?」
さっき書いていた絵をティアルさんに見せていたリリアナちゃん。
最初は元気付ける為に一生懸命だったけど、今はいつものように楽しんでいる姿に変わっていました。
「うん。ティアルさんが安心して過ごせるようになるまで屋敷で守る事になったの。その間は、ティアルさんは屋敷から出られないんだけどね。」
凄く嬉しそうな笑みを見せるリリアナちゃんに、私は肩の力が抜ける感覚になりました。
同じく、まだ緊張感が抜けていなかったティアルさんも、その笑顔に力が抜けたようです。
《部屋の準備が出来たぞ。少女を案内してくれるか。》
「ティアルさん、お部屋に案内しますね。」
「あっ、はい。よろしくお願いします。」
「リリアナはここにいる!」
一緒に行くと思っていたリリアナちゃんでしたが、何故か部屋に残ると宣言しました。
まあ、ルヴィア様が居ますし…
ティアルさんを2階へと案内する時、エントランスホールから玄関を見ましたが、当然扉は閉まっていて、オリファさんもフルラージュさんの姿もありませんでした。
まだ外にいるのかな?
私はティアルさんを連れて2階へと上がりました。
「ここが、ティアルさんのお部屋になります。」
階段上がって直ぐ右手にある扉を私は開けて、部屋の中を確認します。
ここは一度フルラージュさん達用に家具を置いて、片付けた部屋。
その片付けたベットとソファセットが戻っていました。
「クローゼットは無いので、それは明日ですね。着替えの服も買わないとですし。」
私は部屋の中へとティアルさんを案内し、ベッドの寝心地を訊ねます。
「とても寝やすいです。」
「よかった。じゃあ、今日はこのまま寝ましょうか。寝付くまで私が傍にいますから。」
ベッドに横なったティアルさんから、疲れが溢れ出したかのように脱力する姿を見た私は、シーツを掛けてあげました。
体を横向きして私を見るティアルさんの手に、私は手を添えます。
「ありがとうございます…」
目を閉じたティアルさんから小さな寝息が私の耳に届き、私は手を添えたまま、深く寝るのを待ちました。
10分程してリビングに戻ると、大きくなったディムさんに抱き付いているリリアナちゃんの姿が見えました。
「ディムさん、見かけないと思ったら、戻ってきてたんですね。」
《ああ、リリアナがずっと我慢していたからな。入れ違いで部屋に入った。》
リリアナちゃんがリビングで待っていた理由が判りました。
私も我慢していたんですからね!
オリファさんとフルラージュさんも戻っていてきて、ソファで寛いでいました。
「外はどうでしたか?」
「やはり、明らかな視線を感じましたけど、気付かないフリをして門の鍵を閉めてきました。」
それは北の大地を目指し森の中で野営をしていた時のような、気を張っている時のオリファさんの言葉でした。
「私はちょっと、罠を作ってきたのよ。」
オリファさんとは対照的に、楽しそうな笑みを浮かべるフルラージュさん。
《なに? そんな事をしていたのか。》
何故か、ちょっと口惜しそうなディムさん。
リリアナちゃんと遊んでいるディムさんでしたが、私達の話をちゃんと聞いていたみたいです。
私も今すぐディムさんに抱き付きたいです。
リリアナちゃんみたいに、したいです!
「砂と風で良く滑る石板を作って入り口に敷いてきました。」
《それは良いな。》
上機嫌な声がディムさんから返ってきます。
そんなディムさんが、私がずっと見せていた視線に気付きました。
《ん? どうした?》
「いえ、私達もそろそろ、寝室で寝た方がいいかなと…」
ディムさんのベットでっ!
《そうだな。何かあれば俺が気付くから、しっかりと睡眠をとった方が良いだろう。オリファ達も襲撃に備えて休んでくれ。》
「はい。ではもう少しだけここで休憩してから、寝室に戻ります。」
「じゃあ、私もオリファと一緒に。」
やったぁっ!
私はソファから立ち上がり、リリアナちゃんに声を掛ける。
「リリアナちゃん、お待たせっ!」
それからオリファさんとフルラージュさん、それと普段と変わらず読書とお酒を嗜むルヴィア様におやすみの挨拶をして、リビングを後にしました。
私達は自室に入る前にティアルさんの部屋を少し覗き、熟睡しているのを確認します。
《おねえちゃん寝てる?》
私は小さく「うん。」と答えました。
今日一日で色々な事がティアルさんに起きたのだから、疲れていたのは当然です。
「明日は静かに過ごせるといいな。」
《どうだろうな。》
何故か否定的な言葉に聞こえなかったディムさんの言葉に笑みを浮かべた私は、静かに扉を閉めました。
「フルララはやく!」
「判ってます! はい、準備出来ました!」
上着を脱がせたリリアナちゃんが、ベッドになったディムさんに飛び込んでから、私も急いで服を脱ぎ、ディムさんに飛び込みます。
あ~ちょっと冷たくて気持ちがいい~
やっぱりディムさんの感触が一番です。
あ~しあわせ~
一緒にベッドに入る時は私に抱き付いて寝ることが多いリリアナちゃん。
今日もリリアナちゃんの抱き付きを感じながら、ディムさんに包まれています。
はぁ…ほんと幸せです。
ディムさんがシーツを掛けてくれて、少しするとリリアナちゃんの寝息が聞こえてきました。
「ディムさん、一口…」
《ああ、今日もありがとうな。》
体の向きを変え、ディムさんの角を一齧り。
口いっぱいに広がる甘い葡萄の味に、私の疲れが飛んでいきました。
はあぁ~しあわせです~
私はリリアナちゃん抱き寄せて目を閉じました。
「おやすみなさい、ディムさん…」
《おやすみ、フルララ。》