フルララ、トカゲを食べる。
「なにこれ! 凄く軟らかいお肉です。」
小さい頃に食べた事があるらしいドラゴンの肉を食べて、その軟らかさに驚きました。
「ん!」
リリアナちゃんも、その軟らかさに驚いているのか、目を丸くしています。
「肉としては牛肉のような味ですが、血の臭みというのが全くないのね。
そしてこの軟らかさ…これがドラゴンの肉なんて信じられない。」
フルラージュさんも目を丸くしていました。
「これは、今まで食べてきたドラゴン種の肉とは少し違いますね。
味はよく似ていますがこちらの方が肉としての旨味が強く、そして肉の硬さが全然違います。」
「そうね。ドラゴン種とドラゴンでは、ここまで美味しさが変わるものなのですね。」
ナトレーさんとお母様の話から、ドラゴンの肉は更に特別な肉なのだと理解しました。
《そうだろう! ドラゴン種も悪くはないが、断然こっちの方が美味いんだ。
数も少ないから、俺も滅多に食べられる物じゃないからな。》
ディムさんの嬉しそうな念話が聞こえます。
「それじゃあ、ディムさんの分をお土産に買っていかないと。」
《いや、今度は自分達用に狩ってくるから大丈夫だ。ドラゴンの肉は美味いが、冷めた料理になると硬くなって意味がない。
ナトレーも食材として使ってみたいだろう。》
「はい。是非、色々と試したいと思っていました。」
《俺もだ。》
ほんと、判ってますけどね…ディムさんが規格外なのは。
ドラゴンを普通の魔獣と同じ扱いで話すし、ナトレーさんと料理の話になるしで…
「リリアナぁ~!」
商店街の道に置かれたデーブルでドラゴンの料理を楽しんでいると、アンジェちゃんの声が聞こえました。
「アンジェぇ~ティエスぅ~」
リリアナちゃんが声をする方へ体を向けて手を振ります。
ルーテアさんとリオラさんの前を歩いていたアンジェちゃんとティエスちゃん。
二人が駆け出しそうになっているのを、ルーテアさんとリオラさんの繋いだ手で止めているのが見えました。
それを引っ張るように私達のテーブルまで来たアンジェちゃんとティエスちゃん。
「ドラゴン見に行くの。 リリアナちゃんも行くの?」
「うん! みんなでみにいく!」
ルーテアさんもフルラージュさん達と一緒に早朝に見に行ってたので、それをアンジェちゃん達に話して見に行くのは当然ですね。
私達はお母様とナトレーさんに見て貰う為に、ドラゴンを見に行くことになりました。
「アンジェ! おやさいさんでもも! みううりあるの!」
リリアナちゃんが野菜店のおばさんを指差して教えています。
その意味を逸早く理解したルーテアさんが、アンジェちゃんとティエスちゃんに声を掛けました。
「あそこで、桃と蜜瓜が買えるって。アンジェとティエスも一緒に買いにいく?」
「うん! ママといっしょに行く。」
ジュースなども色々と買って戻ってきたルーテアさん達が隣のテーブルに座り、私達の話題は『銀の騎士』になりました。
「商業ギルドが困っているってだけで、ドラゴンを提供するなんて…滅茶苦茶だと思いませんか。」
ルーテアさんの言葉に、私は笑いそうになるのを堪えながら頷きました。
ほんと、滅茶苦茶なんです。
「銀の騎士は次元倉庫を持っていますから、以前何処かで倒したドラゴンだと思いますが、こんな祭りの為に使うなんて信じられませんよね。
所長のハミルドさんからその理由を聞かされましたけど、それでも信じられませんでした。
歴史的な大事件になりますよ、これ。
たぶん単独であのドラゴンを倒したと思いますけど、それってもう、魔王を倒せる程の力があることの証明でもありますから。」
確かに、ディムさんなら魔王を倒せるかもしれません。
ん? いえ…ディムさんは魔王の側近だったんだから…魔王ってディムさん以上の強さってことになるんじゃ?
そもそも、それだともう…魔王独りで世界征服出来るんじゃないんですか?
ディムさん独りでも出来そうなのに…
「それがどうして…この街の祭りなんかに…銀の騎士は自身の存在を今まで隠していたというのに。」
それは、一番はリリアナちゃんに祭りを楽しんで貰うためです。
そして、冒険者ギルドが気に入らない、っていう理由です。
なんてことが言えるはずもなく、私は一緒に悩む素振りを見せるのでした。
「まあでもこれで、岩蛸のお礼を伝える事が出来ます。
ハミルドさんから、私達が感謝している事を伝えて貰う約束をしてきましたから。」
「そうなんですね。それは良かったです。」
既に伝わってるし、リリアナちゃんの頭に乗って今も聞いているんですけどね。
まあ、これでルーテアさんの気兼ねが無くなるってことになります。
「それでは、私達はドラゴンの解体作業を見てきますが、皆さんは?」
ルーテアさんの質問に、私は視線をリリアナちゃんとお母様に向けました。
「ん! スライムさんみてからいく!」
「スライムさん?」
お母様達が首を傾げていますが、私達にはすぐに判りました。
もちろんルーテアさんも気付いたようで、
「輪投げ屋さんは、店を閉めちゃってもういないみたいなの。スライムさんを虐めていたらしくて、皆から怒られたんですって。」
「えっ! そうなんですか?!」
驚いた私が思わず先に言葉を出していて、言葉を飲み込んだリリアナちゃんの寂しそうな顔がルーテアさんに向けられていました。
「はい。イカサマ的な商売をしていたようで、もう街からも出て行ったのではないでしょうか?」
「スライムさん…おしごとがんばってたのに…」
凄く悲しそうな目を見せていたリリアナちゃんでしたが、すぐに立ち直ったような表情を見せました。
「ん! ドラゴンさんみにいく!」
ディムさんが念話で慰めたのかな。
「うん。スライムさんは元気だと思うし、ドラゴンさん見に行こうね。」
私はディムさんから話を聞いていたので、ディムさんがリリアナちゃんに話した内容をなんとなく理解して、元気になったリリアナちゃんを椅子から降りるのを手伝いました。
アンジェちゃん達と一緒に行くことになったので、サーカスを見に行った時のように、ティエスちゃんと手を繋いだアンジェちゃんが先頭になって、私の手を引くリリアナちゃんが続きます。
「ママどっちぃ~!」
ですが今回は、倉庫の場所が分からないアンジェちゃんだったのでした。
それからルーテアさんの指示の元、アンジェちゃんが最後まで先頭を歩き、ドラゴンが解体されている倉庫へと辿り着きました。
「人がいっぱい並んでる。」
アンジェちゃんが倉庫の入り口を指しながら、ルーテアさんや私達に教えてくれます。
「そうね。たぶんあれがドラゴンさんを見学する順番だと思うから、聞いてみましょうか。」
「うん! 聞いてくる。」
ティエスちゃんの手を母親のルーテアさんに預けたアンジェちゃんが、小さく駆け出しました。
「一人で大丈夫ですか?」
私の心配に、ルーテアさんから微笑みが返ってきます。
「はい。アンジェはお姉ちゃんですからね。それに、パパがちゃんと見守ってますから。」
そう言われて、リオラさんがアンジェちゃんから目を離さず、少し後ろから見守っているのに気付きました。
なるほど。
ティエスちゃんの面倒をルーテアさんが見ているから、何も言わなくてもリオラさんがアンジェちゃんになるわけですね。
私のお父様は仕事で忙しかったから、こういうのはちょっと憧れます。
手を振って私達を呼ぶアンジェちゃん。
ルーテアさんとリオラさんがそれに応えるように、笑顔をアンジェちゃんに送りました。
ドラゴンの解体作業を見学する列に並んから10分程が経過。
私達は入り口の扉を通って、倉庫の中へと入りました。
「さむっ!」
っと、私の口から出ましたが、冷気に体が馴染むと少し肌寒い程度の冷たさだと気付きます。
リリアナちゃんも温度差に少しビックリしただけで、直ぐに私の手を引いてアンジェちゃん達の後に続きました。
「あし! あしある! しっぽもあるぅ~!」
解体されているドラゴンは倉庫の中央にあり、見学者用の通路になっている場所からだと少し離れていましたが、切り落とされた足先や尻尾が、通路上に展示されていました。
足先だけでも人の何倍もある大きさ。それを見学者達が触ったりしています。
だけどリリアナちゃんは、確かめるように見るだけで、視線は解体中のドラゴンへと直ぐに戻ります。
「おにくいっぱいとれるかな?」
「凄いね。もうあんなになってるなんてね。」
頭も尻尾も足も無い状態のドラゴンは、皮膚を全て剥ぎ取られていて巨大な肉の山になっていました。
そして、内臓らしい肉も部位ごとに積まれていて、作業している人達の手によって木箱へと小分けされていきます。
「リリアナちゃんは、怖くはないの?」
ルーテアさんの言葉に私が視線を戻すと、アンジェちゃんとティエスちゃんが青ざめた顔を見せていました。
あっ…普通はそうなりますよね。
「ん! いのちだいじ。ちゃんとたべてあげないとだめなの。」
「リリアナちゃんの言う通りね。」
ルーテアさんの感心する微笑に、リリアナちゃんは嬉しそうな笑みを見せました。
「でもそれじゃあ…どうしてアンジェちゃんとティエスちゃんを?」
普通なら、最初に気付きそうな当たり前の疑問を、私は口に出していました。
リリアナちゃんで、その事をすっかりと忘れていたのです…
「本物のドラゴンを見る機会って、もう無いかもしれないでしょ。それと、私達が携わっている仕事がどういうものなのか、それを教える機会だと思ったからです。まあ、ティエスにはまだ早過ぎるとは思いましたけどね。」
「確かにそうですね。あっ! いえ、ティエスちゃんには早過ぎたというのは別ですよ。
リリアナちゃんが生き物を狩る事の意味を理解しているのは、経験と教えがあったからです。
だからティエスちゃんも、今日の事で考えるきっかけにはなったと思います。」
「そうね。リリアナちゃんを見ればそう思います。でも、リリアナちゃんの経験って?」
疑問符を浮かべているルーテアさんに、私は少し冷汗が出ました。
どうしよう…なんて言えばいいのかな?
「えっとですね…凄く山奥で自給自足の生活をしていた時期がありまして…熊とか野鳥とかを獲って食べていたんですよ。」
「そうだったの!? それはまた…凄い経験をしていたのね。」
納得した顔を見せるルーテアさんが、そのまま何か考え事をしている時の表情を見せていましたが、見学者の列が進んだので、私達も後を追うように次の場所へと向かいました。
倉庫の一角にある大きな木箱のような部屋に入ると、大きなドラゴンの頭部が入ったガラスケースが真ん中にありました。
「ひぇ!」
私はガラス越しに見るドラゴンの顔に恐怖を感じてしまい、身が竦んでしまった。
そうですよ…やっぱり、トカゲですこれ!
無理です! 無理なんです!
「フルララったら。」
お母様が笑っていますが、無理なものは無理なんです!
「ほんと、大きいわね。でもどうして、ガラスの中にこれが?」
ガラスケースを見上げるお母様が、独り言のように呟きました。
すると、その声に導かれたように、一人の男性が私達の前に現れました。
「腐敗しないように、特殊な薬品に漬ける為の入れ物なのですよ。本来は学術的な標本を作る為のものなのですが、今では貴族宅などで飾られている剥製標本の代わりに使われているのが殆どです。」
「ああ、これがあの置物を作る工程でしたのね。ということは、これから薬品を満たしていくのですか?
「はい。今日の昼過ぎには薬品が到着しますので、この状態での見学はそれまでとなっています。
その後は、少し紫色をした液に浸かった状態での見学になります。」
「標本として完成するのはいつ頃なのでしょうか?」
「そうですね。この大きさだと4日程はかかると思います。」
「そうなのですか。大変面白い話が聞けました。ありがとうございます。」
「いえ、こちらこそ。こういう場での標本作りは初めてですし、このように見て貰って、興味を持って貰えるだけで、嬉しい事ですから。」
男性はお母様と会釈を交わし、その場から消えるように立ち去りました。
私は恐る恐るという感情を抱きながら、確かめるようにガラスケースのドラゴンの頭部を見詰めます。
あのトカゲの置物…あんな物が家にあるから、ダメになったんだから!
ほんと誰よ! あんな物を贈ってきた人!
徐々に込み上げる苛立ちに、私の恐怖心はどこかに行ってしまいました。
《フルララ、なにか気に入らない事でもあったのか?》
手を繋ぐリリアナちゃんが私を見上げていたので、私は少し屈んで、小声でディムさんとリリアナちゃんに話し掛けました。
「私がトカゲ嫌いになった理由を思い出していたのです。
これで作った5メートルくらいのトカゲの標本が、突然家の庭に置かれていたのですよ。」
《それは本当に災難だったな。》
「ほんとですよ。もう…」
さっきまで心配そうな顔を見せていたリリアナちゃんが、私に笑顔を見せてくれました。
「フルララわらった。」
その言葉に私は気付きました。ディムさんに話したことで、苛立ちが消えていたことに。
「うん。もう大丈夫! でもそろそろ外に出たいかなぁ~」
トカゲが怖いのは消えていませんからね…
私の言葉にお母様達が笑い、その理由をお母様がルーテアさん達に話して、同じように怖いと思っていたらしいアンジェちゃんとティエスちゃんも一緒に笑った後、私達は倉庫の外へと出ました。
倉庫の外に出ると、商業ギルドのハミルドさんに詰め寄っている男性が目に入りました。
「ですから、あのドラゴンは6層で狩られた物だと断定出来ませんよね。それと、私どもは銀の騎士様から直接買い取ったのですから、所有権を主張されても受ける道理もありません。
頭部の標本と皮膚などは5日後のオークションで販売しますので、欲しい物があればそこで落札してください。
これは私ども商業ギルドと銀の騎士様との正式な取引が行われた商品です。
オロナ伯爵とはいえ、口を出す権利はないはずです。」
「ッチッ」
明らかに憎悪を見せる男性の舌打ちが私の耳にも聞こえました。
「そうでした。ドラゴンの頭部標本のオークション価格は白金貨5000枚からですので、ご準備の程をお願いします。」
ハミルドさんが離れていく男性に告げた言葉に、男性は顔を少しだけハミルドさんに向けた後、2度目の舌打ちを返してその場を後にしました。
「これは皆さん、ドラゴンの解体見学がどうでしたか?」
何事も無かったようなハミルドさんの笑顔に、お母様も何も見ていなかったような笑みを返します。
「ドラゴンを間近で見れたことや、普段見慣れない解体作業を子供達に見せることが出来て、とても有意義な時間でした。」
「ありがとうございます。そのような意見を頂けたこと、嬉しく思います。解体現場で働く者達の励みになるでしょう。」
「ハミルドさん、先程の方はオロナ伯爵ですよね?」
ルーテアさんの質問に、ハミルドさんは苦笑いを浮かべていました。
「ええ、本当に身勝手な方です。」
「あの方は、何を主張していたのですか?」
お母様の質問に、ハミルドさんは言葉を続けます。
「クラリムのダンジョンで得た物は、領主様から管理を任されている私の許可なく取引をしてはならない。
今まで無かった条例を、さも昔からあったかのように語って、ドラゴンの売り上げの一部を遣せ。という、そういう話でした。」
「そうですか。それは私達にも困った話になりますね。」
「いえ、伯爵が勝手に口に出した事ですからトレジャーハンターの方々の権利を奪うようなことはさせません。ですので、お気になさらずにダンジョン探索に出掛けてください。」
「ありがとうございます。」
お母様の一礼に、フルララさんとオリファさんも合わせていました。
そっか、さっきの話ってそういう意味もあったんだ…
私達がこの街にいる表向きの理由はトレジャーハントですから、お母様はそれで話しかけたのですね。
私達はハミルドさんに見送られながら、大通りの東広場へと向かいました。
商業ギルドの倉庫から近い場所にあって大通りの一番東に位置する広場なので、教会に近付くこともありません。
そこでは大道芸人達のショーがあったり、旅商人の露天があるのとのことでした。
東広場に入ると、小さな歓声を受けている一人の少女がいました。
少女の見た目はアンジェちゃんよりも少し上くらい、短い白い髪が印象的な12から15歳くらいの女の子でした。
頭を下げて歓声に応える女の子は、少し恥ずかしそうな笑顔で頭を何度も下げています。
「あの子も大道芸人なのかな?」
「ようせいさん?」
白い花の妖精だと見間違うような、可愛くて綺麗な服を着ている女の子に私はもちろん、リリアナちゃんも目を奪われています。
それは『花園の妖精』という童話の絵本に出てくる白い花の妖精にそっくりだったからでした。
「あの子は踊り子ですよ。祭りの2日目に拝見しましたけど、凄く綺麗な踊りを見せてくれました。」
「うん。すっごく綺麗だった。」
ルーテアさんとアンジェちゃんの言葉に、ティエスちゃんが大きく頷いています。
「そうなんですか…見てみたかったねリリアナちゃん。」
「うん。みたい!」
「確か、朝の10時から踊りを披露する筈だから、その時間にまたここに来れば見れるとおもいますよ。」
「そうなんですか! リリアナちゃん、また明日見に来る?」
「うん。みにくる!」
ルーテアさんに笑顔を返すリリアナちゃん。私も、教えてくれたルーテアさんに感謝のお辞儀を返しました。
それから、広場で大道芸を見せる人達を見て回った私達は、帰宅する時間になったルーテアさん家族を見送りました。
「次は、あそこに行ってみませんか?」
私は露天屋台が並んでいる場所を指差しました。
「リリアナも!」
リリアナちゃんも気になっていたようで、嬉しそうな笑顔を私に向けて手を上げました。
《ああ、もちろん良いぞ。》
東広場から大通りへ入る遊歩道には、民芸品のような装飾品や調度品を扱うお店に、見たこともない加工食品などを売っているお店が並んでいました。
フルラージュさんがキョロキョロと辺りを見渡しながら、楽しそうな笑みを浮かべています。
「ここは…旅商人の露天広場ってところかな。」
「そうなんですね。どうりで、見たことのない物が並んでいると思っていました。フルラージュさんの故郷の品とかありますかね?」
「探せばあると思うわよ。それじゃあ私は、少し探してみるわね。」
「僕も一緒に。僕の故郷の物もあるかもしれませんから。」
フルラージュさんとオリファさんが、楽しそうな足取りで奥へと入って行きました。
「見つかるといいな。」
《そうだな。》「そうですね。」
思っていた事が口に出ていたようで、ディムさんとお母様から、優しい声が私に返ってきました。
露天広場の入り口から並んでいる屋台を、順番にリリアナちゃんと一緒に見ていた私は見覚えのある絵が描かれた本を見付けましました。
「これって…」
「おへやのえ?」
リリアナちゃんもすぐに気付きました。
《ああ、よく似ているな。》
「なになに? 何かあったの?」
どこかに行っていたと思っていたフルラージュさんが後ろから覗き込みました。
「あっ、いえ。あの絵に似ていると思った物が。」
「ほんとね。おじさん、その本の値段っておいくらですか?」
フルラージュさんの声に、他の客の相手をしていた店主さんの視線がこっちに向きました。
「金貨一枚。それは一つしかない古い本だからな。それと、古すぎて本を開くことが出来ないが、値段の交渉はしないでくれよ。」
ジッと、私達を品定めするような視線を続ける店主さんに、「金貨一枚ね。」と、懐から出した金貨をおじさんに渡すフルラージュさん。
「ありがとうよ。」
店主さんから本を受け取ったフルラージュさんの手が私へと向きました。
「はい、フルララ。これはあなたにあげるわ。」
「え…良いのですか?」
「ええ、その為に買ったんだから。」
「ありがとうございます。」
私はフルラージュさんから受け取った古文書を大事に抱えました。
《フルララ、違和感とか無いか?》
突然のディムさんの心配する声に、私は小さな声で「違和感ですか?」と聞き直し、本を改めて確認してみました。
「はい、普通の本みたいです。開くことは出来ませんが。」
《そうか。それなら問題ない。》
「リリアナにもみせて!」
私は両手を広げるリリアナちゃんに本をゆっくりと手渡しました。
「ん~あかない。」
残念そうな顔で本を私に返すリリアナちゃんでした。
露天見学はまた明日。という事になり、私達は商店街へと向かいます。
「どうしてフルラージュさんは、直ぐにこの本の購入を決めたのですか?」
私は、迷いもなく購入することを決めたフルラージュさんに疑問を投げ掛けました。
「あの絵と関係ありそうな物だったからかな。さすがに開かない本だとは思わなかったけど、まあ、手元にあれば後で後悔することは無いでしょ。」
確かに、その通りでした。
ディムさんとリリアナちゃんの住まいになっていた部屋の壁に書かれていた絵に似ている本の表紙。
気になって眠れなくなっていたかも知れません。
「はい。ありがとうございます。それで、故郷の物は何かありましたか?」
フルラージュさんの返事は、笑顔とオリファさんが持っている紙袋への視線でした。
「杏の砂糖漬けよ。甘くて美味しいのもそうだけど、お酒にも合うのよね。」
「甘い物をお酒と一緒にですか?」
「ええそうよ。甘い物でも合うものと合わないものがあるけど、杏の砂糖漬けは合うのよね。」
当然、その話を聞いていたお母様とナトレーさんからも杏の砂糖漬けに興味を示し、早速今日の夜に試す話になりました。
私は試しませんけどね。
商店街に戻って来たのは昼食もここで食べる事にしていたからで、もちろんドラゴンの肉をまた食べる為でした。
「ドラゴンはどうだった?」
商店街の肉屋さんの奥さんが、焼きたての串焼きをリリアナちゃんに1本渡します。
「ん! おにくになってた! おっきなかおもあった!」
「ふふっ、美味しいお肉になってたのね。お嬢さんはどうでしたか?」
私は、肉屋の奥さんから人数分の串焼きが乗った皿を受け取りました。
「ドラゴンって、やっぱりトカゲです! って思ってしまいました。それと、トカゲは見るのも嫌なのですが、こうやってお肉になっていると…美味しくて笑顔になるんですよね。」
私は、漂う串焼きの香ばしい匂いに頬が緩んでいました。
「確かに、大きなトカゲね。それも世界一美味い肉のトカゲですね。」
そう言った奥さんから笑い声が上がり、私も釣られるように小さな笑い声を漏らしました。
それぞれが色々な屋台からドラゴン肉の料理を買ってきて、朝と同じテーブルに座って昼食を楽しんでいると、荒々しい声を上げる男性の声が聞こえてきました。
「直ちに、ドラゴンの肉の販売を中止しなさい! それはオロナ伯爵の許可なく扱うことを禁止されています! 無許可での販売を続けるのであれば、この街の法に則って処罰しますよ!」
何かの紙を広げて見せて歩いている男性に、商店街の人達は困惑している表情を見せ、食事を楽しんでいた観光客や街の住人達は静かに事の流れを見ています。
さっきまで賑やかだった商店街に、嫌な空気が広がっていきました。
「そんな法令、今まで無かったですよね。どうして祭りを邪魔するような事をするのですか!」
血相を変えて男性を追い掛けてきたロチアさんが、男性の前に立ち止まりました。
「祭りを邪魔しているのはどっちだ! この街では、ドラゴン種や高級食材は我々の商会が扱ってきた商品だ! 法令が今まで無かった? 違うだろ! 平民が扱っていい食材じゃないからお前達には渡してなかっただろうが! 知らない馬鹿共に、わざわざ教えに来てやってるんだよ!」
「それは、商店街の方々が仕入れしなかっただけじゃないですか! ここは、街の人達の生活を守る場所なんですから!」
「ガキが知ったような口を言うなぁああ!」
振り上がった男の手に、私は席を立ち上がりましたけど、当然間に合うわけでも無く、目を背けてしまいました。
爆音とも言える大きな破壊音が一つ、私の耳に届きます。
私は、すぐに目を開けて、ロチアさんへと視線を向けると、そこにはロチアさんを守るように男性の手を受け止めるオリファさんがいました。
そして、オリファさんの足元にあるレンガ敷きの歩道が少し陥没しているのが、さっきの音の正体だったと気付きました。
「女性に手を上げる者が伯爵の印章を掲げるのですか。
そんな者に公書を任せるここの伯爵様は、底が知れていますね。」
オリファさんの挑発にも聞こえる言葉に、男性は腕を下げて睨み返していました。
「いいか! ドラゴンの肉は伯爵様の許可なく扱ってはならない! これはこの街の法だ!
よって、これ以降の販売を禁止する!」
睨み付ける目から勝ち誇った表情に変わった男性の声が商店街に響きました。
そんな…せっかくディムさんが捕まえてきたのに…
商店街の人も、皆も楽しく食事していたのに…
《フルララ! おい、フルララ! 今から俺の言うことを叫べ! そうすれば全がひっくり返る!》
「え?! そんな事を叫ぶのですか?」
私はディムさんから聞かされた言葉に半信半疑というか、恥ずかしい気持ちになりました。
《ああ、その言葉の意味を理解出来るのは、フルララと会話した肉屋だけだ。もちろん、フルララが口に出すから通じる話でもあるからな。商店街を今すぐ救えるのはフルララだけだ。》
そう、ディムさんから言われば、私の恥ずかしさなんて些細な事です。
「判りました。」
私は息を大きく吸って、
「肉屋のおばさぁ~ん! トカゲ肉の串焼き! もう一つくださいぃー!」
「リリアナもぉー!」
椅子に立ち上がって手を上げるリリアナちゃん。
静かにだった商店街に響く私とリリアナちゃんの声。
静寂に戻った商店街に、肉屋の奥さんが屋台に張られていた『ドラゴン肉の串焼き』という張り紙を破り捨てる音が響き、
「はーい! トカゲ肉の串焼き2本! 世界一美味しいトカゲの肉ですよー!」
私とリリアナちゃんに、肉屋の奥さんの笑顔が届きました。
「俺もトカゲ肉の串焼きくれ!」「俺はトカゲ肉の包み揚げだ!」
次々にトカゲ肉という言葉で注文をする客達に、商店街にあった『ドラゴン』と書かれていた看板と張り紙が取り除かれていきます。
「ふっ、ふざけるなぁー!」
顔を赤くするほど激情している男性の目が私に向きました。
「ふざけていません! ドラゴンは高級なんですよね! じゃあ、この大きな肉が刺さった串焼き1本小銅貨2枚ってあり得ないですよね! だから、これはトカゲの肉なんです!」
これもディムさんから伝えられていた言葉でした。
「そうです! これは銀の騎士様が私達商業ギルドや商店街の皆さんへと獲ってくれた世界ー大きなトカゲの肉です! ですから、商売の邪魔ですのでお引取りください。」
オリファさんに守られてたロチアさんが、最後は商業ギルドの職員としての態度で、男性に一礼を見せました。
顔を赤くしたままの男性が逃げるように走り去り、商店街に大きな歓声が上がります。
それからはロチアさんや商店街の皆さん、そして食事を楽しんでいた方々からの感謝の言葉が私とリリアナちゃんへと贈られました。
それと、オリファさんにも沢山の声が掛けられていましたけど、半分以上が女性からの熱い視線でした。
私達の家族分の串焼きが盛られた皿を持った肉屋の奥さんが私達のテーブルに来ました。
「はい、注文の串焼きお待たせしました。これはうちからのサービスね。さっきの機転、本当にありがとう。」
「いえ、たまたま思い付いただけだったので。それに、あの言葉の意味を分かって貰えて、こちらこそありがとうございました。」
私は頭を下げて、奥さんからお皿を受け取りました。
「本当にそうね。もし気付いて貰えてなかったら、凄く恥ずかしいことになっていたから。」
フルラージュさんの言葉に、私は血の気が引くというか、今更ながらとんでもない事をしていたことに気付きました。
「ドラゴンをトカゲ扱いにした話をしたばかりでしたからね。それがなかったら気が付かなかったかも。」
そう言って嬉しそうに笑う奥さんに、私は恥ずかしい気持ちと安堵する気持ちで、笑みを浮かべました。
話をしているうちに、野菜店のおばさんがグラスを載せた皿を持って私達のテーブルに来ていました。
「そうだね。ドラゴンをトカゲと一緒にするなんて、普通は思わないからね。これはうちからのサービス。酢橘の冷茶だよ。肉料理に合うと思って作ってみたけど、どうだい?」
私やリリアナちゃん、お母様達もグラスを手に取り、一口飲んでみました。
「美味しい! 全然酸っぱくないし、でも口の中に酢橘の香りが広がって飲みやすいです。」
「ん! これすき。」
「確かに口の中がスッキリして、肉の脂や後味が消えるのが良いですね。」
お母様の言葉に私達は頷き、野菜店のおばさんも笑みを浮かべていました。
「フルララさん、皆さん。本当にありがとうございました。私は今の事を所長に報告してきますので、失礼致します。」
改めて頭を下げるロチアさんが、嬉しそうな笑顔と軽い足取りを見せて私達の前から去りました。
「ロチアちゃんには、いつも本当に感謝しているのよね。今も一生懸命で」
肉屋さんの奥さんの言葉と、走り去るロチアさんに向けられる笑顔に私は気付きました。
商店街の人達が、通り過ぎるロチアさんへ笑顔で話し掛けている姿を。
「そうですね。私もロチアさんと知り合いになれたこと、凄く嬉しく思っています。
心が真っ直ぐで、いつも全力っていう感じですよね。」
本当に、私達の担当になってくれたのがロチアさんで良かったです。
「ええ。ロチアちゃんは小さい頃からこの商店街で遊んでいたのですけど、突然商業ギルドに入って、私達に恩返しをします。って言ってね。私達は娘のように見守ってただけなのに。」
「恩返しですか?」
「ええ。ロチアちゃんの両親は運送業をしていて、小さい頃は祖母の家に預けられていたの。
それがこの商店街すぐ裏の家でね、6歳くらいからお兄ちゃんと一緒にここを遊び場所にしていたのよ。」
「それで恩返しなんですね。」
「最初の頃は危なくて、ヒヤヒヤして商売よりも気になって仕方がなかったけどさ。
すぐに商店街を明るくしてくれる子になったんだよ。だから私達が恩を返すほうなのにあの子は。」
野菜店のおばさんの苦笑いのような表情に、本当に娘のように見てきたのが判りました。
「子供が親から受けた愛情に恩返しするのは当たり前のことですから。ロチアさんが皆さんに恩返しするのは、それはロチアさんだから当たり前のことなんですよ。」
「そうだね。あの子はそういう子だと私達は知っていたんだけどね。彼氏の一人でも連れてくればいいものを! いつも商売人のような事ばかり話して! 商業ギルドに入ったら更にさ!」
それは正に娘を心配する母親の愚痴になっていました。
「それは私達にも責任あるのよね。小さい頃から、食材の話から商売事に繋がる話ばかりしていたから。今にしてみれば、なるようになった結果とも言えるのよね。」
肉屋の奥さんの言葉の後、「「はぁあ~。」」と、二人から溜息が漏れました。
「フルララぁ~、もうおなかいっぱい…」
リリアナちゃんが黙々と串焼きを食べていたようで、1本の串がテーブルに置いてありました。
眠そうな目をして両手を伸ばすリリアナちゃんを私は抱きあげます。
「今日はずっと歩いていたから疲れたよね。」
「うん…」
リリアナちゃんの小さな寝息が、私の耳元から聞こえてきました。




