挿話 ロチア、院長に就く。
私が商業ギルドでいつものように朝の書類の整理をしていると、所長のハミルドさんが現われました。
「ロチアさん、祭りの開催日が1日遅れになることが決まりました。」
「竜雲の被害が大きかったですし、仕方がないですよね。」
「そうですね。直接的な被害自体の復旧は終わっていますが、復旧作業で冒険者ギルド側と商業ギルド側の準備に遅れが出ましたから。」
私は、整理中の書類の束に視線が移る。
「そうでした。遅れている件がこんなにも…」
「まあ、一日遅れで開催出来ること自体が、奇跡的なことですから。それで、孤児院の様子はどうなのですか?」
私が屋敷の所有者になっていたことには驚きました。
ですがそのお陰で、商業ギルドが全面的な支援をしてくれることになり、私はその代表者として孤児院の院長になりました。
「はい。子供達は新しい家での生活にとても満足しています。
収入源についての課題も、商業ギルドが口出し出来ることになって解決できそうですし、依然とは比べられないくらい明るくなりました。」
冒険者ギルドが孤児院を設立すると聞いた時には感謝の気持ちで一杯でしたが、実際は酷い扱いで…
でも、冒険者ギルドと対立する訳にはいかなかった商業ギルドは口を出すことが出来ず、この街の管理を任されている伯爵は冒険者ギルドのマスターの祖父。
当然、聞く耳などありませんでした。
「ところで、あの騎士はあれから?」
所長の質問に私は首を振る。
「いえ、現れていないそうです。」
「やはりそうですか。彼が現るとしたら、それは危機的な状況が起きている時だということなのでしょう。」
鏡のように輝く銀の鎧を着たあの方を、私達は『銀の騎士』と呼んでいます。
銀の騎士が最初に現れたのは、ダンジョン6層での行方不明事件の解決。
そして、今回の孤児院の救出の2回だけだという事が、この5日間で知り得た情報でした。
「はい。私達の事を信頼しての事だと、私は思っています。」
私は銀の騎士が誰なのかは判りませんが、その関係者だと思われる人達には心当たりがありました。
新しい孤児院に置き土産として置いていったスープとケーキの数々。
スープが入っていた寸胴の鍋は、モーリさん特製の鍋。
ケーキは『ミランジェ』と『リーオン』と『ラルシエ』の商品。
その3店舗を利用している人達を、私は知っていました。
一ヶ月と少し前に、屋敷の販売で私が担当したルヴィア家の人達です。
「そうですね。あの騎士の信頼をなくさないように、私達は努めましょう。」
優しい笑みを見せる所長に、私は「はい。」と答えました。
孤児院の院長としての仕事は、孤児院の運営。
ですが、銀の騎士様のお陰で、衣と住は問題ありません。
残りの食、毎日の食事にかかる費用をどうするかでした。
でも、それも商業ギルドからの指名依頼をあの子達に与えることで解決しました。
冒険者登録している子にはダンジョンの依頼。それ以外の12歳を超える子達には、商業ギルドの雑用的な仕事を与えました。
なので私の院長としての仕事は目下、夕刻に孤児院に顔出ししてカテリーナさんから話を聞くことです。
商業ギルド職員としての私の通常業務は、午前はカウンターでの受付、午後からは私が担当している商店街の見回りでした。
その見回りの最後に孤児院に足を運ぶことが増えただけなので、労働としての負担は極僅かなことです。
私は持っている書類の確認作業に戻る。
「屋台の設置状況の確認に…商店街からの依頼の進行状況…あとは…」
「今日も一日、頑張ってください。」
所長室へと戻るハミルドさんに一礼を返し、私は受付カウンターへと足を向けた。
東の街道からの商隊は、翌日から通常通りに再開。
西の街道橋の仮設工事が昨日完成で、今日からは渡し舟での時間の損失がなくなって、元通り。
これでやっと、物流は平常時に戻りました。
昼食後、私は商店街に足を運び、祭り屋台の確認と、商店街に問題が起きていないかの目くばりをします。
「マリエさん~! 野菜はどうですか?」
「ああ、やっと新鮮な野菜が朝から並べられて、嬉しい限りだよ。」
「それは良かったです。」
「ロチアちゃん、祭り用の試作品をちょっと試食してみてよ。」
隣の肉屋さんのエトーさんが、串揚げを私に見せています。
「はい、頂きます。」
ガラスケース越しに手渡されたそれを、私は一口食べる。
「はふっ! はぁっ…んっ…美味しいです!」
カリッと揚がった衣に、香り豊かな香草で味付けされた挽肉と肉汁が口の中で広がる。
「でしょ。普段使わない香草だけど、ナトレーさんからの提案で使ってみたら、凄く美味しいのが出来たのよ。」
ナトレーさんと言えば、フルララさんのお母様の使用人だと聞いています。
まだ直接には会っていませんが、聞く話によれば、料理人のような方だとか。
「ロチアちゃん! こっちも試食してみてよ。これもナトレーさんの助言で美味しくなったのよ。」
肉屋さんの隣は魚屋さん。
「はい、ちょっと待ってください。」
私は残りの串揚げを食べて、魚屋さんへと向かう。
レネッカさんから手渡されたのは紙に巻かれた焼き魚の切り身でした。
切り身は、なにかタレのような物で包まれています。
「ふぅふぅ…」
手に伝わる熱に、今度はやけどに注意してから食べました。
「はふっ…これも食べたことがない味で、凄く美味しいです。」
甘辛いタレが淡白な魚の味と重なり、口の中で魚の旨味が際立ってました。
「ただの焼き魚じゃ味気がなかったからね。ほんと今年は楽しみよ。」
「そうですね。」
私は残りの切り身も、パクパクと口の中へと入れていく。
「美味しかったです。」
今までは、魚1匹を串に刺した焼き魚を販売していた魚屋さんだったけど、これは人気が出そうな料理です。
「ほんと、あの子達が来てから、商店街に花が咲いたような気分だよ。」
野菜店のマリエさんの言葉に、商店街の人達から頷きの声が聞こえます。
もちろん、あの子達というのは、リリアナちゃんとフルララさんの事です。
ただ買い物をしていくだけなのですが、その姿に癒されているとのことでした。
判ります。
あの二人が楽しそうに歩いている姿は、私から見ても、羨ましいと思うほどの癒しがあります。
それから私は商店街を練り歩き、祭り屋台を見回って、孤児院へと足を運びました。
新しい孤児院になった屋敷も、サーカステントの前を通って行くことになるので、慌しい掛け声が私の耳に届きます。
そこに、副所長のトレールさんと商業ギルドの先輩達が手伝っている姿も見えました。
「皆さん、お疲れ様です。作業のほうは順調ですか?」
「勿論だ。遅れた分は明日にでも追いつく。」
トレールさんの自信に満ちた表情に、私は笑顔を返しました。
孤児院に着くと、カテリーナさんと小さな子供達が出迎えてくれます。
カテリーナさんを入れた30名が今の孤児院の総数。その子供達の中で、6名が働きに出ています。
3年前の大規模クエストで、夫婦で冒険者をしていた方々が沢山亡くなりました。
その殆どの方は冒険者としてこの街に住み始めた外からの人達で、小さな子供は街が運営する託児所に預けていました。
身寄りのない子供達を引き取ったカテリーナさん。
カテリーナさんも夫婦で当時のクエストに挑み、旦那さんを亡くしていました。
孤児を引き取ったカテリーナさんの要望で、冒険者ギルドは孤児院を設立します。
しかしそれは古い物件で、買い手が付かなかった家。
それでも、孤児院としての役割をなんとか果たすことは出来る家でした。
だけど、それまででした。
生活費などの支援は一切なし。土地に掛かる税金もカテリーナさん個人に。
多少の蓄えがあったカテリーナさん。それと、亡くなった両親達の財産を処分などをして生活費を賄っていたのです。
街の人や冒険者仲間からの寄付で、ある程度の収入にはなっていたけど、
それでも支出が大きい孤児院は次第に蓄えも無くなり、15歳になった子供達が冒険者登録をして稼ぎに出たのが1年程前。
冒険者ランク10級の少年少女が稼げるお金だけで孤児院を賄える収入にはならないことは明白で、寄付を合わせてなんとか生活出来る状態だったことを、私は院長になって初めて知りました。
善意の強要。
カテリーナさんは、孤児院の現状を公に発信することはしませんでした。
人の良心につけこむ卑劣な行為だと思っていたからです。
私もそれには同意します。
子供達に罪などないのは判っています。だからこそ、他人からの施しは純粋な善意でなければいけません。
子供達を物乞いにしてはならないし、子供達を餌にして寄付を求めるなんてことは、私は認めません。
将来、この子達が大人になった時、「俺達が寄付したから生活出来たんだぞ。」などと見下される事になるからです。
この子達を、そんな目に遭わせたくはありません。
私は、駆け寄ってくる子供達に笑顔を返します。
「カテリーナさん、こんにちわ。今日はどうでしたか?」
以前は、いつも疲れた顔を見せていたらしいカテリーナさんでしたが、今は優しい笑顔で私を迎えてくれます。
「今日も平穏で楽しい一日になりました。」
楽しそうに笑顔を見せている子供達で判っていましたけど、私は院長としての挨拶を欠かせません。
「それと、メルヴィール夫妻がロチアさんと話がしたいと。ですので院長室で待って貰ってます。」
小さな子供達を12歳前後の子供達が面倒を見ているので、ちょっとした時間なら目を離しても大丈夫なので、私はカテリーナさんと二人で院長室に向かいました。
院長室という名の雑務室にカテリーナさんと入ります。
来客時の応接室にもなっている部屋なので、ちょっとしたソファセットが置いてあります。
私が孤児院の院長になった事を知った家具屋のエトロさんから、売れ残った家具だからと言って、無料で譲ってくれた品です。
しかも、執務机に書類棚までも。
子供達のベッドや食器棚などの家具を沢山買ってくれた御礼だとも言っていましたけど、どう見ても売れ残りの家具には見えません。
「初めまして、ロチア・イーフォンです。」
私は、ソファから立ち上がった夫妻に頭を下げる。そして頭を上げて、改めて女性の顔を見る。
「えっと、直接話すことは初めてですよね?」
メルヴィール書店は、小さい頃から時々お世話になっていましたけど、娘さんだと聞いていたルーテアさんはその頃から冒険者をしていたので、顔を合わせるのも初めてだと思います。
「はい、ルーテア・メルヴィールです。」
「夫のリオラです。」
挨拶を終えた私達は、テーブルを挟んでソファに座る。
それから、息つく暇もなくメルヴィール夫妻からの質問を受けることになりました。
6層の行方不明事件の解明の為の探索パーティーに参加していたメルヴィール夫妻。
死を覚悟して挑んだ末、銀の騎士様の介入で事無きを得て、感謝をしている。
そして、冒険者ギルドが躍起になって探している銀の騎士様ですが、メルヴィール夫妻は、それとは関係なく感謝の言葉を言いたくて探しているとのことでした。
メルヴィール夫妻が銀の騎士を探している理由を聞かされた後、私はルーテアさんからの質問に答えました。
「身長は、ロチアさんと同じくらいだったのよね?」
「はい。鎧の分を差し引いても、それくらいだと思います。」
「騎士にしては、結構細い方だったとも聞いていますけど、それも合っていますか?」
「はい。私の兄も前衛職として体を鍛えていますが、銀の騎士様はどちらかと言えば、魔術師の様な体格だった気がします。」
考え込むルーテアさん。
「やっぱり私達と同じ、魔力で身体強化をしている魔術剣士の類だと思って良さそうですね。」
ルーテアさんの言葉に、旦那さんのリオラさんが首を横に振る。
「いえ、次元倉庫に、1級ポーション以上の治癒魔術。そして、風雨を広範囲で防いだことや、シジトールを吹き飛ばした事。5層での目撃証言から、風魔術に長けた純粋な魔術師の可能性もあります。」
「どうして? 5層の目撃証言が、常人離れした身体能力と剣の腕前だと聞いていたじゃない?」
「それなのですが、風魔術で似たことを体現出来ることに気が付いたのですよ。それがもし大魔道師級なら、5層の目撃証言にも当てはまると思います。
あの岩蛸の倒され方を思い出して見てください。それも強力な風魔術で倒したと考える方が納得がいくと思いませんか?」
静かに聴いていたルーテアさんが頷きを見せます。
「確かに…じゃあ、冒険者ギルドに魔術師として登録している人も視野に入れないとならないわけね。」
メルヴィール夫妻は冒険者ギルドに登録している人達の中に、銀の騎士が居ると考えていました。
それは、行方不明事件が一般人に知れ渡る前に現れた事と、ギルドマスターのシジトールさんに対する扱いだそうです。
そして、この3年以内に加入した冒険者が有力だとも言っています。
3年前の、魔獣大量発生での大規模クエストに銀の騎士が現れなかったのがその理由でした。
「身を隠す理由はなんなのでしょう? 勇者として…いえ、大魔道師だとしたら世界の英雄として沢山の人達を救えると思うのですが?」
私は、銀の騎士様に感じていた違和感を口に出しました。
「それなのよ。ダンジョンが在るとはいえ、この街に隠れて暮らす意図が判らないのよね。」
ルーテアさんが気難しい顔を見せていると、リオラさんが優しい笑みを浮かべました。
「手掛かりになる物が殆どないですし、探し出すのは難しいでしょう。銀の騎士もそれを望んでいないのは確かなのですから。」
もう、探すのは諦めよう。そう話すリオラさんに、ルーテアさんが諦めの笑みを返す。
「そうね。私達が感謝の気持ちを忘れないでいることにしましょう。」
ルーテアさんの言葉に、私は大きく頷く。
「はい。私もこの孤児院を救ってくれた事に、これからも感謝し続けます。
それは、救われた子供達も絶対思っていることだと思いますから。」
メルヴィール夫妻を見送って、私も商業ギルドへと帰ることにしました。
ルーテアさんが探している手掛かりは、私だけの秘密です。
あの鍋がモーリさんの特製品の鍋で、購入者の中にルヴィア家がいた事。
フルララさんが以前からケーキを沢山購入していた事。
それは、商店街での見回りで得た情報です。
なので、私から話さなければ気付くことはありません。
銀の騎士様が表に出ない理由はやっぱり判りません。
けれど、隠す理由があるのは確かなのですから、私はこの事を誰にも話すつもりはありません。
だってそれは、ルヴィア家の人達がこの街を離れてしまうかも知れないのですから。
どうしてルヴィア家の人達が、謎の魔獣の探索の事を知っていたのかが疑問でしたが、それも解決しました。
一緒にサーカスを見たいと願う程の仲になっているメルヴィール家のご家族です。
自分達が探索チームに入っていることを、伝えていたのでしょう。
そのご家族の危機に、ルヴィア家の人達が動いたことは明白でした。
「おう、ロチア! 今帰りか?」
私を呼ぶ声に、考え事をしていた目線を、坂を上がってくる数人の人達へと向けました。
それは聞き慣れた兄の声。
「はい。商業ギルドに帰って、今日の報告をするところです。」
「ロチア院長! 今日も肉獲って来たよ!」
自慢気に袋を掲げる少年と一緒になって、香草や果物が入った袋を掲げて笑顔を見せる3人の少年少女。
親が残した武器や防具を着て、冒険者として頑張っている孤児院の子供達です。
「凄いですね。怪我などは無かったですか?」
「はい。先輩達が教えてくれてますので。」
4人のリーダーはエリスさん。
そのエリスさんが私の問い答えた後、兄に笑顔を向けていました。
私が院長になったことで、兄と兄のパーティーメンバーが、エリスさん達の指導という形でクエストの手伝いをしてくれることになりました。
それは4層までの護衛と、4層での採取クエストになります。
今までは3層までの魔獣討伐クエストを続けてきた4人でしたが、商業ギルドが以来するクエストは4層からの採取クエスト系しかありません。
4層の魔獣相手には、まだ実力が足りていなかった4人ですが、兄達のおかげでクエストを受けることが出来ました。
「兄さん、今日もありがとう。」
「ああ、後輩の指導っていうのも、結構楽しいからな。気にするな。」
孤児院の収入面の問題の解決方法として、エリスさん達に仕事の斡旋をする案はすぐに思い付きました。
しかし、4人の戦闘能力的な不安で諦めかけていた時に、兄が面倒をみてやろうと言ってくれました。
でもそれは、普段は5層村を拠点に活動してる兄達には、色々と損な事が伴ってしまいます。
私は、そんな兄の優しさに「はい。」と答えて、5人を見送りました。
私は、院長という責任のある役職は無理です。と、最初は断っていました。
ですが、銀の騎士様が私を信じて託してくれた事と、所長の後押しで、私は院長としての職を引き受けました。
そんな私を、商業ギルドの方々は勿論、商店街の人達も支援してくれました。
本当に、感謝の言葉しかありません。
これから沢山の問題が出てくることになるでしょう。
私一人では絶対に解決できない事ばかりなのも、判っています。
だけどここには、所長達が居ます。兄も居ます。商店街の皆さんも居ます。
そして、あの人達が見ています。
「頑張らないとです!」
私は気力を再注入した後、商業ギルドへと足を走らせました。




