第十二話 小熊
『まるで無意味な召喚者~冒険者達は俺の胃を攻撃してくる以外に能がない~』同時連載中です。
可能な限り、毎週火曜日の16時ごろに投稿しています。
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ゴーン!
鐘の音が鳴る。重低音の、腹の底に響くような大きな音。
「う…………ゴホッゴホッ!?」
雄一は咳き込みながら目を覚ました。目を開ければ天井が。どうやら自室のベットに横たわっているようだった。
じっとりと汗がシーツを濡らし、鼻の奥を不快な匂いが通り抜け、肺に届いて咳き込んだのだ。
「はぁ、はぁ…………血の匂い?」
不快な匂いは鉄臭い。むせ返るような血の匂いは、何故か漂う焦げ臭さと入り混じり、雄一の肺の中を圧迫する。
なぜだか体が動かない。思い切り力を込めるも、上体を起こすので精一杯。指先が小刻みに震え、足の感覚はほとんど無く、気を抜けば崩れ落ちてしまいそうな感覚だ。
「気がついたかユーイチ!」
「…………お姫さん?」
部屋の入口付近から、服のあちこちが焼け焦げたシルフィが姿を表した。顔には煤がこびりつき、いたるところに刻まれた擦り傷から血がにじみ出ている。
そんなシルフィの奥側。彼女を挟んだ入口付近に目をやると、室内の家財道具や装飾品を引剥し、扉の前にバリケードのように積み上げられていた。
雄一は自分が蔵書室で気絶したことを思い出した。
アエルとルティアスに三日目の惨劇を伝えようとした瞬間。世界の時間が止まり、雄一はその直後に気絶した。最後に見た光景は、黒塗りの人型。
人差し指を口元に当てた「話してはいけない」と言うジェスチャー。
あの人型が何だったのか、考えてもわからない。少なくとも、雄一にとって理解の外である超常現象。
今彼がベットに入る原因は、恐らくその人型が関わっているのだろう。恐怖を具現化したような光景を思い出し、雄一は思わず体を震わせた。
ゴーン!
二度目の鐘が鳴る。そこで雄一はハッとした。鐘の音が二回鳴る。その意味を彼は知っていた。
「し、シルフィ……今、と言うか今日は……俺が召喚されてから何日目だ!?」
「な、なんだ急に……ユーイチが召喚された日から数えれば、三日目だ」
召喚されて三日目ということは、襲撃が起きた日のこと。そして、部屋の中に築かれたバリケードを見るに、その襲撃事件はまたしても起きてしまっているようだった。
目を覚ますのが遅すぎたのである。惨劇の日まで三日あったにも関わらず、実質雄一は初日しか行動が取れていない。
残り二日を無意味に寝て過ごすという失態を犯してしまったのである。
ドンドンドンッ!
廊下から扉を叩く音がした。
シルフィはすぐさま警戒する体勢に入り、扉に向かって手をかざす。敵が迫っているのだろうか。雄一も気を引き締めたが、残念ながら今の状態では足手まといにしかならない。
「シルフィ様! 私です、ルティアスです! 敵は去りました! 今から外へお連れします!」
廊下から聞こえたのはルティアスの声。扉の外側から、バリケードを崩す音ともに、聞き覚えのある人の声。雄一は息を大きく漏らし、体の力を抜いた。
しかし、一方のシルフィは警戒を緩めていない様子だった。全身に力がこもり、集中した肉体は心臓の音を早め、額から流れる汗を拭うこともしない。
扉を一点に見つめながら、シルフィは雄一へと告げる。
「ユーイチ、起きたばかりで何が何やらわからないだろうが、短く話させてもらう。今現在、城は絶滅教団による襲撃を受けた。城の兵士や、使用人たちは全滅だ。残ったのは恐らく、ユーイチと私だけだろう」
薄々気がついていたことだったが、改めて口にされると、雄一の体から力が抜ける。
防げなかった。それが起きると分かっていたのに、わざわざループして戻ってきたにも関わらず、自分には何もできなかった。
雄一は心のなかで無能な自分を罵倒する。悔しさのあまり握りしめるシーツには、血が少しにじみ出ていた。
そんな様子を横目に見たシルフィは、バツが悪そうに顔をしかめた。
「……巻き込んでしまったな。全ては妾の責任だ。せめてユーイチだけでも逃してやりたいが、まるで確約できない状況でな」
「……アエルは? 王宮付きの魔法使いはどうした? あいつ最強なんだろ!? なんでこんなことになった!?」
「アエル先生は運が悪いことに外出中だ。多分、連中はそのタイミングを狙って襲撃をしたのだろう」
シーツを握りしめる力が増す。せめて自分が、アエルに襲撃事件について離せていたら何かが変わっていたのだろうか? 雄一の目から涙がひとしずくシーツへと落ちる。
バリケードを崩す音が近づいた。一回目の出来事から、廊下の外の惨劇は想像に難くない。しかし、そんな中でもシルフィとルティアスが生きていてくれた。
それだけも雄一の心は軽くなり、救われた気分であった。
しかし、そんな状況で、何故かシルフィの警戒は解かれない。加えて、ブツブツとつぶやく彼女の周囲からは、熱気とともに炎の渦が発生した。
――魔法?
初めて見るその光景に、雄一の頭の中の知識がそう告げた。
炎の渦はその勢いを強め、シルフィのそばで収束。その様子に、炎による暑さとは別の汗が雄一から流れた。
「おい……何する気だ? 何処に撃つ気だよそれ……」
シルフィは寂しそうな表情で雄一を見た。雄一の耳には届かなかったが、その口は確かに「すまない」と謝罪の言葉を述べていた。
「おい待て! ルティアスだぞっ!」
雄一の叫びは無視される。
再び扉へと向き直したシルフィが、呪文の最終節を唱えると、収束していた巨大な炎の渦が扉めがけて放たれる。
轟音とともにバリケードを粉砕し、扉を突き抜けて廊下に到達。勢いは止まらずに、廊下の壁に大きな穴を開けてようやく炎の勢いは止まった。
「なんて……ことを…………おいお姫さん! なんてことしやがる! なんでっ……」
「本当、なんてことをしてくれるのかしら。お姉さんショックだわ」
雄一の抗議の声を遮るように、ルティアスの声が聞こえた。
大穴を開けた廊下の中心。建物に燃え移った炎が揺らめく中に、部屋に向かって歩く人影が一つ。
全身を火傷の痕が覆い、筋肉や目玉がむき出しの人間。見ているだけで背筋がゾクッとする恐ろしい光景に、シルフィと雄一は思わず恐怖の声を上げる。
生きているのがおかしい程の傷跡を負ったその人間は、悠々と炎の中を歩いている。燃え移った炎を、新たな火傷など気にする素振りすら見せずに踏みしめる。
そして驚くことに、その火傷痕は巻き戻しをするように徐々に回復してゆく。下半身から上半身にかけて、じわじわと元の皮膚へと戻っていく肉体。
元の体へ回復していくに連れて、それが女であることが見て取れる。おまけにその服装は、雄一があの惨劇の日に見た服。絶対に忘れられない人物のものであった。
「……ミーシャ?」
「あら、なぜそちらの名前を知っているのかしら、ユーイチ君?」
ぐちゃぐちゃに焼け崩れた顔面が回復すると、見知った姿に驚愕した。
ループ後の世界では、ほぼ一日中一緒に行動していた。一緒に服を繕って、絶滅教団についてわかりやすく説明してくれて、フランへのセクハラを注意した常識人。
深い紫色の短い髪。左耳にピアスを付けて、紫色の口紅をつけた……ルティアスであった。
「でも一応ご挨拶はしておくわね。絶滅教団幹部、神の肉叢。ミーシャ・ルティアス・インフィニティよ。くふっ、くふふっ」
口角をめいいっぱい上げたその不気味な笑みは、雄一が思い出せるルティアスの物ではない。かつてフードの下から覗かせる、雄一の喉を掻っ切ったミーシャの笑みへと変わっていた。