季節がめぐる中で 88
一瞬、風の温度が変わった。都市近郊に設置された気温制御システムが夜のそれへと変わったのだろう。開いたふすまの向こうに広がる池で三尺を超える大きな金色の錦鯉が跳ねた。
「ほうか。じゃあお前さんはこのまま黙っとれ言うつもりか?汚れた金をつこうて正義面しとるアホ共がぎょうさんおる言うのがわかっとるのに」
赤松の眼が鋭く光る。湯飲みを口にする嵯峨の手元にそれは突き刺さる。茶を勧める老女が赤松から湯飲みを受け取る。中の冷めたお茶を捨て、新しく茶を入れていた。
「誰もそんなことは言っちゃいねえよ。いつかはけじめをつけてもらう予定だ。だが、その面子にはアメリカ軍人はいらねえな。いや、アメリカだけでなく遼州系の住人以外はいちゃいけねえんだよ」
嵯峨の言葉、そして赤松を見つめるその目はいつもの濁った瞳ではなく、殺気をこめた視線だった。赤松はようやく自分の説得が無駄に終わったことを感じた。
「ほうか、わかった。人斬り新三の手並みいうのを見せたってくれ。それと……今日来たんは他にも用があってな……実は貴子がな新三に久しぶりに挨拶したいちゅうとんやけど……」
そう言って相好を崩す赤松に嵯峨の瞳もいつもの濁ったそれに変わった。
「貴子さんか。相変わらず頭が上がらねえらしいなあ。まああの人は昔からきつかったから」
嵯峨はそう言って笑った。親友だった亡き安東貞盛の姉貴子は今は赤松の愛妻となっていた。稀代の美女にして女傑と言われた彼女が赤松を尻に敷いていることを思い出しにやける嵯峨。
「父上」
そう言って静かに廊下から入ってきた楓はそのまま嵯峨のそばに寄って内密な話をしようとした。
「いいぜ、別に。胡州海軍第三艦隊司令赤松忠満中将殿に内緒ごとなど無駄なことだよ。なあ!」
そう話を振られて少しばかりあわてて赤松が頷いた。
「ベルルカンの馬加大佐からの報告書が届いておりますが」
楓の言葉に赤松は少しばかり頬を引きつらせた。
現在、ベルルカン大陸には約三万の胡州軍の兵士が駐留していた。しかし、それはどれも二線級の部隊であり、馬加の指揮する下河内特科連隊のような陸軍の精鋭部隊が動いていると言う話は海軍の赤松には初耳だった。
下河内連隊は初代連隊長を嵯峨が勤めた嵯峨の子飼いの部隊とでもいえるものだった。
「ああ、後にしろよ。時間はまだ来てはいないみたいだからな」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「楓坊もまあ……べっぴんはんにならはってまあ……新三!貴子も久しぶりに新三の顔が見たい言うとんねん、うちに来てや、な?」
そう言うと赤松は立ち上がる。そして少し下がって控えている楓を見て赤松は何かがひらめいたとでも言うように手を叩く。
「ああ、そうや。楓も来いへんか?貴子も喜ぶ思うねん。それとうちの久満も……」
赤松忠満の次男赤松久満海軍中佐は本部付きのエリートであり、何度と無く楓に無駄なアタックを続ける不幸な青年士官だった。
「あの、お申し出はうれしいのですが、お断りさせていただきます。僕には心に決めた人がいますから……」
そう言って楓はその細い面を朱に染める。
「ああ、西園寺要さんか!しかし、女同士ちゅうのはどないやろなあ?まあワシのおかんの例もあるいうてもなあ」
「俺に聞くなよ!」
赤松は頭を抱える嵯峨を見て大きな声で笑い始めた。




