季節がめぐる中で 103
胡州帝国の象徴とも言える金鵜殿。その数百ヘクタールと言う巨大な庭園付きの宮殿こそが胡州の意思決定機関である『殿上会』の舞台であった。マスコミのフラッシュが焚かれる中、西園寺基義首相兼四大公家筆頭をはじめとする『殿上人』達が次々とその漆で塗り固められた門を高級車に乗ってくぐる。
そんな光景を傍目に、嵯峨惟基は黒い公家装束に木靴と言う平安絵巻のような姿で手にタバコと灰皿代わりの缶コーヒーと言う姿で通用門そばの喫煙所でタバコをくゆらせていた。そこに一人の胡州陸軍の将官の制服を着込んだ男が近づいていた。
その鋭い視線の壮年の男は、礼装に着替え終えている嵯峨に大げさに頭を下げた。
「醍醐さん。もうあなたは私の被官じゃないんだから……」
そう言いながら嵯峨は手にした安タバコを転がした。いつもならその醍醐文隆陸軍大臣は表情を緩めるはずだったが、嵯峨の前にある顔はその非常に複雑な心境を表していた。
「確かに法としてはそうかも知れませんが、主家は主家。被官は被官。分際を知ると言うことは一つの美徳だと思いますがね」
醍醐の口元に皮肉を込めた笑みが浮かぶ。
「なるほど。赤松や高倉が嫌な顔していたわけだ。つまり今度のバルキスタンでの国家憲兵隊とアメリカ陸軍非正規部隊の合同作戦の指示はそれくらい上からの意向で動いてるってことですか……」
そう言うと、嵯峨はタバコの灰を空になった缶コーヒーの中に落す。
「近藤資金。胡州軍が持っていたバルキスタンの麻薬や非正規ルートを流れるレアメタルの権益を掌握する。なんでこの作戦に同盟司法局が反対するのか私には理解できないんですが」
そう言うと醍醐は手を差し出した。仕方が無いと言うように嵯峨は安タバコを醍醐に一本渡す。
「別に私はエミール・カント将軍に頼まれたわけじゃないんですがね。むしろ私の知らないところで話が進んでたら口を挟む義理も感じなかったでしょうがね」
嵯峨はそう言い切ると静かにタバコをふかす。二人の見ている先では、初めての殿上会への参加と言うことになる嵯峨の次女、楓が武家装束で古い型の高級車から降りようとしているところにSPが立ち会っているところだった。
「彼女達に腐った胡州を渡すつもりは無いはずですよ、あなたは」
そう言って笑ってみせる醍醐だが、嵯峨はまるで関心が無いというようにタバコをもみ消して缶の中に入れると、再び新しいタバコを取り出して火をつける。
「別にカント将軍がどうなろうが知ったことじゃねえんですよ、うちとしては。磔だろうがさらし首だろうが好きなように料理していただいて結構、気の済むまでいたぶってもらっても心を痛める義理も無い。だが、二つだけどうにも譲れないことがあって今回の作戦には賛同できないんですよねえ」
嵯峨の目がいつもの濁った目から鋭い狩人の目に変わった。そこに目を付けた醍醐は静かに、穏やかに、一語一語確かめるように口を開いた。
「アメリカ軍の介入と現在行われているバルキスタンの総選挙のことですか」
嵯峨はまるで反応する気配が無かった。醍醐は嵯峨家の家臣としてこれまでも嵯峨の様子を見てきたと言う自信があった。だが今、醍醐の前にいる嵯峨はそれまでの嵯峨とは明らかに違う人物のように感じられた。
残忍で、冷酷で、容赦の無い。かつて嵯峨惟基という男が内部分裂の危機を迎えた遼南帝国に派遣されて『人斬り新三』と呼ばれた非情な憲兵隊長だったと言う事実が頭をよぎる。
「同盟司法局が取っている対抗措置、どこまで把握してるか教えていただけますかね。情報のバーター取引。悪い話じゃねえと思いますが」
そう言って口元だけで笑う嵯峨の姿に醍醐は恐怖さえ感じていた。




