四話
僕の原罪と、花の色。
「女性に平手打ちをされたのは初めてだった。しかも、恋い焦がれる人に。
「あんたがそんな事するとは思わなかった」そう言って姐さんは僕の頬を打った。
ジンジンと痛むその頬は何物にも変えられ無い、姐さんから与えられたものの一つだ。
けれど、正気を失った僕にその痛みは現実に、自分を引き戻すには十分なものだった。
「この前、好きでも無い女の子と寝たんです」そう言った後にその平手が飛んできて、僕は一瞬我を失った。何故それを姐さんに伝えたのは分からない。ただ言いたかったのかも知れない。同情して欲しかったのかも知れない。兎も角、彼女、葵さんとの痕跡をいち早く消したかったのかも知れない。
けれど姐さんは同情をする事なく、僕に正義の一撃を食らわせた。冷静に考えれば、当然の事だが。
「そういう時の女の子に気持ち、あんたに分かるの?」
「分かりません」
「じゃあ尚更駄目だわ、あんた本当にどうしようもないわ」
そう言って落胆する姐さんは、僕の事を真摯に捉えてくれている。その事が嬉しくて、少し顔がほころんだ。どこにでもいる、狼の様な僕に真面目にに説教してくれるのが、何よりも愛おしいと感じる。
「じゃあ、どうすれば良かったんですか」反抗期の弟さながら僕は姐さんに反旗を翻す。それに至ってはどうすれば良かったのか分からない。確かに彼女との間に愛は芽生えなかった。けれど迫られた手前、僕はどうすれば良いのか分からなかった。ただ目の前で怯える彼女を優しく抱きとめる事しか思いつかなかった。そんな僕を愚かだと吐き捨てる姐さんはどこまで高尚な生き物なんだろうか。
少し捻くれた思いを抱いていると、姐さんはこう言った。
「あんたは本当に好きな人に酷い事をしたっていう自覚が無さすぎるわ。そういつまでも彼女があんたに愛を注いでくれるとは思えない。それをあんたは最低な方法で踏みにじったのよ。」
つまり姐さんが言いたい事は、本当に自分を好いてくれる人間に対して誠実であれと言う事だ。けれど、姐さんだって僕の気持ちをいつも踏みにじってる。その事に姐さんはいつまでも気付かないままだ。言わなければ気付かない、気付かないから知らず知らずの内に僕の純情を踏みにじっている。
それは蟻を殺す事、規模の小さい生命を殺す事に何の躊躇もない残酷な人間の有様だった。
でも、僕はあなたを愛してるのに。
そう直接言えればどれだけ良いだろう。でも、言葉は喉の奥につっかえたまま、形を為さない。それはとても不毛な事の様に感じられた。
「・・・彼女とはもう会いません、それで良いでしょう」
「分かれば良いのよ」
そう言ってにっこりと笑う。それはまるで、夏に咲く大輪の向日葵の様に無害なものだった。
それを見る度に僕はこの人が好きなんだと思い知らされると同時に、この無害な笑顔をめちゃくちゃにしたい衝動にかられる。
それを彼女は知らないし、知る必要もないけれど。それでも、姐さんの笑顔を自分のものに出来るのは既に埋まってしまっている事実に打ちのめされそうになる。
自分で勝手に好いて、勝手に失望する。それぐらいは許して欲しいと僕は心の奥底で叫んでいる。
しばらくして姐さんはまた花の剪定を始める。この前は紅い薔薇だったけれど、(棘で怪我しないか内心ヒヤヒヤしていた)、今日は白い百合の剪定をしている。花束にする長さに切り、余った葉の部分を切って、優雅な花を更に綺麗にする作業だ。正に女性の感覚がなければ成し得ない事だ。
僕は花に関してからっきしだけれど、百合の花言葉は「純粋」「無垢」「威厳」だったと記憶している。姐さんがいつの日か教えてくれたのだ。
それは、僕が路傍に咲いた百合を引きちぎってしまった様に感じられ、姐さんの手によって慰めを受けている様に思えた。
いつか、彼女が許すならば僕は謝らなければならないのだろう。