6 血の衝動
「アオイちゃん、ほんっとーに知らないの?」
「はい、おばあさんが昔冒険者をやっていたなんて初耳です」
おばあさんのところに世話になってから、一年が経とうとしていた。
俺とテンペさんは、一緒に夕飯の買出しに出かけていたのだが、その帰り道、なぜかおばあさんの昔の話に盛り上がっていた。
ちなみに二人一緒なのは、俺一人だとダンピールということもあり、町の人が食材を売ってくれない事が多いからだ。
さ、寂しくなんかないんだからねっ!
……ぐすん。
なんだか、最近自分の言葉遣いが良く分からなくなってきたな。
まあそれより、おばあさんの昔話しだ。
「おばあちゃんは、昔いくつもの二つ名を持っていたちょー有名な冒険者だったんだよ!」
「へぇ、それは凄いですね」
「特に有名なのが、疾風迅雷の妖精って名なのよ!」
「へぇ、それは凄いですね」
「しかもおばあちゃんは、Sランクオーバーの冒険者だったんだよ! 何せ単独で古竜を倒したくらい強かったんだから!」
「へぇ、それは凄い……って、古竜?」
「うん! そしておばあちゃんと契約していた精霊獣、氷冬と呼ばれた白銀の氷魔狼フェンリル。このペアが、世界最強と呼ばれてたのよ!」
「白銀の氷魔狼……?」
あれ、どこかで聞いたことあるな。
どこだっけ……。
それよりも、古竜だ。
「一つお聞きしたいのですが、古竜に勝てる人って多いのですか?」
「多いわけないじゃん! そもそも古竜自体、滅多に現れないけどね」
「ああ、やっぱりこっちでは古竜は珍しいのですね」
魔大陸では、それほど珍しくはない存在だ。
ワンコの隣のシマの長も古竜だったし、ドラゴンアイランドと呼ばれている魔大陸に近い島には、何百頭ものドラゴン、古竜、そして全ての竜を束ねる真龍がいるし。
まあ、真龍は竜というより、神に近い力を持っているらしいけど。
「こっち?」
「な、なんでもありません」
「ふーん、まあいっか。で、古竜は歴史上過去三回、この大陸に現れたことがあって、うち二回が何十人ものベテランの冒険者達が集まって倒したらしいよ。そして残りの一回が、おばあちゃんが倒したの。ソロで倒したのはおばあちゃんくらいだよ」
じゃあここは修羅の国じゃなかったのか。
おばあさんだけが、修羅だったと。
よ、よかったぁぁぁぁぁぁぁぁ!
なら、俺程度の強さでも冒険者になれるんだ!
これで将来も安泰だ!
「それにしても、テンペさん詳しいですね」
「あたしはおばあちゃんのファンだからね。たくさん調べたんだよ! そして冒険者を引退した後は、守り姫って呼ばれるようになったんだよ」
「守り姫? 何かを守っているんですか?」
「そこが分からないのよね。剣を継ぐ者とも呼ばれているし」
「剣か何か持っているのでしょうか。確かおばあさんの使っている杖って、仕込み杖になっていて、抜くとミスリルの剣になりますよね」
たまにおばあさんは、レイアードさんと剣の打ち合いをする。
その時、杖を抜いてミスリルの剣を出すのだ。
「うん、そうなんだけど。ミスリルは確かに珍しい金属だけど、お金さえ出せば買えるものだよ? それを守るのもちょっと違うよね」
「私はおばあさんの家に住んでいますけど、剣なんて見かけた事ないですよ?」
「そこが謎なんだよね。何回か聞いたことあるけど、いつも笑ってはぐらかされるのよ」
少し疑問に思うものの、特に重要な事ではない。
それよりも、白銀の氷魔狼フェンリルね。
確かどっかで聞いた事あるんだよなぁ。
「フェンリルってどのような魔物なんですか?」
「あれ、アオイちゃん知らないの? フェンリルは氷を操る巨大な狼なんだよ」
「氷を操る狼ですか。あれ、おばあさんはソロで古竜を倒したのですよね。その契約獣のフェンリルは手助けしなかったんですか?」
「フェンリルって氷の精霊獣だから、炎に弱いのよ。古竜は炎を吐くし、相性が悪かったみたい」
……それってワンコと同じじゃね?
いや、まさかなぁ。
でもワンコの奴、確か最初の主はソロで古竜を倒したとか言ってたよなぁ。
「あっ、いたっ」
そんな事を考えていたら、テンペさんが石に躓いて転んでしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと買いすぎたみたい。足元が良く見えなかった」
慌てて彼女を抱き起こす。
その時、転んだ拍子に彼女はひざをすりむいたのか、少し血が流れるのが目に入った。
……ドクン。
突然、心臓の鼓動が跳ね上がった。
意識が血へと向けられる。
「あれ、アオイちゃんどうしたの?」
不思議そうに問いかけてくるものの、俺の耳には届かなかった。
真っ赤な血。
彼女の膝から、トロリ、と赤い血が流れている。
なんだか、とても、おいしそう。
あれに舌を這わせ、味わってみたい。
思う存分、吸い尽くしたい。
無意識的に二本の牙が、口から伸びてくる。
彼女の白い柔肌に、牙を突き刺して、全てを飲み干したい。
「アオイちゃん?」
「……っ!?」
一気に意識が現実へと戻った。
「どうしたの?」
「な、なんでも……ありません。それより、テンペさん、先に……戻っててください」
「え? どこか体調悪いの? 大丈夫なの?」
「いいから戻ってください!!」
俺の右目、赤い目が真紅へと変わるのを見たテンペさんは、一歩後ずさる。
そして怯えたように、震える声で「う、うん。ごめんね。さ、先に帰ってるから」と言い残し、帰っていった。
そして五分ほど、俺はその場を動けずに立ちすくんでいた。
……今、一体俺は何をしようとしていた?
彼女の膝から流れていた血を飲もうと、いや、それどころかテンペさんの首に牙をつきたて、血を貪りつくそうとしていた。
なぜだ。
人間の血は、以前盗賊の血を吸ったことで分かっている。
そこまでおいしい訳じゃない。
でも……ならばなぜ、テンペさんの血があんなに魅力的に感じたのだ。
……吸血鬼は人間の、特に処女の血を好む。
そうか、そうだったのか。
確かにこれじゃ、吸血鬼やダンピールが人に恐れられていても仕方ないよな。
俺が何とか我慢できたのは、きっとダンピールだったからだろう。
もし吸血鬼であれば、もっと血の衝動が大きかったに違いない。
……もし、俺がさっき我に返らなかったら?
「あああああぁぁぁぁぁぁ!」
何かに居た堪れなくなり、突然大きな声を出して走りだす。
周りにいた人がぎょっとしたように俺を見るが、そんな事はどうでもいい。
我に返らなかったら、きっと俺はテンペさんを魅了し、そして血を吸い尽くしただろう。
たった一年間とはいえ、町の人に嫌われていた俺に彼女は優しくしてくれた。
いつも俺と一緒に遊んでくれた。
そんな彼女を、殺そうとしたのだ。
これ以上、側にいたら、いつ彼女を、彼女の血を吸い尽くしてしまうかも知れない。
叫びながら、涙を流しながら、俺は走った。
どこか遠くへ行きたい。
気が付いたらいつの間にか、俺は山の奥に来ていた。
ここは、いつも俺がおばあさんの手伝いで、薬草を取りに来る場所だ。
そこに寝っ転がった。
空は既に薄暗くなり、星が輝きだしている。
はぁ、全く吸血鬼、ダンピールってのは因果な種族だ。
他の吸血鬼も俺と同じように、これだけ血の衝動に襲われているのだろうか。
よくそれで我慢できるものだ。
ワンコが言うには、こちらの大陸にも吸血鬼はいるものの、圧倒的に数が少ない。
血の衝動に襲われ人の血を吸うからこそ、吸血鬼の殆どは人を襲わないよう魔大陸にいるのではないか?
そう考えると、俺もこっちじゃなく、やはり魔大陸に戻ったほうがいいのではないだろうか。
寝転がりながら、虫たちの鳴き声をBGMにして目を塞ぐ。
どのくらい時間が経っただろうか。
突如、虫たちの声が止まった。
ん? 誰か来たのか?
そして俺の耳に届いたのは、レイアードさんの声だった。
「おーい! アオイいるか! 大変だ、ばあさんが、ばあさんが倒れた!」