11 迫り来る針
月も見えない新月の夜。
闇の中、俺は町を駆け抜けていた。
屋根から屋根へと飛び移り、人目に付かないように移動している。
決して小さくは無いラルツの町だが、俺が本気を出して飛べば五分もせず外へと移動できるだろう。
そして、俺の後ろには猫の獣人バロンがついてきていた。
「アオイお嬢様っ! お待ちくださいっ!」
「嫌です」
夜の俺についてこれるほどのスピード。
さすが獣人だ。
人間より遥かに身体能力が高い。
「こんなものを怖がるとは、アオイお嬢様は子供ですか!」
彼の左手には、月の無い夜にも関わらず、不気味に光る針が見え隠れしている。
あれに刺されるわけにはいかない。
「子供ですから逃げても問題ありません」
そしてとうとうラルツの町の外壁についてしまった。
俺は屋根を蹴って大きく跳び、更にラルツの外壁を蹴って、その上に降り立った。
それに合わせるようにバロンも、屋根を蹴り、さらには外壁を走るようにして登ってきた。
五メートルほどの距離を挟んで対峙する俺とバロン。
「さすがですね、ホライズさん。まさか半分本気の私についてこれるほどのスピードとは、思いませんでした」
「こう見えても、元S+ランクの冒険者でございます。まだまだ若いものには負けませぬ。アオイお嬢様、お覚悟を」
そう述べたバロンは、左手を高く上げ、ぶっとい針のついている注射器を強く握り締めた。
この町は、身分証明書を作る為に血を使っている。
血にはその人の魔力が濃く影響されているから、らしい。
それをカードに記憶させ、更に本人認証が必要なときは、自分の指を切って血をたらして、確認するそうだ。
また最初に記憶させるとき、結構な量の血が必要らしく、こうして注射器で血を抜くのが一般的になっている。
……だが考えてほしい。
ダンピールとはいえ吸血鬼たるこの俺が、何故に血を渡さねばならぬ!
吸血鬼は血を吸う者であり、決して血をあげる者ではない。
たとえ証明カードを作るのに必要とはいえ、俺の、ひいては吸血鬼のアイデンティティに関わってくるのだ。
それだけ譲れない行為である。
べ、別に注射器が怖いわけじゃないからな!
それ以前にあの注射器の針、どう見ても俺の牙よりも太いだろ?
流石に日本製の、痛みが殆ど感じられない細い針を使えとは言わない。
しかしあれはいくらなんでも太すぎる。もはや鋭利な武器だ。
レイピアと言っても過言ではない。
「仕方ありません、本気を出させていただきます」
バロンは注射器をまるでフェンシングの武器のように、振り下ろした。
ヒュン、と甲高い音が鳴り響く。
ってか、普通に武器じゃん! 注射器じゃないじゃん!
「なるほど、私も少し本気を出しましょう」
俺も、ポーチからおばあさんに貰った仕込み杖を取り出した。
鞘を一気に引き抜き、刃に魔力を乗せると青白く光り始める。
「いざ!」「参ります」
俺とバロンの持つ武器が、闇夜の中に光りながら交差した。
「いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」
結局俺はバロンに負けて、尻にぶっとい注射器を刺されたのだった。
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「ううぅ~、まだひりひりします」
涙目になりながら尻を手で抑え、夜の町をバロンと共に帰っていた。
町の東側や西側であればたくさんの冒険者達が真夜中でも歩いているが、ここは金持ちが住むエリアだからか、他に人は誰もいない。
静かな夜に、俺とバロンの歩く音が響く。
「アオイお嬢様、よく頑張りましたな」
バロンは注射器を眺めながら、満足そうにそう言った。
彼の持つ注射器には、なみなみと俺の真っ赤な血が入っている。
くそっ、めっちゃ痛かった。もう二度と注射器はごめんだ。
それにしても、こいつ強いな。
パワー、スピード共に俺の方があったにも関わらず、いざ剣(バロンは注射器だったが)を交えたら、徐々に劣勢にたたされ、気がつけば仕込み杖を落とされていたのだ。
「それにしても、アオイお嬢様はお強いですな」
「私の武器を叩き落したあなたがそれを言いますか」
「剣術は私の方が上でしたが、もしアオイお嬢様が剣ではなく体術でこられたとしたら、或いは魔術を使われたら、きっと私が負けておりました」
おばあさんから貰った仕込み杖も練習しなきゃいけないしな。
それに外壁の上とはいえ、あそこは町中だ。
魔術使っちゃだめだろ。
そして家まで残り半分の距離になったとき、ふと薄い気配を感じた。
それは僅かに殺気を帯びている。
俺は目線で気配の感じる方向へと動かすと、屋根の上に黒い装束を身に付けた何者かが、俺たちの後をつけているのが見えた。
新月で真っ暗な夜だが、俺はダンピール。昼間のように丸見えだ。
「さてアオイお嬢様、お客人が来られておりますが、いかが致しますか?」
バロンも気がついたのか、俺だけに聞こえる程度の声で話しかけてくる。
「二人ですね。出来れば背後を洗いたいので、捕まえたいのですが……」
「彼らは暗殺者でしょう。捕まりそうになったら、自害すると思われますので難しいかと」
「面倒ですね。とりあえず、一人ずつやりますか」
「分かりました。お気をつけください」
バロンが足に力を入れ、一気に屋根の上へと飛び乗った。
暗殺者たちは瞬時にバロンを囲むようにして動く。
バロンの持つ注射器のような武器と暗殺者たちの短剣が交じり合う音が、静かな町に響く。
しかもバロンはいつの間にか両手にそれぞれ注射器を持っていて、更にそれには俺の血は入っていなかった。
あいつ、予備の注射器何本持っているんだよ。
バロンは前と後ろから迫る短剣を、両手の注射器で上手く弾いている。
まるで背後にも目があるかのような動きだ。
そして蹴りなどを入れて、暗殺者の一人を牽制しつつ、もう一人に接近する。
が、暗殺者たちも相当な腕なのか、決して一対一にならないようにして、動き回っている。
……俺は眼中にない?
まあ、見た目子供だしな。
先にやっかいそうなバロンを狙うのは普通か。
まあいい。そっちの方が楽だ。
俺は一度目を閉じて、再び開いた。
オッドアイの右目、赤い目が真紅へと染まり、バロンの時には出さなかった、夜の俺の力を解放する。
二本の牙が急激に伸び、身体中に力が漲ってきた。
さて、じゃあ行きますか!
石畳の道を割れんばかりに蹴って、一瞬でバロンの背後にいた暗殺者の後ろへと降り立つ。
暗殺者は異変を感じて、咄嗟に避けようとするが、その時には既に俺の手が静かに暗殺者の心臓を背後から貫いた。
「ぐっ!」
「!!」
大量の血が舞い散り、うめき声を上げながら倒れる暗殺者。
バロンの前に立っていたもう一人の暗殺者は、一瞬俺のほうに気をとられた。
その隙を見逃さず、バロンの持つ注射器が暗殺者の右足の脛へと吸い込まれるように突き刺さる。
「ぎゃぁ?!」
更にバロンは二本目を問答無用で左足の脛へと付きたてた。
即座にバロンは二本の注射器の筒を引き、暗殺者の血を一気に注射器へと収める。
見事な手際である。
しかしこのおっさん、採血が趣味なのかよ。
それにしても、あれはめっちゃ痛そう。弁慶の泣き所だよな、脛って。
注射器から逃げようとする暗殺者。
その首を俺は片手で掴み、そして頭を無理やりこちらへと向けさせ目を合わせた。
慌てて目を塞ごうとするものの、一瞬でも目が合えば俺の魔眼は発動するのだ。
「魅了」
その言葉と共に、暗殺者はびくんと身体を痙攣させ、そして惚けたようにその場へ崩れ落ちた。
こうしてこの夜の襲撃は、俺らの圧倒的勝利で幕を閉じたのであった。




