4 猫の獣人バロン
「なんてこんなものまで買うはめに……」
服屋から出てきたとき、俺の手には赤いリボンと、脇に網目の入っているかなり高級そうな紫色の透け透けパンツの入った袋があった。
ルーファストさんは、昼過ぎまで仕事が残っているそうなので、それまでぼんやり待つことになったのだが、手持ち無沙汰だったので何か手土産になるようなものがあればと朝行った服屋に行ってみたのだ。
しかし店に入った瞬間、今朝方パンツを選んでくれた店員さんがやってきて、何も言わずこの透けたパンツを渡してきたのだった。
あなたのようなお年頃の子は、大人っぽいパンツも欲しいものよ、あたしもそうだったし。
でも買うには恥ずかしいわよね。だから朝もあんなに時間がかかっていたんだよね。
それを見抜けなくて普通のパンツしか選ばなかったのを後悔していたのだけど、わざわざ勇気を出してまた買いに来てくれたなんて、これはもうとびっきりの大人っぽいものを選んであげるしかないわっ!
という事らしい。
それを跳ね除ける勇気はなく、手土産用の赤いリボンと紫の透けパンを買ったのだった。
……これを俺にどうしろと。
そんなこんなでお昼頃になったので、再びギルドへとやってきた。
でも、まだルーファストさんの仕事が終わらないらしく、俺はそれまで一階で待つことになった。
「待たせたな」
「いえ、見学させて貰いましたし、非常に勉強になりましたよ」
結局ルーファストさんがきたのは、お昼過ぎというより、既に三時のおやつタイムの頃だった。
「見学? 勉強になるようなところってあるものか。もしかしてアオイは将来ギルド職員を狙っているのか?」
「えっと、今のところは身体を動かす冒険者の方が性に合ってそうですね。でも冒険者になったとしても、ギルドの仕事を覚えていても損はありませんよ」
そういって、一階の受付窓口を眺める。
ここの受付窓口は、冒険者登録や更新、依頼受付、依頼完了、素材買取、そして相談窓口の五種類に分けられていた。
特に忙しいのが依頼完了と素材買取窓口である。
依頼完了は、本当に依頼内容の通りに討伐、あるいは素材収集などを完遂したかを確認するのに時間がかかっていた。
また素材買取は、ある程度素材によって買取金額は決められているものの、やはり素材の状態によって査定に差が出る。
更に鑑定する個人によって若干の差もあることから、微妙なラインのランクだと線引きが難しい。
ここをどうにかマニュアル化できれば、もっとスムーズに仕事を回せるのではないだろうか。
でも素材の買取ということは、冒険者たちの貴重な収入源のはず。
やはり時間をかけても、なるべく高く買い取って欲しいに決まっているだろう。
世の中って難しいよな。
「なかなかインテリだな。俺なんか冒険者の頃はギルドに対する報告などは全部リリックに押し付けてたな」
「リリックさんと同じ仲間だったんですか」
「ああ、あいつとは子供の頃からの付き合いだな。いわゆる幼馴染ってやつさ。まあいい、じゃあ俺の家に行くぞ」
「はい!」
そして、ギルドを出て町の南側へと五分ほど歩いていくと、いかにも高級住宅地の家が立ち並んでいるエリアになっていった。
事前に町の地図を見てたのだけど、ラルツはギルドを中心に東西南北四つの方向にメインストリートが通っており、そのまま町の出口へと繋がっている。
そして東西北はこの通り沿いに重要施設が並んでいる。
しかし南側だけは、いわゆるお金持ちの住むエリアらしく、大きな家や高級そうな宿、一流のレストランっぽい店や貴族が着るような服を売っている屋が並んでいる。
冒険者の町という雰囲気ではない。
これはいかに冒険者の町とはいえ、ここで採れた魔物の素材を買いにきた貴族や商人、あるいは国の重鎮が冒険者たちを軍にスカウトしにきたりと、そう言った人たちを迎えるための施設が必要だったらしい。
また若い頃成功してお金持ちになった冒険者が、引退後に住んだりする場合もある。
そんなエリアの一角にギルドマスターの家はあった。
屋敷、というほどではないものの、十LDKはありそうな三階建ての大きな庭付き一戸建てだ。
家族で住むだけなら、余裕過ぎるほどの広さだよな。
掃除が大変そう。
「広いお家ですね」
「ギルドマスターだからこそ、大きな家に住めってリリックが無理やり薦めてきてな。別に俺は四畳半の部屋が一つあれば十分だったんだが」
「ご家族がいらっしゃるのに、それはないですよ」
「親子枕を並べて寝るっていいじゃねーか。こう家族愛たっぷりみたいな感じでさ」
「娘さんが年頃になったら、お父さんくさーい、とか、お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで! って言ってきますよ?」
「ぐはぁぁぁぁ?! う、うちの娘に限ってそんな事はないはずだ!」
そんな幻想は打ち砕かれるさ。
妹も同じ事を言って、親父が甚くダメージを喰らっていたしな。
肩を落とすルーファストさんに、俺は気休めに言葉を紡いだ。
「気を落とさずにです! 別に私は臭かろうが洗濯一緒だろうが、気にしませんので!」
「お前……本当に八歳かよ。末恐ろしいガキだな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
家の門を潜ると例の違和感を感じた。
ここにも結界か。
ギルドマスターの家にもちゃんとあるんだな。
そして玄関の立派なドアを開けると、そこは広いホールとなっていた。
ルーファストさんと同じくらいの年齢の猫の獣人が、執事服を着て慇懃に礼をしている姿が目に入った。
「お帰りなさいませ、旦那様。お早いご帰宅で」
「ちょっと用事があって、一旦戻ってきた。すぐギルドへ戻る」
「分かりました。ところで、そちらのお嬢様は?」
猫の執事がルビーのような目で俺の方を見てきた。
なんかかっこいいな。
もう第一印象で、この執事の名はバロンに決めた。
これ以外思いつかない。
でも……この人強い。
さすがにおばあさんには勝てないだろうが、おそらくルーファストさんよりも強いだろう。
実質この家を守っている警護担当兼執事ってところだな。
なんだ、やっぱり冒険者の町だけあって、強い人っているじゃないか。
これは楽しみが増えた。
「うちで預かることになったアオイだ。ラトゥールのひいばーさんが面倒を見てた子でな、でもってひいばーさんが亡くなったので、俺のところへやってきた」
「なんと、あのラトゥール様がお亡くなりに?」
バロンの目が大きく開かれた。
かなりショックを受けているようだ。
この人もおばあさんの事を知っているのか。
まあひ孫のルーファストさん家にいる執事だし、当たり前か。
「ああ、これからやっかいな事になりそうだ。とりあえずこいつには、アリスの隣の部屋を充てがってくれ。次帰ってきた時、アオイに何をやらせるか決めるから、それまでは家の説明だけして後は自由にさせてやってくれ」
「分かりました。メイド見習い扱いで?」
その返答に一瞬迷ったルーファストさん。
しかしすぐに「養子扱いだ」と断言した。
あれ? 養子?
タダで面倒見て貰おうとは思っていなかったから、掃除なり洗濯なり料理なりの手伝いはしようかと思ったんだけど。
一応お金ならおばあさんから貰ったものがまだたくさんあるし、ある程度町の事とか覚えたらすぐ冒険者になって独り立ちしたいんだけどな。
「ラトゥール様が面倒を見ていた子供、そして種族も異なりますが、よろしいので?」
「ああ、かまわん。アオイ=シーレイスの名で申請しておけ」
バロンが念を押したように問いかけるが、ルーファストさんはもう決めたようで迷わなかった。
「分かりました」
「ホライズ、あとは頼んだ」
「少々お給金を増やしていただければと」
「食えない奴だな、わかった。では俺はギルドに戻る。アオイ、今日は娘のアリスと顔合わせしておいてくれ」
「はい! お任せください!」
ルーファストさんは、ホールからそのまま家を出ていった。
ギルドマスターっていうくらいだから、仕事忙しいのだろう。
「ではアオイお嬢様はこちらにおいでください」
「はい! ところでそのお嬢様ってのはやめてください。柄ではありませんので」
「旦那様は養子扱いとおっしゃっておりました。ならば私の立場からは、アオイお嬢様とお呼びするのが仕事になります」
「仕事と言われたら仕方ありませんね。では、執事さんをバロンと呼んでいいですか?」
「……は?」
「いや冗談です。ホライズさんでいいですよね」
「はい、それでお願い致します」
でも俺の中では既にバロンで定着したけどな。
バロンの後をついて、ホールにあった螺旋階段をあがっていく。
何と言うか、金持ちの家だな。俺には合わない。
早いところ独り立ちしたいものだ。
三階にあがり、一番手前の部屋の前に止まった。
「こちらがアオイお嬢様のお部屋となります。今はベッドしかありませんが、他の家具は後ほど発注いたしますので、今しばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
ドアを開けて部屋の中に入ろうとしたとき、バロンがぽつりと呟いた。
「ところでアオイお嬢様、中々お強そうですね」
その言葉に一瞬身体が止まる。
バロンは、やはり修羅勢か。
こうでなくっちゃ冒険者の町らしくないよな。
「おばあさんにそこそこ鍛えられましたから。自分の身と、多分もう一人くらいは守れますよ? 何しろダンピールですから、盾としても打ってつけですしね」
「それは期待しましょう」
「はい。それと……あなたとも是非一度お手合わせ願いたいですね」
「それはそのうち、ということで。また夕食後に家の中をご案内いたしますので、それまでご休憩してください。それでは失礼致します」
「はい、ありがとうございました」
バロンが去っていくと、俺はベッドに飛び乗った。
かなり高級なベッドなのか、ものすごくふわふわだ。
しかも使われていない部屋にしては、埃もない。
毎日掃除がきちんとされている証拠だろう。
それにしても、俺ってこんなに戦闘狂だっけ?
でも、知らない人と手合わせするって楽しいよな。
オラわくわくしてきたぞ。
っと、そうだ。
ルーファストさんの娘さんと顔合わせしておこう。
確か隣の部屋だったよな。
俺は廊下に出ると、隣の部屋のドアをノックした。
「……どうぞ」
中からよく通る澄んだ声が聞こえてきた。
へぇ、可愛い声だな。
さて、どんな子なのか楽しみだ。
ドアを開けて部屋の中を見ると、中央に大きな机と椅子が三脚あり、こちらに背を向けて座っている髪の長い女の子がいた。
ふむ、勉強中だったのかな。
じゃあ顔だけ見せて、邪魔にならないうちに今日は退散するか。
その女の子が振り返り、俺と視線が合わさる。
金色の長い髪に蒼い目の少女。
その瞬間、「畑仲君?」と誰かに呼ばれた気がした。




