7 遺言
「おーい! アオイいるか! 大変だ、ばあさんが、ばあさんが倒れた!」
レイアードさんが発した言葉を理解するまで、暫く時間がかかった。
倒れた? 誰が? あのおばあさんが?
ワイバーンですら殴殺できる俺の拳を、軽く受けながす殺しても死なないような、あのおばあさんが?!
「レイアードさん、それ、本当ですか?」
身体を起こし、レイアードさんの目の前まで一気に駆け寄る。
「……っ?! やっぱここにいたか、本当だ! 早く行ってやってくれ!」
「わかりましたっ!」
体内に魔力を巡らせ、そして飛ぶように地面を蹴った。
一瞬でトップスピードに乗ると、そのままペースを落さず山を駆け下りていく。
「お、おい! 俺を置いていくなぁぁぁぁ!」
何やら後ろで声が遠のいていくが、そんな事は気にせず、次々と木を蹴って進んでいく。
普通の人が歩けば三時間はかかる距離を、ものの十五分もせず俺は駆け抜け、そして家についた。
家のドアを破壊するように開け、そして普段おばあさんが寝ている居間へと走る。
居間にたどり着くと、そこは柔らかい布団で静かに寝ているおばあさんの姿、そしてその隣にはテンペさんが座っていた。
俺の姿を見るや否やテンペさんが名を呼ぶ。
「……アオイちゃん」
「テンペさん、お、おばあさんは……? まさか……」
間に合わなかった?!
朝はあれだけ元気だったのに?!
赤と緑に光るオッドアイから、一滴の涙が伝わってくる。
と、その時寝ていたおばあさんの目が、ゆっくりと、そして弱々しく開いた。
「なんだい、うるさいね。ゆっくり死ねないじゃないか」
「死んじゃだめでしょ!?」
「ああもう、やかましい子だね。それにしてもアオイ、よく間に合ったさね。いつもの山にアオイの気配を感じたから、間に合わないかと思ったさ。いざとなったらテンペに伝えておこうかと思ったくらいだよ」
ここから山まで十五kmはあるのに、そんな遠くにいる人の気配を感じる?!
おばあさん、本当に人間か?
いや、今はそんな事どうでもいい。
「全力で走ってきましたから! それより大丈夫なのですかっ!?」
「もうダメさね。せいぜいあと十五分ってところだろうね」
「そんな……」
止まった涙が再び流れ出し、視界をゆがませた。
「ああもう、涙もろい子だねぇ。年寄りが先に逝くのは自然な事だよ」
「でもっ……でもっ!」
「ほら後十四分くらいだよ。さっさとあたしに言いたいこと言わせてくれ」
自分でカウントダウンしないで欲しい。
ほんとに。
「ううっ、ぐすん……な、何でしょうか?」
「アオイ、お前に渡すものがある。一つはあたしが使っていた杖、そしてもう一つは、机の上に置いてあるポーチだ、中を開けてみな」
俺は机の上にぽつんと置かれている小さなポーチを手に取る。
それは様々な物体を、ある一定量まで保存できる冒険者には必須のアイテムだった。
当然、容量が大きければ大きいほど、ものすごく高くなる。
しかし机の上に置かれているポーチは、魔法で作られていた。
魔術ではなく魔法だ。
魔法のポーチは、現在の技術では製作不可能とされており、古代遺跡やダンジョンなどで極稀に見つかるものしか、流通されていない。
容量も魔術のポーチだとせいぜい武器や鎧を十セット入ればいい所だが、魔法のポーチは軽くその百倍は入る。
当然値段も国家予算レベルの金額で取引されている。
その魔法のポーチを空けると、中にはかなりの額のお金とおばあさんが愛用していた杖、そして手紙が二通入っていた。
「いいかい、手紙のうち一通はアオイの身分証明書代わりのもの、そしてもう一通は、冒険者の町ラルツにいるあたしのひ孫への紹介状さ」
「冒険者の町……ラルツ……」
「あたしが死んだら、アオイはラルツへ行くんだよ。その紹介状にはアオイの面倒を見るようにと書いておいたからね。もしひ孫が断ったら、その杖で叩き切ってやりな。金はそれまでの交通費に使うといいさ」
「……はい」
もう涙で顔がぐちゃぐちゃになって、更に鼻声だ。
「さて、あと十分くらいかね。テンペよ、お前はちょっと席を外してくれんかね」
「ぐす……はい、分かりました」
テンペさんも声を殺して泣いていたが、おばあさんの言うとおり部屋から出て行った。
テンペさんの気配が、部屋から離れて隣の部屋へと移動していく。
それを確認したのか、おばあさんが再び口を開いた。
今までとは違い、まるで模擬戦をする直前のような雰囲気で、思わず姿勢を正してしまった。
「さてアオイよ。お前には一つ頼みごとがある」
「はい。何でもお受けします」
「いいかい、良く聞くんだよ? あたしが死んだら、あたしの腕に巻いてある青いリボンを解いて、アオイの髪留めに使え」
「髪留め……に……?」
「ああ、あたしが死んだら、だよ? 他の誰にも触れさせず、アオイが一番最初に取るんだからね。わかったかい?」
「わかりました」
「それと、このリボンはあたしから貰った、と言ってはいけないからね。誰にも言うんじゃないよ。例えあたしのひ孫だろうと、これから先、出会うであろうあたしと同じパーティだった冒険者でも、言ってはいけない、必ず墓場まで持っていく事」
「はい」
なぜリボン如きにこれだけ念を押されるのか。
いやそれ以前に、リボンをどうやって髪留めにするのか分からない。
まあその辺りはあとで誰かに聞くとして、理由は分からないけど、これは絶対何かあるに違いない。
しかし、ダンピールに寿命ってあるのかわからないけど、俺が生きている間は絶対に誰にも言わない。
おばあさん、それは約束するよ。
一息ついたおばあさんの気配が、急速に薄れていく。
伝えたいことを伝えたかのようだった。
「よし、あと四分くらいかね。残りはそうさね、アオイに一つアドバイスをしてやろうかね」
「アドバイス?」
「アオイ、お前はテンペの血を見て吸血衝動に襲われた、違うかい?」
なぜそれを? 見ていたのか?
「……はい、その通りです」
「まあ吸血鬼やダンピールなら仕方のないことさ。人が空腹を感じたとき、食べ物をうまそうと感じるのと一緒さね」
それは、人を……テンペさんを食べ物として見ている事になるんじゃないのか?
そんな事出来るわけがない。
「だからそれを恥じてはいけない、恥じるとすればその衝動を押さえ込めなかった時さ。お前はテンペの血を見ても衝動を抑えきった、だから恥じる事はないさ」
「…………」
「いいかい、吸血鬼やダンピールは昔っから根暗な奴が多い。まるで自分が悲劇の主人公やヒロインになったかのように、延々とぐちぐち細かい事をいつまでも気にする奴らばかりさ。百年以上生きて、何十人もの吸血鬼たちと出会ったが、もうほぼ全員そんな奴らばかりだったさね」
……根暗、か。
何も知らない赤子の俺を捨てた両親。
彼らもダンピールの俺を生んでしまって、そして悲劇のように感じ、俺を捨てたのだろうか。
「でもね、アオイはそんな吸血鬼やダンピールのイメージを一掃すればいい。もっと明るく、楽しく、人生を謳歌すればいい。そうすれば周りもお前に感化されていくさ」
そうか、ネガティブ思考ではなく、ポジティブ思考で生きていけ、という事か。
俺が吸血鬼やダンピールたちのイメージを変えていく。
人に嫌われない吸血鬼、ダンピールを目指せばいいのか。
しかし残りも短いのに、なんでこんな事にまで口を挟んでくるんだよこのおばあさんは。
もう、さっきから涙がとまらねぇよ。
「だから、落ち込まず、いつまでもうじうじしてないで、さっさとテンペに明るく謝るがいいさ」
「……はい……はいっ。分がりまじた……」
涙で声が上手く出ない。
「それとアオイ、一つ黙っていたことがあるんだよ」
「だ、だまっていた?」
「お前がワンコと呼んでいた魔物、あれはあたしが昔契約していた精霊獣でね。お前がここにくる前に、そいつから連絡があったのさ。アオイというダンピールを託した、アオイはあたしの後継者に相応しいだろうから、とね」
「ワンコが……」
あいつ、こんな所まで、俺をサポートしていたのか。
「それにしても、ワンコという名には久々に大笑いしたね。しかもあいつはそれをものすごく喜んでいたね。あれだけあいつを喜ばせたのは、お前が始めてだよ」
「いえ、私もまさかあの名であんなに喜ぶとは思ってもいませんでした」
これはマジである。
「全く氷冬も物好きな奴さね。せっかくあたしが契約を解除して、自由な身にさせたというのに、未だにあたしの後継者探しなんかやってたとはね」
「後継者って?」
「ふふ、それはいつか分かる時がくるさね」
おばあさんはそう笑うと、突如布団から起き出した。
慌てて止めようとする俺を、おばあさんは左手でとめる。
「ちょっ! 寝てなきゃだめですっ!」
「後三十秒、これが最後なんだから、これだけは言わせてくれ。一生に一度しか言えないんだからさ」
そしておばあさんは、青いリボンの巻かれている右腕を天へと突き出した。
その右手からとてつもない強大な魔力が一瞬で集まり、そして天井を突き抜け一気に天へと登っていく。
それはまるで、龍が大空へ昇るような姿だった。
「我が生涯に一片の悔いなし!」
そう叫んだあと、おばあさんは力なく崩れ、そして息を引き取った。
右腕に巻かれていた青いリボンが、音もなく外れる。
俺はそれを泣きながら拾い、そっとローブの内ポケットへと仕舞いこむ。
そして改めておばあさんを見た。
その死に顔は、ものすごく満足した笑顔だった。
感動的なラストシーン! 思わず涙が……出ませんよね←
これで第一章が終わりになります。むしろここまでが序章でもいいくらいかも。
これから先、主人公の性格が明るくノリの良い方向へと変化していきます。




