黄色い水仙とかすみ草
「あの、すいません。黄色の水仙ってありますか」
特定の花の名前を口にするお客さんは珍しくない。でもこの人、芽さんには珍しいことだった。エプロンで手を拭き、芽さんに近寄る。彼女の赤茶色の髪から陽光が透けて綺麗だった。
「芽さん! こんにちは」
「こんにちは」
お淑やかな風鈴みたいな声で彼女は笑った。働いている者にとって、常連のお客さんの来店は嬉しい。
「黄色の水仙ありますよ~。と言っても今生けてあるのは我が家のものなんですけど」
「あら、洋さんのところの?」
「ええ、本当はピンクのゼラニウムを植えたかったんだけど品切れで。黄色い水仙、だけですか?」
「そうね、少し小ぶりなお花とともに、そちらのおまかせで、お願いします」
かしこまりました!
元気よく返事をすると店内に戻る。白くて小ぶりな花……かすみ草なんかが似合うかなあ。おまかせで花束をつくってくださいと言われると腕がなって楽しい。その花束を渡して喜んでもらえたときは本当に幸せな気持ちになる。
「ねえ洋さん。どうしてゼラニウムを植えたかったの?」
至極単純な考えだから話すのも恥ずかしい。少し口ごもってしまう。白いワンピースを着た芽さんは若く見えるがわたしより4つ年上できちんと自立した大人の女性。話しやすいからつい忘れてしまう。
「あ~、つい先週から本格的にここの店員になったじゃないですか」
「ええ、そうね。あぁ、私ったらまだなんのプレゼントも」
「いえいえ、お気持ちだけで十分ですよ。こうやっていつもここでお花を買ってくださってくださることもですけど、花を包む間、あなたとお話できるのがわたしの楽しみですから」
「ありがとう。それで、どうしてなの?」
話をそらせたつもりがそらせられなかった。
「あぁええと、ピンクのゼラニウムの花言葉知ってます? 決意なんですよ」
ちょきんと水仙の茎を切り取った。茎を揃えて輪ゴムで一つにまとめる。
「決意……」
「このお店でがんばろうって。今わたしがなによりも熱中したいことはこれなんだって、決めたんです」
かすみ草の束を抜き取り、水仙に寄り添わせた。うん、お似合いだ。あとはリボンの色を。
「素敵なことね。でも」
芽さんは笑って勿忘草の鉢を手に取った。ずっしりと重いわね。彼女は淡々とそう言った。時折魅せる妖艶な笑みを浮かべて彼女はわたしに問うのだ。心を見透かすように。
「なにか、なにかから遠ざかっていない? 忘れようと、していない?」
「え……」
手に持っていたリボンをこぼしてしまうほど、わたしは動揺したのだろうか。エプロンにしわがつきそうなくらいぎゅっとそれを握った。手は大丈夫、震えていない。
「勿忘草--ドイツの伝説のエピソード知っているわ」
これまた唐突に話を変える芽さん。
「……あぁ、騎士と恋人の話ですよね」
何事もなかったように芽さんは勿忘草を元の場所へ戻した。わたしは一息つくと落ち着きを取り戻す。今は仕事中だ。しっかりしないと。お客さんとのおしゃべりがすぎたかもしれない。床に落ちたリボンを机の上において、違う色のリボンを引っ張った。
「どうしてかすみ草にしたの」
テーブルに頬杖をついて彼女はわたしに問う。今日は質問責めだなあ。ラッピングから目を離さず、彼女の美しい小さくて白いお顔を見ずに素直に考えを口にした。
「白くて小ぶりな花が似合うと思ったので。水仙の花言葉にも合いますし」
「……あなたはガウラね。知ってる?」
首をかしげてじっと瞳の奥を覗かれた。わたしはにこっと笑って答える。
「白い蝶っていわれるお花ですよね」
「負けず嫌いってことよ。ありがとう、また来るわ」
わかってるくせに、そう聞こえたけれど、わたしは知らないふりをした。ありがとうございましたと頭を下げる。彼女は足取り軽く店を出て行った。花束を見下ろす彼女の顔がうれしそうだったのでよかったとする。はぁとため息をつくとちょうどいいところに、配達から戻ってきた店長から声がかかった。
「ただいま洋ちゃん。あの女性とけんかでもしたの、外まで見送らないなんて」
「いえ、がまんくらべしてたんです」
意地悪に謎めいた言い方をすると店長はふくろうみたいに首をかしげた。