ピンクのゼラニウム
ひーよひーよ、と声が聞こえた。
「あれ、店長。今なにか言いました?」
「え、言ってないよ?」
もっていた肥料を床に置いて、外に出る。9月の上旬の気温だとお天気アナウンサーが言っていた通り、今日はとてもあたたかい日だ。太陽は雨上がりの草花をよりいっそう綺麗に照らしてくれる。わたしは雨上がりこそ、一番お花が売れる瞬間だと自負している。
ひーよ。
また聞こえる。こんなふうに鳴くのは、たしか。
「そう、ヒヨドリ! 女の子みたいな小鳥だ」
「え、なに!?」
大声をあげた声に店長は肩を揺らしてびっくりする。
「あ、ごめんなさい。知ってる小鳥を見つけて」
「また鳥かい? 洋ちゃんはお花より鳥好きなのかな」
「そんなことないです。どちらも好きですよ。この前も秋桜描きましたし」
「また見せてね。僕は洋ちゃんの絵、すごく好きだから」
丸めがねをくいっと押し上げて店長は笑った。わたしは軽く会釈すると、ヒヨドリに向き直った。
ヒヨドリ。花の蜜を吸ったり、果物の汁を好む春の鳥。わたしが昔、女の子みたいな鳥だと言った。そう、あの時もあの人は隣でそうだねって笑ってくれたな。
ヒヨドリは枝から枝を移動して、それから羽根を広げてこちらに飛んできた。
「あ、お店のお花はだめだよ」
お店の外に飾られたお花たちをかばうように両手を広げた。昔なら、どうぞってこの子に道を譲っていただろう。あのころのように純粋に生きていれたら。自分がもうそんなに綺麗でいないことは自分でもわかっている。だからこそ、手紙を書くのもやめてしまった。
小鳥は空中でばたばたと飛ぶと、どこかへ去っていった。悪いことをしてしまった、と自分の行動を悔やんだ。間違ったことはしていない。悪いことと間違ったことは違う。そんなことわかっているけれど。
「洋ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」
店長に呼ばれて我に返る。今はお仕事中なんだから、しっかりしなくちゃ。頬をぱんぱんと叩くと、後ろでまとめた髪をきゅっときつく縛りなおした。
「なんですか?」
「この前模様替えしたんだけどね、この区間はもう少し右にしようと思って」
「えー、またそうするんですか。何度目ですか、もう」
そう言いつつも、店長の反対方向に立ち、大きな観葉植物を右にずらした。店長は細かい。そして記憶力が悪い。
「そういえば洋ちゃん、来年高3だけど進路どうするんだっけ」
「もう何回言えば覚えるんですかぁ、専門学校いくつもりですよ」
丸めがねをずり落として、店長は驚いた顔をする。もう三度も見た顔だ。口をあんぐりあけた姿が面白い。
「専門学校? 美大行かないの」
「美大は親に反対されたし、絵を描くのは好きだけど才能なんてわたしにはないですから」
周りを見回すとさまざまな色に染まった花々がある。昔から花も好きだった。あの人と一緒にいるときはどうしても鳥に目移りしていたが、綺麗な羽根をもつ鳥と同じくらい花言葉もあって、人に安らぎを与える草花をわたしは昔から愛していた。
「そんなことないよ、今からでも考え直せば」
「もう、店長はいつもそう言う。もう決めたんです。専門学校にいってフラワーアレンジメントの勉強をする。そしてここで本格的に働くって。いいんですよね、店長」
腰まで長くのびた黒髪を揺らしてそう尋ねると、店長は少し困ったようにうなずいた。困った顔をするのは彼の癖だ。
「ああ、うん。僕は助かるけど」
まだなにかいいたげな店長を残してまた外に出る。一度決めたことに口出しはされたくない。ふうとため息をつく。見知った女性がこちらに近づいてきてくれた。
「綺麗なお花ね。これをくれるかしら」
「はい、ゼラニウムですね。少々お待ちください」
彼女も花好きの女性でよくお店に来てくれる常連さんだ。名前は知らない。でもどこか通じるところがあって、よくお話させてもらっている。
「あなたは、お花が好き?」
わたしの後をついてお店の中に入った、赤茶色の髪をした背の高い女性が小さな声でそう言った。彼女はいつも一番綺麗に咲いている花を買っていく。新鮮でたくさんの花の中からでも元気に咲いている花を。わたしはリボンを巻いて、花を正面から見て形が整っているか確認し彼女に差し出す。
「ええ、好きですよ。花はわたしたちにパワーをあたえてくれますから」
そう答えると女性は少し考えて、そうね、と笑ってありがとうと花束を受け取った。