必くんと絵画
「必くん! 今日はね、雀かいた!」
「必くん! カワセミ!」
「必くん! このきれーなおさかなの名前は?」
小さい頃から鳥が好きな必くんが好きだった。鳥のことに詳しくて、綿の実が弾けるように笑う必くんが好きだった。
わたしは絵を描くのが好きで、鳥の絵を描くのが特に好きだった。描いては描いては必くんにあげた。必くんのあの弾けた笑顔が見たくて。
必くんはなんでもできた。お勉強も運動も、絵を描くのだって上手だった。でも必くんは言った。
「鳥の絵は僕より洋のほうが上手だね」
わたしはその言葉が嬉しくてたまらなかった。
必くんに鳥の名前を教えてもらっては、ふたりで山や森に行って鳥を間近で見る。そんな子供時代を過ごした。家に帰ると記憶をたよりに鳥の絵を描いた。必くんが今日教えてくれた鳥を、綺麗な羽をした鳥を、自分らしく描いた。そしてその絵を次の日必くんにあげる。それがわたしの毎日だった。
カワセミの狩りを見ようと、山奥のりんご川まで遊びに出かけたとき、必くんにとある質問を投げかけたことがある。
「必くんの一番好きな鳥はなに?」
必くんは大きな岩の上に立っていた。夏の暑い日に麦わら帽子もかぶらないで、じっと木の枝を見つめていた。わたしは隣の岩に腰掛けて、膝を抱えていた。自分より遥か上の必くんの藍色の短い髪が風になびくのをずっと見ていた。必くんは質問には答えなかった。その代わりこう返事をするんだ。
「洋は、文鳥みたい。黒いおかっぱ頭に白い頬、ピンク色の唇。すっごくかわいい」
そう言って洋くんは笑う。そしてわたしの髪を何回も何回も撫でるんだ。
わたしの引越しが決まったのは中学一年生になった夏。裏のおじいちゃんの家の三毛猫が死んだ夏のことだった。お父さんの仕事の都合で、この藤岡村から東京に転勤になったそうだ。それが決まった日、わたしは必くんとまたあの川で遊んでいた。それからの記憶は断片的なものしかない。お母さんが呼びに来て、家に引き戻されて、すぐに荷物をまとめて、次の日には村を出ることになっていた気がする。
見送りに必くんは来てくれた。わたしが必くんの目の前にたっても、必くんは綿の実を弾くことはなかった。黙り込むわたしたち。時間だけが刻々過ぎていく。空港の大きな窓から夕方のオレンジ色の光がすーっと差し込んでくる。必くんは今まで見たこともない顔でわたしをみた。目にたくさん水が溜まってた。
「洋、いつもありがとう。洋の描く鳥が大好きだったよ」
「必くん、わたしは、必くんが話す鳥のおはなしが大好きだった」
わたしはこらえきれずにぽろぽろ泣いた。声は上げなかったけど涙は止まらなくて、必くんの顔が見れなかった。代わりに、昨日描いた絵を突きつける。
「きのう、描いたの。……最後に、この鳥を」
描いたのは文鳥だった。文鳥みたいと笑う必くんの笑顔が最後に見たかったから。
頭が黒くて頬は白い。胸は灰色、くちばしは薄いピンク色の小さな鳥。必くんがわたしだと何度も言ってくれた鳥。
必くんは急にわんわん泣き出した。泣いた必くんを初めて見た。赤ちゃんみたいに気ままに泣いた。うるさいとか、恥ずかしいとか考えることなく。気ままに。
「文鳥は、僕が、一番好きな鳥だよ。ありがとう。洋」
ひとしきり泣いたあと、赤い目をこすりながら必くんは言った。わたしの名前を呼んだあとは、綿の実が弾けたみたいに笑った。わたしもおかっぱ頭の髪を揺らしてくすくす笑った。
まだ時間があったから、必くんと一緒に外に出た。夏の夕暮れは綺麗で、またじわりと目尻が熱くなった。無造作に手で目をこすっては鼻をすする。夏の空気は必くんの匂いがした。隣で大きく伸びをする必くんにばれないよう、わたしはいっぱい夏の匂いを吸い込んだ。彼のことを忘れないように。