夢
「……」
これはあれだ。明晰夢という奴だ。
「まぁ、寝た時のことも覚えてるし」
めちゃくちゃ暑くて寝苦しかった。
辺りを見渡すと白い空間が広がっているだけだった。
「おやおや? 誰かいるのかな?」
「え?」
不意に後ろから声をかけられる。振り返ると可愛い女の子がいた。金色の髪をサイドにまとめ、紅いワンピースを身に纏っている。見た目的に小学高学年。
「君はどこから来たのかな?」
「どこからって……現実からかな?」
ここは夢。つまり、幻想の世界だ。ならば、僕の世界は現実だと言えるだろう。
「現実から! 答えられたのは君が初めてだよ! いつも、皆わからないんだ」
女の子の口調はどこか違和感を覚える。まるで、見た目は子供のなのに中身は大人のようだ。
「わからない?」
「だって、夢って無意識で見るものでしょ? だから、夢を見てる時は現実か幻想かわからないんだ。でも、君は違った」
そこで女の子は微笑む。
「いつもなら適当な夢を見せるんだけど特別に君の望む夢を見せてあげるよ!」
「僕が望む……夢?」
「そう! 好きな女の子と付き合う夢。メジャーリーガーになって大活躍する夢。宝くじが当たって大金持ちになる夢。どんな夢でもどうぞ!」
「え、えっと……」
そんなこと急に言われてもどうしていいかわからない。
「え? 叶えたい夢、ないの?」
女の子が首を傾げながら問いかけて来た。
「そ、そんなことはないけど……」
「なら、叶えちゃおうよ! ほら、何でも言って」
「……じゃあ、お母さんに会いたい」
「お母さん?」
「うん……僕のお母さん、僕を産んで死んじゃったの。だから、会ってみたいなって」
お父さんからも話を聞いているが、やっぱり実際に見たかった。
「ふむむ、悲しい話だ。私も泣きそうになりそうだよ。では、君の願いはお母さんに会うことだね?」
僕は黙って頷く。
「よーし! じゃあ、その願いを叶えちゃおう!」
そう言って女の子は僕に近づいて来る。
「では、行ってらっしゃーい!」
「あだっ!?」
女の子のデコピンが僕の額に直撃。あまりにも威力がありすぎて僕は意識を手放した。
「……て」
(誰だろう? この声)
「……起きて」
「ん……」
「ほら、遅刻しちゃうわよ?」
優しい声音。聞いていると心の底から安心する。
「早く、しちゃいなさい? 朝ごはん、食べられなくなっちゃうわよ?」
「……え?」
『朝ごはん』という単語に違和感を覚えた。いつも、夜遅くまで仕事を頑張っているお父さんのために僕が家事をしているからだ。もちろん、朝ごはんだって僕が作っている。
「あ、やっと起きた?」
目を開けるとそこには優しく微笑んだ女性がいた。髪型は黒いストレート。顔は整っており、美しかった。
「あ……」
僕は驚きで呻き声しか上げられなかった。
「お、母さん?」
「そうよ? どうしたの? 怖い夢でも見た?」
そう、お母さんが目の前にいたのだ。
会いたくても会えなくて、話したくても離せなくて、触れあいたくても触れあえなくて、甘えたくても甘えられなくて――ありがとうと、僕を産んでくれてありがとうと言いたくてもその言葉は届くことのなかったお母さん。
「お、お母さん!」
布団から抜け出してお母さんに抱き着く。
「あらあら、変な子ね」
くすくすと笑いながらもお母さんは僕を抱きしめてくれた。
柔らかな手。良い匂いが僕の鼻をくすぐる。
「会いたかった……会いたかった!」
涙が勝手に流れてしまう。
「もう、本当にどうしちゃったの? 私はここにいるわよ?」
ギュッと抱きしめてくれた。それだけでも僕は死にそうなほど心臓がバクバクと鼓動している。
「お母さん!」
もっと、触れたかった。上を見上げ、お母さんの頬に手を伸ばす。
そこで目の前が真っ暗になった。
「……あれ?」
「どうだったかな? 素敵な夢だったでしょ?」
気付けば、さっきの白い空間にいた。目の前にはニコニコしている女の子。
「お、お母さんは?」
「……君はここがどこか忘れたの?」
「ここは……夢」
「そう、夢。現実ではできないことを見られる素敵な空間。全人類に与えられた特権。でも、それは現実に反映されることはない。素敵で悲しくて切ない空間」
つまり、お母さんに会えるのは夢だけ。
「そっか……」
「あれ? 私の想像だともうちょっと駄々こねると思ったんだけどなぁ?」
「もう、諦めてたから……でも、素敵な夢だったよ。ありがとう」
頭を下げて女の子にお礼を言う。
「いいのいいの! 私も楽しかったし!」
(楽しかった?)
女の子にその言葉の意味を聞こうとするが、その前に女の子が口を開いた。
「じゃあ、次はどんな夢を見たい?」
「次?」
「そうだよ! よくあるでしょ? 今、見てる夢が別の夢に変わること! それはね? 私の気まぐれでやってることなんだ!」
「そうなんだ」
「で? どうするどうする?」
迫って来る女の子。あまりにも顔が近かったので顔が熱くなるのを感じた。
「お、落ち着いて! 考えるから少し待ってよ!」
「むぅ! 君には欲望って物がないの! 普通の人なら108つもあるんだよ!!」
「そう言われても……」
うーんと唸り声を上げながら僕を思考の海にダイブする。
「……あ」
「お? 何か思いついた!?」
「う、うん……」
「何々!?」
また、女の子は顔を近づけて来た。
「だから、落ち着いてって! えっとね? 人気者になりたいなって」
「人気者?」
「うん……実は学校でいじめられてて」
中靴を隠されたり、椅子に画鋲が置いてあったり。正直言って行きたくない。でも、お父さんに迷惑をかけてしまうので我慢している。
「そ、そんな……そんな悲しい子だったなんて! 悲しい! 悲しいよ!!」
女の子は泣く真似をしながらそう叫ぶ。
「じゃあ、その願いを叶えてあげましょう!」
そう言って再び、デコピン。また、気を失った。
「……い」
「……ん?」
誰かの声が聞こえて体を起こした。前には大きな黒板。目の前にたくさんの椅子と机が並んでいる。どうやら、学校のようだ。
「おいってば!」
「は、はい!!」
聞き慣れた声に思わず、立ち上がって返事をしてしまった。
振り返ると肥満体格の男の子がいた。この子がいつも僕をいじめている。足がガクガクと震え出す。
何を言い出すのだろう? 教科書を貸せ? 金を貸せ? 殴らせろ?」
「はい、前に頼まれてた漫画」
そう言いながら笑顔で漫画を差し出すデブ。
「え?」
「だから、ほれ。貸してやるって約束しただろ?」
「あ、う、うん……」
戸惑いながらも漫画を受け取った。
「めちゃくちゃ面白いから! あ、返すのはいつでもいいから! じゃあな!」
そう言いながら、教室を出て行くデブ。
それからも色々な人に声をかけられた。遊びに行こうと誘われもした。
「じゃ、じゃあ……またね」
最後に声をかけて来てくれた女子に手を振りながら挨拶する。これで教室には誰もいなくなった。
「こ、これが……人気者」
皆から笑顔を向けられ、皆に話しかけられ、皆に愛される人。
「ものすごく、幸せだ……」
そう呟いた瞬間、また目の前が真っ暗になった。
「……」
「おかえり! どうだった?」
「途中から夢だって忘れてたよ……」
そのせいで現実に帰るのが嫌になってしまった。
「それぐらい夢中だったんだね! じゃあ、どんどんいこー!!」
それから、お腹一杯ステーキを食べる夢やお父さんに家を買ってあげる夢。好きな女の子に告白される夢などたくさんの夢を見た。
「次は次は!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
思いつくものから叶えて来たが、さすがにネタ切れだ。
「早く! 叶えたい夢ないの?」
「う、うーん……もう、ないかな?」
そろそろ、現実に帰りたくなったのだ。
「ないの?」
「うん」
「……へぇ?」
ニコニコしていた女の子が突然、無表情になった。
「あーあ……せっかく、叶えてあげたのに」
「え?」
「なーんだ。つまんないの」
女の子がサイドポニーをなびかせながらくるりとこちらに背を向ける。
「そんなつまんない君は一生、ここに居て貰うよ」
「……え?」
「だって、ここは夢の世界。普通の人なら帰りたくなくなる。でも、私はそれを邪魔する。それが楽しいのに……君は最高につまらない人間なんだね」
様子がおかしい。女の子の声音がどんどん低くなっていく。
「いいのいいの。君は現実に帰りたいんだよね? オッケーオッケーわかったわかった。じゃあ、その逆をすればいいんだね?」
「……は?」
「私はね? 人間の絶望を食べて生きてるの。まぁ、夢にいるから獏かな? ここを気に入った人間を追い出す時にその人間が吐き出す絶望を食べる。それが美味しいのなんの! でも、君は? ここから出ても絶望してくれない。つまんなーい」
女の子はまた、こちらを振り返った。
「ひっ……」
その顔には禍々しい微笑みがあった。思わず、悲鳴を上げてしまう。
「お? いいねぇ。その絶望」
「い、いやだ……嫌だよ!」
「あ、そっか……何で、君が現実に帰りたいのかわかったよ。君は明晰夢を見てるからだ。それはそれは可哀そうに。普通の夢なら普通に絶望を喰われて現実に戻れたのにね♪」
女の子はニヤニヤ笑いながら僕に近づいて来る。
「こ、来ないで……」
「君は不幸だね? こんな、恐い思いをして可哀そう」
怖くて蹲ってしまった。僕に影がかかる。女の子が僕を見下ろしているのがわかった。
「ほら、私と一緒に夢の世界で暮らそうよ! 楽しいよ?」
「い、嫌だよ……」
「そんな我がまま言ってもダーメ♪ ここは私の世界。君は私の操り人形なんだよ」
「嫌だよ……嫌だよ!」
我慢の限界に達し、顔を上げて叫んでしまった。
「現実に帰りたい!!」
「は~い、その願い叶えてあげましょう!」
「じゃあ、行ってきまーす!」
僕はランドセルを背負って玄関を飛び出す。
今日は日直なのでいつもより早く家を出たのだ。そのせいで“友達”に待ち合わせの時間を早めて貰っている。遅れてはならない。
「行ってらっしゃーい」
その声に振り返ると“お母さん”が笑顔で手を振っていた。




