ダメ人間の幸せ日記 ピアノ
高校生の頃、ダメ人間だった私は、毎日、毎日ピアノを弾いていました。
毎日、毎日、学校から帰って、寝るまでの数時間、弟の死を忘れるように、J.S.バッハのイギリス組曲を弾きこみました。
バッハのこの曲がもつ深さに、底というものはありません。
可能な限りできるだけ深く、自分の音の表現ができるよう、練習を重ねました。
高校2年生の秋の頃でした。
バッハの曲を弾きこみに弾きこんだ当時、世界一の弾き手くらいの感覚で、私はあるステージに臨みました。
どのように音を出し、どのように指を動かし、どのように表現していくか、ステージに上がった後は、練習通りに音を出していくだけです。
鍵盤に指をのせ、最初の一音から自分の音を出す事に全神経を注ぎ、私は曲を弾き始めました。
ステージに楽譜は持ち込みません。
音楽は全て、頭の中に入っています。
色々な思いを音にするには、視覚からの情報は邪魔になるだけです。
第二楽章プレリュード、曲が残りの半分にさしかかった時、頭のどこかで、前半とは違う表現に出来ないかという思いがよぎりました。
!?
あくまでも、音符の流れと指の流れ、曲全体のイメージが、自分自身の中で完成され、出発地から到着地までの指の動きが完全にインプットされている状態での演奏だったのです。
ところが、実際のステージ上でピアノを弾いている最中、何百時間と弾きこんできた、この日の為の本番中に『目的地は一緒なんだから、道、変えてみようかな』的な事を考えてしまったのです。
くどいですが、本番でやることは決まっていたんです。
考えちゃいけないタイミングで考えちゃいけない事を考えてしまったのです。
ヤバい!何考えてんだ!
と思っても覆水盆に返らず。
頭の中は真っ白。
弾いている最中、弾いていくべき楽譜(音楽)が頭から飛んでしまいました。
自分が、何を弾いているのか分からない…今、まさに、弾いているのに。
練習中、目を閉じたまま曲を弾ききる事は出来ていましたが、曲を忘れて、曲を弾く練習はしていません。
練習中に晩御飯の事を思い浮かぶことがあったとしても、それは、一小節とかほんの数音での話です。
小説のあらすじを頭で思い浮かべながら、指は三角形の面積を解いているなんて無いですよね。
真っ白になった私は焦りました。
イヤ、まだ曲の途中だから…。
まだ曲は半分あるんだぞ…。
しかも、全身全霊をかけて臨んだ、3歳の頃から始めたピアノを締めくくる為の、そして亡き弟へ捧げるステージなんだぞ。
嗚呼、アア、それなのに、どうしてだよ、何でだよ。
今、曲のどの辺を弾いているのか分からない。
というより、頭の中が真っ白だ……。
吹っ飛んだ
ヤバい‥‥、ヤバい、ヤバい、ヤバい‥‥‥
ヤバい…
それでも指は止まらない
パニクッている頭と、ピアノを弾き続けている指がリンクしていない。
指が動いている……何コレ、今、指、止めたらヤバい。
勝手に指を動かしている複雑な自分が警鐘を鳴らします。
弾ききれっ!
曲のイメージが全く無い中で、弾ききろうという思いだけは強まって、結果、どうなったか、前半比2倍速の演奏になりました。
早送りかっ!って感じです。
自分で何を弾いているのか分からないけれど、早く演奏を終わらせたいという気持ちが、演奏のスピードに現れました。
Q:それで曲は大丈夫だったの?
A:はい。なんとか。
幸か不幸か演奏のテンポに関しては練習で行っていましたので、うまく、対応出来たのでしょう。
ですが、実際、どんどん早くなっていく演奏に、ヤバい、どこまで早くなるんだコレッ!と恐怖を覚えていないわけではありませんでした。
勝手に動く指、何処へゆく…です。
弾き終わった瞬間ドッと汗が出ました。
弾ききった自分の能力に驚くと同時に恐ろしいほどの後悔の念。
演奏の完成度なんで論外です。
弾ききれてヨカッタ。でも、くそ。 何てもの弾いたんだ。
ごめん。弟よ。やっぱり俺は、ダメな兄ちゃんだったよ。
取り返しがつかない。ヤッチマッタ…情けない…早く隠れたい。
演奏した後、ピアノから離れるとき、聞いてくれていた方々にお辞儀をするのですけど……逃げるように頭を下げて、上げた時のその反応。
そこにいた方々の割れんばかりの拍手。
聞いてくれた方々の出来上がった眼差し。
何か賞賛の声。
某有名コンクールじゃあるまいし、なんなんだよ、この気配。
ヤベ、帰りたい。
居たたまれなくて、情けなくて涙が出そうになりました。
俺、どんだけ練習してきたと思ってんだ。
もう一回チャンスがあるなら、もう一度弾き直したい。
今の無し。
そう思いながら、逃げるようにステージ裏に入り込むと、そこに待機していた方々から、すごい興奮された感じで私を誉めるんです。
『すごかったわー』『上手だったわね』『あんな音、一流のプロでも数人しか出せないぞ』
など、等。
控えに戻る頃には私はちょっとしたヒーロー(アイドル?)になっていました。
私は自分なりのピアノの音、音色の出し方を身に着けていました。
特に、バッハにはその音でなければ自分の表現が出来ないといった、私なりの音を出す指使い(タッチ)がありました。
と言うより、練習はまさにその音の追及ばかりをしていました。
あの場で、一流の方にその音色について褒められた事は演奏の内容とは別だと思い有難かったのですが、小さな子から、素敵に年を重ねられた年配の方々までが、口をそろえるように演奏の内容を誉めて来た事には、驚き、戸惑いました。
私としては、失敗した演奏をしてしまって、穴があったら入りたい気持ちで一杯だったのですから。
からかわれているのかと思いました。
ですがそんな私の気持ちと裏腹に、その後、声を掛けてくる人全ての人から、演奏に対する惜しみない賞賛が送られたのです。
どういう事だったのでしょう。
冷静に分析するとこんな事が思い浮かびます。
真っ白になって、最後まで曲が止まらなかったのは、体が曲を覚えていたから。
毎日の練習の賜物だった。という事。
そして、テンポが速くなるにつれて、前半の曲調と後半とで、図らずも新鮮な演奏になって聞こえたという事。
テンポが速くなるにつれて、聞かれてた方々の気持ちも比例して盛り上がった事。
本番で委縮してしまった前半の演奏に比べ、リミッターの外れた後半は、完成度が高く聞こえたという事。
全体の曲調が想像できてしまう予定調和的な演奏が、後半、伸びやかな、正にライブ演奏になってしまったという事。
ただ、残念なことに演奏者の私自身が、どういう演奏をしたのか説明できません。
前半はともかく、後半は指が勝手に動いていただけですから。
弟が、私に乗り移った?そんな事考えたことなかったな。ま、たぶん無いな。
あんな経験は後にも先にも、それ以来ありません。
ピアノは高校を卒業するまで続けさせてもらいました。
3人の子を持つ父となった今でも、この曲を弾くことがあります。
Fin。