笑って 生きるよ
神戸の震災で躊躇された自衛隊の派遣や海外からの救助隊の受け入れを、東日本大震災では行うことが出来ました。
四川、ハイチ、ニュージーランド、ロサンゼルス、スマトラ・・・・・・。
地震を止める手段は、私たちにはありません。
しかしその廃墟の中から、私たちは必ず立ち直ってきたのです。
大好きだったいとこが亡くなったとき
自分の時は止まったと思っていた
こんなに辛い思いをするなら
もう誰も好きにならなければ良いと
斜に構えていたときもあった
生き残ってしまった人間の苦しさはよく分かる
それでも今は---
日々を精一杯生きること
生きていれば
新しい何かが始まる
理不尽な現実が変わっていくように
まだ 夢見て行動することが出来る
大切な友達が病気で亡くなったとき
メモに「ありがとう」という言葉が残っていた
悪性腫瘍が末期で見つかったというのに
友達は最後まで気丈で
お見舞いに行くといつも
にこやかに笑っていた
悪性腫瘍が見つかってからの一ヶ月
痛みも苦しみも相当なものだっただろうに
私は誤解していた
残された者としての罪悪感は
ただのひとりよがりだった
残された私たちを
もしも大切な亡き人たちが今も見ているとするなら
何を彼らが願うのか
できることを、ひとつずつ
泣くだけ泣いたら
笑おう
今、この一瞬が生きられるなら それは
どれほどの苦難であろうと
まだそこから学べることがある ということだ
卒業してしまった彼らにまた会う日
その後自分がどうしたか
恥ずかしいと思うことのないように
笑って 生きるよ
今回の詩は直接震災を扱ってはいませんが、残された者として抱えた思いを描きました。