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8.たこの神

 (たこの神・大村ゆかり)


 騙された、のかもしれない。

 と、わたしは思った。

 ここに元いた男はどうやら、この場所から逃れたがっていたようだったから。代わりにわたしが捕まったから。

 でも、例えそうであったとしても、別にいい。騙されたと思ったその当時は、怒りを覚えたけど、時間が経つとそうでもなくなった。なんだか、怒るのも面倒くさい。ここには生活の不安がない事だけは、確かだし。あの時にたこが言ったように、働かなくても暮らしていける。

 それに、他人と離れて暮らせるのはいい。気を遣わないで済む。ここには滅多に人が来ない。そういうルールを作ってくれていた点は、元いた男に感謝しなければならない。わたしだって、あんな連中と関わるはご免だ。いくら、わたしが連中の“たこの神”だったとしても。

 “たこの神”。

 あまり、華麗な響きではない。

 あのたこを食べ終えてからしばらく過ぎた後、親戚の家にいたところに、たこ神教の連中がやって来た。そして、「ここに我らの神がいるから会わせて欲しい」、とそう訴えてきたのだった。親戚はたこ神教には入っていなかったから、何の事だか分からなかったようだ。だけど、わたしには思い当たる節が。もちろん、例の神と名乗るたこを食べた件だ。

 わたしが姿を見せると、たこ神教の連中は「おお、あの方だ」とそう言った。わたしは驚いてしまう。それから、たこ神教の連中は「あなたこそが、我々の新しい神に他なりません。どうか、一緒に来てください」と、そう言って来たのだった。親戚が、酷く驚いた顔でわたしを見ていたのを覚えている。そして、もうここにはいられないな、とそれを見てわたしはそう思った。それで、早々に覚悟をして引っ越しを決心した。よく分からないが、彼らがわたしの生活の世話をしてくれそうだったからだ。

 荷解きをしていなかった点が、幸いした。お蔭でその引っ越しはスムーズに進んだ。たこ神教の連中は、わたしが前もって用意していたのだと勘違いしていたが、もちろんそんな事はない。面倒くさいから、親戚の元に引っ越したまま放置していただけだ。

 親戚はわたしがたこ神教の元へ引っ越そうとするのを奇異な目で見守っていたが、不思議と罵詈雑言の類は言わなかった。その視線からも敵意や悪意は感じられない。彼らはたこ神教を避けてはいるが、特別嫌っている訳でもないからかもしれない。

 たこの神の“部屋”は(なんだか、嫌な響きだけど、彼らはそう呼んでいた)、不思議な事に海ではなく、山にあった。山の中腹に小屋が建てられてあって、そこが神のいる場所なのだという。ただ、と言っても小さな島だから、直ぐそこまで歩けば崖があり、その下は海だったのだが。わたしは山道を歩くのが面倒で、それに辟易した。筋肉痛になってしまう。

 聞くと、昔、山岳信仰で使われていたものを利用したらしい。もちろん、新しく建て直されていて、中は綺麗だ。近代的で、テレビやパソコンまである。

 詳しくは知らないのだが、山岳信仰と言えば女人禁制であった気がしたから、わたしがここにいても良いのか?と聞くと、その小屋を案内してくれた女性は少し笑った。

 「それは昔の話ですし、山岳信仰のものを利用している、と言っても何も我々は山岳信仰を全てそのまま引き継いでいる訳ではありませんよ。むしろ、新しく生まれ変わっている。

 それに、山岳信仰は、本当の意味で女人禁制ではありません。何しろ、山そのものが実は女体である、という話があるくらいです。山に篭って出てくる、とは母体を通して生まれ変わり、清められる儀式だとも。でも、母体から生まれるのは、何も男性ばかりではありません。女も女の身体から生まれます。あなたがここにいるのは筋が通っている」

 そう言われて、わたしは何か奇妙な気分になった。つまり、ここは母親の胎内という事になるのだろうか? そして、その山岳信仰についての話を聞いて、わたしは急に不安にもなった。わたしは神の立場になったのに、このたこ神教の教義を知らない。そう言うと、またその女性は笑った。

 「神様が何を言っているのです?」

 確かにそうなのだけど、事実、知らないものは知らないのだ。せめて、前の神がどんな事をしていたかだけでも教えて欲しかった。そう訴えると女性は、

 「あなたは神様です。神であるあなたは、教義を意識する必要はありません。もしお望みでしたら、変えたり、付け加えたりしてくれても構いませんが」

 そう淡々と説明をした。なんだそれは? とわたしはそれを聞いて思った。神が教義を意識しない。そんな宗教、聞いた事がない。だが、その後で思い出したように女性はこう言ったのだ。

 「ああ、そうだ。でも一つだけ、絶対に忘れてはいけない事があります」

 「なに?」

 「一週間に一度は、絶対にたこを食べなくてはなりません。しかも、生で」

 わたしはそれを聞いて、更に混乱した。たこを神と信じる宗教が、どうして“たこを食べなくてはいけない”、というのをルールにしているのだろう?


 女性はわたしが教義を自由に変えても構わないと言ったが、そういう作業は不向きなので結局は、以前のものをほぼそのまま踏襲させてもらった。正直、興味がないので面倒くさくて堪らずやる気が出なかったのだ。ただ、一点だけは追加したが。

 ――子供を産み、育ててはいけない。

 わたしは人類は増えるべきではない、という思想の持ち主なのだ。もっとも、既に生まれてしまった子供に関しては良しとした。流石にそれは仕方ないだろう。

 しかし、それ以外の宗教的な事柄は、わたしは積極的に避けた。宗教は嫌いだし、いつまでもここにいるつもりもなかったからだ。頃合いを見つけて、逃げ出してやるつもりだった。ここに近づくな、と言うと、信者達は簡単に従ってくれるし、それは容易だと思えた。

 しかし、不思議な事に、この“たこの神の部屋”から遠く離れようとすると、わたしは眩暈を覚えて一歩も進めなくなってしまうのだった。これでは逃げ出せそうにもない。おかしいと思い始めたのはその頃からだった。もしかして、たこの神になると、この場から離れられなくなるのではないか?

 そう思ったわたしは、部屋の中に、ここについての何か情報が残っていないかと探した。すると、男の字で書かれた、何か日記のようなものが出てきた。恐らく、前にここに住んでいた男のものだろう。そこには、何とかこの場所から逃れようとする悪戦苦闘の記録が綴られていた。ここにいる限りは、生活が保障されている。しかし、この場所からは逃れられない。どうやら、そういう事らしかった。

 冗談じゃない! わたしは、こんな場所に一生い続けるつもりなんてない!

 そう思った。しかし、同時にわたしは現にここから男が逃げ出せている、その事実にも気が付いていた。わたしがその身代わりとして捕まっているが。身代わり。それで、悟った。つまり、そういう事か。恐らくは、次の身代わりを見つけられれば、わたしはここから逃げ出せるのだ。男がしたように。なんだか、何かの怪談のように思えなくもない。だが、それから途方に暮れた。

 ……その為には、どうすれば良いのだ?

 あの時、わたしはたこを食った。どうやら、たこが鍵になっている点だけは確かなようだ。しかし、どうすればその身代わりを見つけられるのか、どうすれば身代わりにできるのかは全く分からなかった。


 「たこを食べてもらわなくては、困ります」

 たこが、どうやら鍵だと思ったわたしは、それから出される夕食の中の、たこを残すようにした。食べてはいけない気がしたからだ。しかし、どこに捨てようとも、何故か信者達にはたこを食べていない事がばれてしまう。しかも、

 「たこを食わなければ、あなたは神ではありません」

 と、そう脅してくる。神でなければ、生活は保障されない。つまり、食べ物も届けられなくなる。そしてわたしは、この場所から逃れられない。これは、つまりは、飢え死にを意味しないだろうか?

 そう思ったわたしは、それからはたこを食べるようにした。食べれば食べるほど、深みに嵌ってしまう気もしたが。男の日記をよく読んでみると、男がこの日記を記し始めたのが、たこを食べ続けた後で、既に手遅れの状態になっていたのが、なんとなく察せられた。しかも、“海の中でたこになって泳いだ”とある。なんだこれは?

 “恐らく、その泳いでいる自分自身が、主だろうと考える”

 とも。

 わたしはそれを読んで、ふと思った。これは、あの時にわたしが食べたあのたこではないだろうか? わたしが食べたのは、この日記を書いていた男が乗り移ったたこだったのか?

 そして、やがてたこを食べ続けるうち、わたしもたこになって海で泳ぎ始めた。初めの頃は夢の中で、たことして泳ぐ。次第に、起きている状態でも、たこに意識を移せるようになってきた。たこの視界は、人間のそれとは違ったが、慣れれば景色がよく分かる。そして驚いた。

 何故か、この海のたこは群生し、集団で生活していたのだ。たこは、確か単体で暮らす生き物ではなかったか? 詳しくは知らないが。それがわたしの知識不足であったとしても、まだ信じられない光景があった。なんと、たこが集団で巣を造り、共同生活をしているようなのだ。

 足を器用に動かして、道具を使って綱を利用し罠まで作っている。信じられない。たこが無脊椎動物の中では、特に頭が良いとは言っても。たこが道具を使っているシーンが撮影されたが、それはせいぜい、ヤシの実で身を隠す程度だったはずだ。そしてその頃に、海でたこに接触しようとする、この島の人間ではなさそうな連中の気配をわたしは感知したのだった。

 その連中は、どうやらたこを利用して何かをやりたがっているようだった。一か所に集めて網で囲い、餌をやったりしている。何が目的かは分からなかったが、やがてその連中の感覚や考えている事が、わたしには何となく分かるようになってきた。そいつらはどうやらたこを食べているらしい。“だから、か”とわたしは思う。そろそろわたしも学習していた。この島のたこには食べると感覚が繋がる不思議な力があるのだ。あの時、わたしがたこに話しかけれたのだって、きっとそれが原因だ。わたしは、この島に暮らしてからたこを数匹食べている。よく冷静になってみれば、あのたこはわたしの考えている事を知っていたような気もするし。

 連中はよく海の傍にいるので、感覚を捉え易かった。そして、心を覗いている内に、その連中が、どうやらたこの養殖を試みているだろう点に気が付いた。わたしは思わず笑ってしまう。よりによって、この島のたこを選ぶだなんて。

 わたしは彼らの一人に話しかけた。特に感覚を掴みやすい奴がいたのだ。話しかけると、そいつは酷く驚いていた。まぁ、当然だろうと思う。

 そしてわたしは、交渉を始めたのだ。わたしが、たこの養殖を手伝う代わりに、お前らもわたしを助けてくれ、と。

 実は他のたこを操る能力も、どうやらわたしには芽生え始めていたようなのだ。しかもその感覚は、急速に冴えて来てもいた。わたしの力を利用すれば、養殖なんて簡単に行えるだろう。

 わたしは考えていた。この連中を利用すれば、いつでも“たこの神”の立場から逃れられるはずだ。しかし、たこの神でなくなってしまったら、わたしには生活の術がなくなってしまう。流石に、もう親戚の家を頼る訳にもいかない、というか、この島で暮らす事も無理だろう。

 なら、“たこの神”でなくなる前に、できるだけお金を貯めておいた方がいい。一人でもしばらくは暮らせるように。

 わたしはそう考えていた。

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