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7.神様と他人

 (他人・三倉夕)


 夏休みに入った。

 あの例の、新田くんとの奇妙な出来事以来、彼には関わらないようにしていた。隣の席だけど、彼もあたしを無視してくれる。このまま何事もなく席が変って彼と離れ、彼と無関係になれればあたしの学生生活には何の問題もなくなる。

 そう、あたしは思っていた。

 そしてそれは、簡単だとも思っていた。夏休みを過ぎて新学期になれば、きっと席替えの一回や二回はあるだろう。今学期が終わるまでしのげばいい。そして、そうこうしている内に、何の問題もないまま、あっさりと今学期が終わり夏休みに入った。これで危機は回避できたはずだった。

 そのはずなのに。

 ――なんでやねん。

 当に、“なんでやねん”な事態があたしに起こってしまったのだ。

 いつも通り、猫に餌をやっていた時の事だ。日中は暑くて、猫もやって来ないから、それは夕方だった。

 「いると思ったよ」

 そう話しかけれられた。そしてそこには、なんとあの新田くんの姿があったのだ。あたしは心の中で“シェーッ”と叫んだ。顔を引きつらせながら、こう返す。

 「どうしたの? 新田くん」

 新田くんはそれを受けると、困ったような笑いを浮かべながらこう言ってくる。

 「そんな、心の中で“シェーツ”と叫んでそうな顔をしなくても良いじゃない」

 なんで分かった?

 内心でそう思いながら、あたしはこう返す。

 「何にも用がないのなら、あたしはもう帰るところだから」

 危機回避能力を全開で振り絞って、そう言ってみたつもりだった。つまりは、全開でその程度なのだけど。お願いだ。あたしが嫌がっている事を察してくれ、とも思っていたかもしれない。しかしきっと、察していてもいなくても彼は構わず続けていただろう。こう。

 「実は君に付き添って欲しくてさ」

 「付き添う? どこに?」

 「ちょっと、岩盛島まで」

 そう聞いて、あたしは吹いた。

 「なんで?」

 その“なんで?”には、なんで岩盛島まで行かなくちゃならないかのか、という意味とどうしてあたしが付き添わなくちゃならないのか、という意味とが込められてあったのだけど、新田くんはその後者の方の意味についてだけこう答えた。

 「それは、君が“他人”だからだね」

 しかも、訳が分からない。

 なんで、他人だと付き添わなくちゃならないんだ?

 あたしは心の中でこう返す。

 百歩譲ってあなたの中の特殊な事情で、“他人”が岩盛島まで付き添うのに適任なのだとしよう。でもだとしたって、おかしくない? そりゃ確かにあたしはあなたにとって他人ですよ。ええ、そりゃもう、まごうことなき赤の他人ですよ。でも、他人って言ったら、他にいくらでもいるでしょうよ。なんで、その多くの“他人”の中から、あなたはあたしを選択するのですか?

 きっとその時、あたしは何とも言えない複雑な表情をしていたと思う。どちらかと言えば、憤怒寄りの。

 「悪いけど、あたしはそんな遠出なんかできないから。家族がうるさいの」

 少しの間の後で、そう答える。すると彼はこう言った。

 「夏休みだから、友達と少し遠出するとでも言えばいいよ」

 それから、少し考えるとこう付け足した。

 「あながち、嘘でもないしね」

 あたしはそれを聞いて、“あなたとあたしがいつの間に友達になったのかしら?”とそう思う。その後で、こう返した。

 「はっきり言うと、嫌なの。大体、どうして岩盛島に行かなくちゃいけないのよ? あたしと何の関係もないじゃない」

 すると、新田くんは笑ってこう返す。

 「関係ならあるよ。ほら、覚えているかい? あの時のタコと猫の事。あの時に、僕が猫から読み取った情報に、岩盛島の光景があったんだ。どうやら、あの島にはナノネットが生息しているらしい。しかも、ここら辺りにもちょっかいを出している。僕はそのナノネットを何とかしろ、と里神から命令を受けていてね。少なくとも、ここら辺を侵略させないようにしないといけないんだ」

 あたしはそれを聞くと、ため息を漏らした。

 「新田くんが大変なのは分かるわよ。でも、どうしてそれにあたしが巻き込まれなくちゃならないのよ?」

 そのあたしの言葉に、何故か新田くんは少し寂しそうな表情を浮かべた。そしてこう続ける。

 「相手が普通のナノネットなら、僕一人が行っても問題はなかったかもしれない。でも、今回は駄目なんだ。僕にとって、危険な存在。誰か“他人”が見ていてくれなくちゃ、僕はどうなってしまうか分からない。きっと、自己のコントロールを失う」

 その新田くんの言葉の意味は、あたしには分からなかった。いつも通り。でも、彼が必死なのだとはなんとなく察してしまった。静かだけど、彼は必死だ。それで、

 「凶暴な相手なの?」

 と、思わず問いかけてしまう。彼は答える。

 「多分、違うと思う」

 それなら、どうして?とあたしは心の中で訴える。じっと彼を観察すると、その表情から、よほどの事情があるだろう点はうかがえた。

 「ただ、僕が僕を維持する為には、誰か“他人”が必要だというだけ。“他人”が見ているという意識が。もし、僕一人で向こうのナノネットの核に出会ってしまったら、きっと僕は自分を維持できない。そして、僕が知っている限りで、こんな事を頼める“他人”は君しかいない」

 あたししか?

 その新田くんの説明を聞いて、あたしは不思議に思った。他人なら、同じクラスにいくらでもいるじゃない。しかし、そんなあたしの疑問を察したのか、彼は次にこんな事を言って来たのだ。

 「君さ。僕から獣の臭いを感じているだろう?」

 あたしはそれに少し驚きながら、ゆっくりと頷いた。

 「やっぱりね。あの猫での一件以来、君はナノネットに感応し難い体質なのじゃないかとそう思っていたんだ」

 あたしにはその意味が分からない。彼は説明を続けた。

 「里神のナノネットは、僕を護る為、周囲の人間にわずかながら干渉している。嗅覚を麻痺させて、僕の身体に染みついた獣臭を感じなくさせたりね。犬とよく一緒にいる僕からは、獣の臭いがするから。きっと、迫害の対象になる理由を削っているのだと思うのだけど。

 しかし、それはナノマシンを通して行っているから、君みたいにナノマシンに感応し難い体質だと、上手くいかないんだ。それで、君は僕から獣の臭いを感じる。これが何を意味するか分かるかい?」

 あたしは首を横に振った。すると、彼はこう答えたのだ。

 「君が僕にとっての“他人”だという事」

 いや、意味が分かりませんよ、新田くん。あたしはそう思ったのだけど、だから当然、納得もできなかったのだけど、だけど、それでも、そんな事は関係なく、あたしは“それ”に巻き込まれてしまったのだった。


 フェリーの上で、あたしは何故か新田くんと一緒にいた。もちろん、これは岩盛島へと向かう便だ。結局、断りきれなかった。それは新田くんの不幸な生い立ちと、その寂しそうな表情にほだされてしまったのが主な原因だと思う。いや、単にあたしが押しに弱いだけなのかもしれない。

 旅行用の中くらいのリュックをあたしは背負っていた。できる限り避けたいところだけど、「もしかしたら、泊まりになるかもしれない」、と新田くんから言われて、一応用意したものだ。着替えと歯ブラシやなんかのお泊りセット一式が入っている。

 まさか、男の子と一緒に旅行することになるなんて。

 あたしはそう思っていたけど、その相手の新田くんに色気は全くない。そんな気は微塵もないようだ。ま、もちろん、あたし自身もそれは同じなのだけど。

 新田くんはフェンスに手をかけて海を眺めていた。強い風が顔に当たって、髪を巻き上げている姿はとても爽やかだ。それを見て、彼が普通の男の子だったらな、とあたしは少し思った。彼の両脇には、大きな二匹の犬が控えていて、それが怖くてあたしは彼の傍には近寄らなかった。可愛いとも思うけど、もし噛まれでもしたら洒落にならない。基本、あたしは猫派だし。

 何も喋らないのも気まずいので、少し離れた位置からあたしはこう話しかけた。

 「ペットも可で良かったわね、このフェリー」

 あたしの言葉に二匹の犬は少しだけ反応してこちらを向いた。新田くんは、「そうだねぇ」と気のない返事をする。

 もっとも、ペット可であるとは言っても、首輪とロープをつける事が義務付けられている。彼はそれを無視していた。船員がとがめないのは、二匹の犬が彼の傍を片時も離れないからだろう。少しは、怖くもあるのかもしれないけど。大きいから。

 その二匹は、それぞれ“阿”と“吽”と言うそうだ。それぞれ、“あ”と“うん”と読む。あ・うんの呼吸の阿吽だ。と言っても、阿の口が常に開いていて、吽の口が常に閉じているなんて事はない。狛犬が、名の由来らしいけど、それには納得がいく。なんとなく狛犬っぽいもの。

 そのうちに、不意に新田くんが口を開いた。

 「ねぇ、三倉さん。神様って存在すると思う?」

 なぬ?

 あたしは警戒をする。また、電波な発言が出たと思ったからだ。

 「それって、ナノマシン・ネットワークじゃなくて?」

 そう返すと、彼は少し微笑んで「違うかな?」とそう言った。なんで、疑問形なの、とあたしは思いつつ、

 「分からないけど、いないと思う」

 と、そう返した。すると、新田くんははしゃいだ感じで「ブーッ」と言った。まるで子供みたいだ。まぁ、まだあたし達は子供だけど。

 「正解は“絶対に存在する”なんだな、これが。と言っても、これは神様をどう定義するかによるのだけど」

 「神様を定義?」

 「そう。実は神様の存在を信じる科学者は多いって知っている? あのニュートンは熱心な有神論者だったし、実はアインシュタインだって信じていた。ただし、少し詳しく内容を聞くと、人格神を信じているとは限らないケースも多いと分かる。ニュートンは信じていたみたいだけど」

 あたしはその新田くんの説明を聞くと、少しため息を漏らした。そろそろ、彼の突拍子もない話にも慣れてきたので戸惑いは少ない。

 「人格神って言うのは、意識がある神様ってな意味よね? それ以外にも神様なんて存在するの?」

 「するよ。例えば、アインシュタインは自然そのもの、この宇宙こそが即神だと、そう言っていた。この僕らの住む自然界が神だって言うのなら、間違いなく神は存在しているだろう? もちろん、意思なんて持っちゃいないよ」

 「ふーん」とあたしは返す。まぁ、分からなくもない。

 「この世界を創ったのが神様。この世界を存在させているのは、僕らも含めた大きな主体であるこの世界。なら、この世界こそが世界の創造主と言えなくもない。

 と、まぁ、僕は思うよ。だから、自然がそのまま神様ってのは納得ができる。

 でも人間にとっての世界ってさ、結局、自分で感じて自分が創ったものとも言えるだろう? 仮に自然がそこにそのように存在していたとしても、自分にそれが感じられなければ、それは存在しないんだ。なら、自分自身こそが自分にとっての神だとも言えるのじゃないだろうか?」

 それを聞いて、あたしは降参した。

 「ごめん。新田くん。ついていけない。何が言いたいの?」

 最近になって少しずつ分かってきたのだけど、新田くんはかなり変な事ばかり言うけど、別に狂っているとか考え方が異常だとか、そういう事はない。ただ、言い回しが特殊な上に相手に理解してもらおうって意識が希薄なだけなんだ。少々、特殊な知識を持っているっていうのもあるけど。

 「ごめん。きっと、三倉さんがどうして誘われたのか困惑していると思って、どんな説明をしたら分かってもらそうかってずっと考えていたんだ。こういう話なら理解してくれるかな?とも思ったのだけど、駄目だったかな?」

 「ちょっと難し過ぎるわよ」

 あたしはその言葉のお蔭で、少しだけ嬉しくなった。彼があたしに気を遣ってくれていると思ったからだろう。

 「で、続きは? 一応、最後まで聞いてみる」

 あたしがそう言うと、新田くんは続きを語り始めた。

 「主客の判断がつかない幼児の頃は、母親と自分とを同一視していると言われている。先の話に当て嵌めるのなら、母親が神で自分も神だね。そしてだからなのか、幼児は自分を制御できずとても我儘だ。神様はとってもエゴイストで、なんでも自分の思い通りにしようとなさってしまう。

 実は僕は、自分にもそんな傾向があるかもしれないって不安なんだ。だから、“他人”を感じたい。だけど僕は、ナノネットを通じて人と繋がっている。本当の意味で、僕の他人になれるのは、僕と接しながら、ナノネットの影響を受けない人間だけ。そしてそれが君だったんだ。

 僕が僕を維持する為には、他人の目を意識する必要がある。この先にいる相手と会うと僕はどうなるか……」

 そう言いながら、新田くんは海を指差した。そして、

 「ほら、見てごらん、たこがいるよ」

 と、そう呟いたのだ。

 確かに海面の下には、うっすらと巨大なタコの姿が見えていた。あたしは、彼の言葉に少しだけ不安を感じた。

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