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6.お母さん

 (子供・新田恵介)


 ずっとずっと昔。

 幼い自分を意識した、それよりもずっと前。思い出せる限りの自分の過去。僕が幸せに笑っていたかもしれない時代。そんな可能性のある時代。

 そんな頃を思い出そうとがんばってみる。

 だけど、どうがんばってもそれは確りとした輪郭になりはしない。でも、それでも思い出そうとしていると、少しずつそんな頃が本当にあったような気がしてくる。でも、そんな曖昧な記憶は、もう夢と大差がない。だけど、それでもいい気がする。遠い過去の記憶なんて、夢とどれだけの差があるというのだろう? だから僕はそれをそのまま受け止めようとしてみるんだ。

 物心ついた頃。僕は既にその家にいた。母と二人暮らしで、母はその家は自分達のもので、だからお金がかからない、とそう言っていた。いったい、どうやって母がその家を手に入れたのかは分からない。遠い親戚に譲ってもらったとしか教えてもらえなかったんだ。それが本当かどうかすらも僕には分からない。いや、もし本当の事を詳しく教えてくれていたとしても、子供の僕には理解ができなかったかもしれない、けど。

 母は仕事に出たり、家にずっといたりを繰り返していた。家賃もローンもないから、それほど稼ぐ必要がないのよ。そんな事を僕に言っていたのを覚えている。だから、そんなに熱心に働かなくてもいいんだと。だけど、ある時期から母はずっと家にいるようになった。しかも、ご飯も作らず、掃除もしない。一日中、家でボーっとしている。遂には、風呂にも入らなくなり、食事も二日に一度くらいになっていった。

 僕がお腹が空いたと訴えると、母は酷く怒った。鬼のような形相で、僕に向かって「わたしに命令するな!」と怒鳴ってくる。僕は家の中でよく泣いた。泣いていると母が怒るから隠れてこっそりと泣いた。僕は母を憎んでいたように思う。だけど、それでも同時に僕は、母に甘えたがっていたような気もする。甘えたくて、甘えたくて。それで僕は、なんとかしなくちゃって思うようになっていったのかもしれない。

 働かないと、暮らせない。お母さんが働かないのなら、僕が働かなくちゃ。

 母が言っていた。家賃もローンもないから、それほど稼ぐ必要がない。それくらいなら、僕にも何とかなるかもしれない。家賃がどういう意味で、ローンがどういう意味なのかはまったく分かっていなかったし、“それほど稼ぐ必要がない”というのが、どれくらいの額なのかも分かっていなかったけど、必死に考えて僕はそんな結論に達した。

 でも、困った。そう決めたものの、お金を稼ぐ手段なんて、幼い僕には見当も付かなかったからだ。そして、そんな頃、僕は初めて、里神に出会ったのだ。僕らの住む家。それを取り囲む林。その中を歩いている時に、話しかけられた。どこから聞こえてくるとも分からない声。そしてたくさんの犬の気配。その頃の僕は、お腹が空くと、よく林の中で食べられる草を探しては食べていたから、きっとそれでナノマシンを身体の中に取り入れてしまっていたのだと思う。きっと、そのナノマシンを利用して、里神は僕に“契約”を持ちかけてきたんだ。

 『新田恵介…』

 自分の名を呼ばれた気がして、林の奥深くを目指して進むと、いつの間にか、僕の周りを何かの動物の気配が取り囲んでいた。それを犬だと悟るまでには、大して時間がかからなかった。大きさ、や小さな声が犬のそれだと分かったから。僕は怖くなって竦んでしまった。しかし、そこにまた声が。

 『恐れる必要はない』

 それは静かな声だった。でも、それでも僕は怖がっていたけど。

 『知っているぞ。お前は、どうやって生活をすればいいか、困っているな』

 恐る恐る僕はこう尋ねた。

 「どうして、そんな事を知っているの?」

 『この林の中の出来事なら、私達は大体の事を知っている。お前の家もこの林の中にある。だから、知っている』

 僕はそれを聞いてますます怖くなる。それで、逃げようとしたのだけど、周りは犬に囲まれていたから、その場を離れられなかった。犬が道を塞いでいたんだ。里神は、そんな僕にこう言った。

 『逃げるな。話はまだ終わっていない』

 僕は怯えながらこう訊く。

 「話って?」

 すると、里神はこう答えた。

 『“契約”だ』

 契約。

 『実は私達にはお前を助ける準備がある。お前の生活を支え、そして、お前の母親の生活も支えてやろう。

 お前は憐れな子供だ。援助を受ける資格が充分にある』

 僕はその言葉に驚いた。

 「なんで、そんな事をしてくれるの? あなたは、誰?」

 『私は“里神”だ。この辺りを棲家とし存在するもの』

 「里神…? 何処にいるの? 姿を見せて」

 『姿なら先から見せている。私達は、このお前を囲む自然に広がっている。この自然と同化していると言ってもいい。お前が見ている光景こそに、私達は存在している』

 その当時の僕には、それが何の事だか分からなかったけど、今なら、辺りにナノマシンが拡がって生息している事だと分かる。でも、それを知らなかった僕は、里神を神秘的な存在だと感じ、昔話の中に出てくるような、困った人を助けてくれる神様を思い浮かべていた。里神は更に言う。

 『もちろん、私達もお前を頼る。私達がお前を助ける代わりに、お前も私達を助けるのだ。その意味は分かるな?』

 僕は答えた。

 「うん……、はいっ!」

 『よし。良いだろう。先に進め』

 言葉通りに僕が先に進むと、そこには缶ジュースが岩の上に置かれてあった。蓋は既に空いている。

 『それを飲め』

 里神はそう言った。僕はその言葉に従ってそれを飲んだ。少しの抵抗を感じはしたけど、既に抗えなかった。この神様が、僕を救ってくれると言うのなら。

 缶ジュースは、甘くて美味しかった。飲み終わるなり里神は言った。

 『“契約”成立だ。これで、お前は私達のうちの一つとなった』

 その時の僕には意味が分からなかったけど、きっとその缶ジュースの中には、ナノマシンが大量に繁殖していて、それを体内に取り入れた僕は、その時に里神のナノマシン・ネットワークの中に組み込まれてしまったのだと思う。僕は里神にとって便利な端末になったんだ。人間社会にアプローチする為の。子供だから、まだあまり役には立たないけど、将来的にはもっと活用する気でいるのだろう。

 そして、それから、僕の生活は変わった。

 生活の世話を、里神の教団がしてくれるようになったんだ。お金をくれたり、ご飯をくれたり、洗濯をしてくれたり。掃除は自分でやったけど。後は犬達が僕の命令を何でも聞いてくれた。僕を警護してくれたり。

 だけど。

 だけど、母は、そんな状態が気に食わないらしかった。


 お母さんが怒っていた。

 久しぶりに外に行って、帰ってきた後の事だ。どうやら、外で誰かに何かを言われたらしい。僕に向かって、こう言う。

 「あなた、いつの間に宗教になんか入ったの?」

 鬼のような形相、に思えた。

 どうやら、町では僕の事が噂になっていたらしい。母親が働かないから、生活する為に子供が宗教に入った、と。あんな子供に無理をさせて、なんて母親だ、と非難までされたようだった。それで、お母さんは激怒していたんだ。前から、家に来て世話をしてくれる人が何者なのか不思議がっていたし、それを嫌がってもいたのだけど。

 「私に恥をかかせて!」

 お母さんは、そう怒鳴った。僕はそれに怒鳴り返した。

 「だって、お母さんが何もしてくれないから!」

 僕がそう返すと、お母さんは更に怒った。

 「煩い! この親不孝者!」

 「僕のお蔭で、お母さんだって暮らせているのに!」

 「煩い! お前なんか、そもそも産む気なんかなかったんだ! どうして、生まれ来た!」

 僕はその言葉に泣いた。

 お母さんに甘えたくて。お母さんを助けたくて。それでやった事なのに。僕が泣くとお母さんは更に怒った。

 「泣くなー!」

 そして、その後で包丁を持って来てこう言ったのだ。

 「お前なんか殺してやる! なんで、わたしの思い通りにならないんだ!」

 お母さんは、包丁を逆手に持って振り上げた。僕はその光景に固まった。殺される、とそう思った。怖い。

 そしてその時だった。窓の外から、犬が二匹、僕の家の中に飛び込んだのだ。犬は包丁を振り上げたお母さんに噛みついた。お母さんはそれに全く抵抗ができず、そのまま、噛み殺された。

 僕は茫然自失となり、その後の事はよく覚えていない。誰か、教団関係の人が来て、「この女は、殺されて当然の事をした」とそう言った。僕を慰めたんだ。何故なら、お母さんを殺したのは、僕だったからだ。犬は悪くない。僕はそれを分かっていた。恐怖にかられた僕が、犬に命じて、お母さんを殺させたんだ。無意識の内に。

 僕がお母さんを殺した。

 その後で、どうやったのかは分からないけど、それは事故として処理された。教団も責められなかったし、僕も罪には問われなかった。誰も必要以上には騒がなかった。

 そして僕には、多分、何もなくなった。それから僕は、里神の端末として、ただ生きた。人間社会へアプローチする為の道具。


 ある日、里神から連絡があった。別種のナノマシン・ネットワークが、この地域へ侵入しようとしている。

 僕はそこに調査をしに行き、そして、たこを食べた猫の体内から、ナノネットを見つけた。その痕跡を読み取り、“たこ神”の文字を見つける。これは、近くの島で信仰されている宗教“たこ神教”だ。そして僕は更に、そこから女性の気配を感じ取った。こう思う。

 これは、……お母さん?

 僕はその気配に怯えた。里神は更に命じる。このたこ神を調査し可能なら駆除しろ。そしてその時にこう僕は結論出したんだ。

 その為には、誰か他者が必要だ。客体としてそれを分化させてくれる他者が。

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