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3.奇妙な男の子

 (中学生・三倉夕)


 「僕はただの端末に過ぎないよ」

 あたしの隣の席の、新田恵介という男の子は、そんな事を言った。端末。なんだそりゃ?と普通は思うだろう。あたしも当然、なんだそりゃ?とそう思った。

 新田くんは頭が良くて、いつもテストでいい点を取るものだから、あたしはそれを褒めてみたんだ、するとどんな経緯だったかは忘れたけど、少しの会話のキャッチボールの後でそんな単語が飛び出したのだった。いったい、これはどんな魔球なのだろう? 実を言うのなら、あたしには半分以上、彼の話す内容が理解ができなかった。ただ、彼が自分を卑下しているだろう点だけは理解できたけど。

 「僕の成績が良いのは、別に僕が凄いからじゃない。僕の立場になれば、誰でも成績が良くなる。ある意味、卑怯でもあるんだ。と言っても、僕にはそれをどうする事もできないから仕方ないのだけど」

 少し寂しそうに彼はそうも言っていた。何の事じゃい? あたしは何と返せばいいのか分からず、曖昧に頷いておいた。笑って誤魔化しながら。

 新田くんと離れた後で、親切な友達がこんな事をあたしに言って来た。

 「あなたの事だから、知らないのでしょうけど、新田クンにはあまり話しかけない方がいいのよ?」

 あたしは充分に後悔した後だったから、その忠告に納得しつつも、それでもこう返してみた。それは、その友達が新田クンと呼ぶ時の“クン”に妙なニュアンスを感じたからでもあったのかもしれない。少しばかり馬鹿にしているような。

 「どうして? いじめ?」

 すると、その友達はやっぱりか、といったような様子でこう答えた。あたしはこういった人間関係方面の事情に疎いのだ。

 「違うわよ。新田クンは、あの例の里の宗教に入っているのよ。しかも、何だか重要な存在なんだって。シャーマンっつーの? 実際、不思議なヒトでしょう? それで、皆怖がって近づこうとはしないの」

 「はぁ」

 それを聞いてあたしは納得をする。なるほど、この少しばかり新田くんを軽蔑しているような、上から目線で見ているような感じはだからなのか。

 里の宗教というのは、あたし達の地域で最近、少しばかり流行っている宗教で、地元の自然の神様を祀っているのだとかなんとか、そういったものらしい。その自然神の眷属には犬という事になっていて、それでその宗教では犬をたくさん飼っている。しかもとてもよく訓練されているらしく、迷子や探し物がある時に彼らを頼ると簡単に見つけ出してくれるのだとか。恐らくは犬の嗅覚で見つけているのだろうという事になっている。

 そこの信者は基本的には親切な人達で、秘密主義だとか排他的な傾向はあまりなく、地元の皆とも仲良くやれているのだが、それでも変には思われているようで、避ける人は避けるし、中におおっぴらに嫌う人もいる。ま、ここにもそんな一例があるみたいだけど。

 「ふーん。それじゃ、それでなのかしらね?」

 少しの間の後で、あたしはそう言ってみた。すると、その友達は不思議そうな声でこう訊き返す。

 「それでって何よ?」

 「ほら、臭いってほどじゃないけど、新田くんって少しだけ獣臭がするじゃない。犬の臭いだったのかな?って」

 それを聞くと、その友達は不思議そうな声を上げる。

 「犬の臭い? そんなのあたしは感じた事がないけど」

 なんですと?

 それを聞いてあたしは思う。存在感は強くはないが、仄かには漂ってくるのに。まぁ、席が近くのあたしだから、分かったのかもしれない。そう言えば、最近の席替えで隣になるまでは、あたしだってこの臭いの出所が彼だとは気付かなかったのだ。ただ、彼女は犬の臭いそのものに気付いていなかったようだから、少し変だけど。

 もしかして、あたしって、何気で鼻が良かったのかな?

 と、その後でそう思って、あたしはそれを気にしない事にした。

 新田くんの印象は、爽やかでありつつミステリアスな感じがし、背はやや低いけど、それはそれほどのマイナス・ポイントとは思えない。運動神経はきっと並みくらいだろうと思う。そして先にも述べたが、成績は良い。宗教なんて事情がなければ、きっと女の子たちから人気があっただろう。いや、あの宗教に入っている女の子たちからなら、既に彼は人気があるのかもしれない。それで、あたしはこんな事を言ってみたのだ。

 「しかし、惜しいわね。そんな事情がなければ、新田くんってそれなりにいい顔立ちなのに」

 少しおどけてそう言ってみる。すると、その友達はふざけてか、こう応えた。

 「あら? 宗教差別は良くないわ。気に入ったなら、付き合っちゃえば良いじゃない」

 「いやー あたしは、猫派だから。犬も可愛いけどさ。ペットの話で、喧嘩になっちゃうわよ」

 「とか何とか言ってるけど、別に飼ってないわよね? あなた。猫」

 「アパート暮らしだからねぇ」

 そう言いながら、あたしは腕を組む。ただし、あたしが猫好きなのは本当だ。家の近くの海岸で、猫が集まる場所があるのだけど、そこによく餌をやりに行く。人懐っこいのが中にはいて、触らせてくれる。

 「でも、飼えるのだったら、飼いたいのだよ。あのにゃんこどもを触っている時の感覚といったら、至福だからにゃー」

 「その語尾、やめれ。むかつく」

 「くっ… あなたなら分かってくれると思ったのに」

 その時の会話はそれで終わった。そして新田くんについて、これ以上、深入りするつもりなどあたしにはなかった。その友達の忠告通り、できるだけ関わらないようにするつもりでいたのだ。

 なのに。それなのに、あたしはそれから新田くんに関わる事になってしまったのだ。その猫が切っ掛けとなって。


 ある日、あたしがいつも通り猫に餌をやりに行くと、そこで少しまずい光景を見かけた。いや、大した事でもないのだけど、猫がタコを食っていたのだ。しかも、生。きっと、死んだタコが流れ着いたものだろう。タコは消化に悪く、あまり大量に食べると腹を壊してしまう。それであたしは、慌てて猫からタコを取り上げるとそれを海に放り投げた。タコは、そのまま海の底に沈んでいって見えなくなる。

 猫は「にゃー」と鳴いて、あたしに抗議していたようだが、あたしが餌を取り出して与えると直ぐに忘れて機嫌が良くなった。無心に餌を食べている。あたしはその光景にほんわかとなる。さわりてぇ…

 だけど、そんな時に声が聞こえたのだ。

 「魚介類… 見なかった?」

 あまり大きな声ではなく、あたしはそれが聞き覚えのある声でなければ、きっと無視していただろうと思う。顔を上げると、少し高台となっている場所に、新田くんの姿があって海を見渡していた。

 新田くんは大正時代を思わせるような袴姿で、それに薄手のマントのような外套を羽織っていた。もう夏だから、そんなものは必要ない。暑いはずだ。奇妙な恰好にも思えるけど、もしかしたら宗教関係の衣装か何かなのかもしれない。

 「どうしたの新田くん?」

 あたしがそう尋ねると、新田くんはこう返してきた。

 「魚介類… きっと、海から流れ着いたものだろうと思う。それを小動物が食べていたのじゃないかと思うんだ」

 あたしはそれを聞いて、先のタコだろうとそう思った。

 「ああ、さっきこの子が、タコを食べていたけど、それの事かな?」

 あたしは目で猫を示しながら、そう答える。新田くんは「なるほど」と頷いてから、こう続けた。

 「それで、そのタコは今はどこかな?」

 あたしはそう言われて、今度は無言のまま指で海を指し示した。

 「捨てたの? 海に?」

 疑問形のその言葉に、あたしは多少の非難のようなものを感じ取った。それで、こう返したのだ。

 「だって、この子が食べちゃうのだもの。タコって猫に毒なのよ? 消化不良を起こしてお腹を壊しちゃうの」

 すると新田くんはこう応える。

 「別に責めちゃいないよ。でも、困ったな。これで手掛かりがなくなった」

 あたしはその言葉の意味が分からず、困惑する。

 手掛かりって何の事じゃい?

 その時に、猫がにゃーと鳴いた。それで新田くんは猫を見る。それからふっと笑うと「そうか、こいつがそのタコを食べていたのだっけ?」とそう呟くと、「こいつを手掛かりにすればいいのか」と一呼吸の間の後で続け、高台から降りて、猫に近づいていった。

 何をする気?と思っていると、そのまま新田くんは猫をあっさり捕まえ抱え上げてしまったのだった。確かにここら辺りの猫は人に慣れているものが多いけど、それでも簡単に捕まるのはおかしい。あたしは何か不自然なものを感じつつ、怒っていた。

 簡単に猫にさわれて、ずるい!

 ……じゃなくて、猫をどうする気なのかと不安になったのだ。新田くんはそのまま猫を連れて行こうとする。また高台に上り、視界から消えかける。

 「ちょっと! その子をどうするつもり?」

 あたしはそう叫ぶと、新田くんを追った。海岸沿いの道路に向かう。しかし、そこで固まってしまった。

 犬が二匹、あたしを睨みつけながらウーッと唸っていたからだ。

 もしかしたら、これが里の宗教の眷属、飼われているという犬なのだろうか? 威嚇さえしていなければ、犬も可愛いのに。

 「この人は大丈夫だよ。別に何もしないさ。クラスメートなんだ」

 こちらを見ずに新田くんがそう言うと、犬二匹は何も言わずに新田くんに従ってあたしへの警戒を解き、彼の後を追った。まるで言葉が通じているようにすら思える光景。あたしは少し驚きつつも、彼を追った。猫を見捨てられない。

 新田くんは別にあたしを振り払おうとも、付いて来るなとも言わず、ずんずんと進んだ。あたしはその後ろ姿に向けて、「ちょっと。その子をどうするつもりよ?」と、ずっと言い続けたのだけど、新田くんは「別に危害を加えはしないよ」と振り返りもせずに答えるだけで具体的には何も説明してくれなかった。一定の距離を保ちながら、彼の後をそのまま追うと、なんだか林のような場所に辿り着いた。彼は更に進む。

 流石に少し躊躇したけど、それでも勇気を振り絞ってその中に入ると、一軒の家が目の前に現れた。

 木々に囲まれた中に、ひっそりと佇んでいる。表札を見ると、“新田”と書かれてあった。どうやら、新田くんの家らしい。あたしは意を決すると、呼び鈴を鳴らした。先の二匹の犬が現れたらどうしよう?と思ったけど、そんな事はなく、インターホンから声が聞こえた。

 「どうしたの?」

 新田くんの声。

 「どうしたのじゃないでしょう? あの猫はどうしたのよ?」

 「だから、危害は加えないよ。ちょっと調べさせてもらっているだけだ」

 「信じられない。さっきの犬達に襲わせたりしているのじゃないでしょうね?」

 あたしは犬も好きだけど、基本的には猫派なのだ。味方をするなら猫の方。それを聞くと新田くんはやれやれといった感じの声でこう返してきた。

 「そんなに信用できないなら、中に入って一緒に見ている?」

 そう声が響くと、玄関のドアが開いた。新田くんの姿が見える。手招きをしている。あたしは、さっきの犬が出てきやしないかとビクビクしながら進んだ。ここまで来たら、引き下がれない。

 新田くんの家の中の光景にあたしは少し驚いた。思ったよりもとても綺麗だったのだ。いや、綺麗とかそう言うのじゃない。ほとんど、何もなかったのだ。そんなに大きな家ではなくて、必要最低限の家具調度の類が置いてある他は何もない。絵も何も飾ってない。実を言うなら、あたしは先の犬を家の中で飼っているものと思っていたのだ。外に見えなかったから。荒れた光景を想像していた。これはこれで、狂気的な光景と言えなくもないけど、方向性が違っている。

 足を踏み入れる。床には埃ひとつ落ちていない。夏なのに冷たい印象がある。奥に案内されると、そこにさっきの猫がいた。

 「さっきの犬はどうしたの?」とあたしが尋ねると、新田くんはこう答えた。

 「あいつらは林の中だよ。ここには用がある時しか来ない。近所の人達に警戒されるのが嫌で、僕がそう命じているんだ」

 噂通りによく訓練されている。それを聞いてあたしはそう思った。そしてそれから気が付いたのだ。自分がたった一人で、男の子の家に入っているという事実に。あたしはそれで緊張感を覚えた。

 「家の人はいないの?」

 その所為で、つい、そんな質問をしてしまった。すると新田くんは淡々とこう説明してきた。

 「父親は僕が物心ついた頃からいない。お母さんは、僕が小学校高学年の頃に死んだ。教団の人が世話をしてくれているけど、基本的には僕一人でここに住んでいる」

 え?とあたしは思う。新田くんにそんな不幸な生い立ちがあるとは思わなかった。もしかしたら、新田くんが宗教に入っている事とその話は関係があるのだろうか? そう疑問に思う。だけどもちろん、あたしにはそれ以上を聞くことはできなかった。

 新田くんはそれから猫に手をかざす。何をやっているのか分からなかったけど、単なる宗教の儀式とかではない気がした。猫が起きているにもかかわらず、大人しくその場にいたからだ。普通なら、知らない場所に連れてこられたら、落ち着きなく歩き回っているはずだ。猫の習性からいって。

 「何をしているの?」

 堪らずあたしはそう尋ねた。すると、新田くんはその問いには答えず、こう訊き返してきた。

 「ねぇ ナノマシン・ネットワークって知っている?」

 「ナノマシン・ネットワーク?」

 「そう。ナノマシンによって形成されるネットワーク。そのネットワークは、時に人格のようなものをそこに発生させる。そして理解し考え、人や動物に働きかけをしてくる事さえある。場合によっては、操ったりね」

 何を言っているのだろう? あたしはその新田くんの言葉に不安になる。

 「そのネットワークは、実は自然界にも繁殖をしている。生き残る為に様々な戦略を立てる。人間社会を利用する場合だってある。例えば、宗教の衣を借りたりね。そして、ナノネット同士で争いをする場合だってあるんだ」

 あたしは少し恐ろしくなってこう言ってみた。

 「もしかして、新田くんは自分はそうだと言っているの? そのナノネットに利用されていると」

 新田くんはその問いには答えない。代わりにこう続けた。

 「ナノネットは、人体や他の生物の体内で繁殖する事も可能だ。そして様々な種類がある。人格を乗っ取るような能力のあるのもいるようだけど、それができないのもいる。そういう奴らは、人間社会を利用する為に人と契約をするのさ。互いの利益になるように。例えば、生活を保障する代わりに、ナノネットの為に働かせるとかね」

 まさか、とあたしはその説明を聞いて思う。自分は“端末”だ。確か、新田くんはそんなような事を言っていた。

 「小学生の頃、僕は里神のナノネットと契約を結んだ。生活を保障してもらう代わりに、里神に仕える“端末”の一つになると。それ以来、僕はナノマシンを体内に取り入れ、里神の家来になった。

 僕の成績が良いのはその為さ。寝ている間とかに、何もしなくても様々な情報が頭の中に送られ、インプットされるんだ。ナノネットを通してね。それで何も努力をしなくても、僕の成績は上がっていく。様々な知識や考え方を強制的に学習させられているからだ。どんな副作用があるかは分からないけど」

 あたしは息を飲むと、こう言った。

 「そんな事をあたしに話してしまっていいの?」

 すると新田くんは笑った。

 「君が誰にも言わなければ大丈夫だよ。もっとも、僕の生活を破綻させたいのなら、誰かにこの話をすると良い。僕はそれを恨みはしないよ」

 そのセリフは、あたしを脅しているようで少し違っていた。まるで、自棄になっているように感じる。自虐的と言うか。

 「その猫には、何をやっているの? どうして、あのタコを探していたの?」

 少し笑うと新田くんはこう言った。

 「“侵入者”があると里神から連絡を受けてね。どうも他の地域のナノネットが侵入をして来たらしい。伝わってくる情報は確かじゃなくて、海、恐らくは生物の何かを通してやって来たとしか分からなかった。それであの辺りを探していたんだ。どうやらタコだったらしいけど、君がそれを海の底に沈めてしまったから調査ができなくなった。それで、代わりにそのタコを食っていたこの猫を調べているんだよ。

 先のタコを食べているこの猫の体内には、既にナノマシンが侵入しているから、それを通して大人しくさせた。完全に乗っ取る事はできなくても、これくらいの働きかけならできるんだ。まぁ、それはあの犬達を操っている点からも分かるかもしれないけど」

 しばらく後、かざしていた手を元に戻して新田くんは言った。

 「大体は、分かった。これは、何処かの島だな。文字が見える。たこ神。たこの神か」

 それから猫は「にゃー」と鳴いて、自由に歩き始めた。

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