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23.育てる

 (無職・大村ゆかり)


 例の小屋で、わたし達は向かい合っていた。わたしの正面に座っているのは、鳥居さんだ。わたしが“たこの神”になってから、世話になり続けた女性だ。

 わたし達は、奥に仰々しい機械を挟む形で座っていた。正座だ。その機械は、先ほどから稼働をし始めている。使い方等は、説明を受けていて、たこ神教の人間や、たこ養殖場の連中が既に把握しているらしい。

 これで、わたしはもうここから自由になれるはずだ。つまり、これはタコのナノマシン・ネットワークを安定して維持する為の機械なのだ。わたしは用済みになった。

 あの日、あれから紺野さんはたこ神教の信者達にこんな説明をした。

 「人柱など立てなくても、代わりに機械を設置すれば、タコのナノマシン・ネットワークを維持する事は可能です」

 鳥居さんはその言葉に驚く。

 「でも、そんな資金は…」

 そう言いかけるのを紺野さんは制した。

 「タコ養殖場にそれは頼れます。お忘れですか? むしろ、彼らの方が、ここのナノネットを失うのを恐れているのです」

 それに、鳥居さんはこう質問する。

 「しかし、ナノマシンが混入した食品を販売するなど許されるのでしょうか? しかも、ここのナノマシンは、人死にまでも発生させてしまっているのですよ?」

 紺野さんはそれにこう返した。

 「確かに問題は問題かもしれません。しかし、実を言うのなら、それはもう既に遅すぎるのです。今は本当は、あらゆる食品にナノマシンが混入している。あまり大きくは取り上げられませんがね。それに、この程度の量ならば特殊な要因と結びつきでもしない限り、大きな問題はないはずです。冷凍保管庫で起きた事件は、かなり特殊な環境だった事は、あなたも分かっているでしょう?

 もっとも、“ナノマシンが混入している可能性が高い”と明記し、生食を禁じるくらいはしなければなりませんが。

 食が完全には安全ではない事を認識し、それを踏まえ上で、どう食品と付き合うのかという時代に入っている、と少なくとも私は思いますよ」

 しかし、その説明を聞いても、鳥居さんは納得をしなかった。

 「警察は納得をしないでしょう?」

 だけど、紺野さんはそれにも即答した。

 「いえ、実は警察はこの件では動けないのですよ。今の日本社会の法律は、自然界に繁殖するナノネットが意思を持っている事を認めていないのです。だから、こういった事件が起きると、警察は大変に嫌がるのですがね」

 それを聞くと、鳥居さんは茫然とした様子でこう呟いた。

 「それで済むのですか?」

 「いえ、もちろん事実は伝えます、私は。私の知り合いは、反対しそうですが、そうしなければ私が信用を失ってしまうし、警察内部にも、ナノネットが起こす事件を問題視している人もいますから。だから、今後は事故や事件が発生しないように、細心の注意を払ってください。もし何かあったら、直ぐに原因が究明されると思います」

 鳥居さんはそれを聞くと、こう言った。

 「それは本来は、罪があるにも拘らず、許されるようという事ですか?」

 ところが、それに紺野さんはこう答えたのだ。

 「いえ、違います。許しはしません。むしろ、罪を償ってもらいたいと私は思っているのですよ」

 その言葉には、鳥居さんも含め、信者の全員が驚いているようだった。実を言うのなら、わたしも驚いていたのだけど。

 「どういう事でしょう?」

 「この島に既に繁殖しているナノマシンを完全に除去する事は不可能です。自然界に繁殖している微生物の類を完全には、除去できないのと同じ様に。

 そして、放っておけば、いつそのナノマシンが人間社会に仇をなすものになるか分からないのです。それを安全なものにし続ける為には、むしろ人間が積極的に管理した方が良い。そしてその役割を、このたこ神教と、タコ養殖場にやってもらいたいと私は思っているのです。

 ナノネットを管理するには、それなりの資金が必要です。タコ養殖場を存続させなければ、それは無理でしょう」

 それを聞くと、鳥居さんはようやく納得をしたようだった。

 「分かりました。私は、やめる事がそのまま責任を取る事になると思っていたのですが、そんなに甘いものではないのですね。ここには既にナノネットが存在し、それは私達には関係なく存続し続けるのだから……」

 紺野さんはそれにこう返した。

 「その通りです。人間社会の都合など関係なく、ナノマシンは既に存在している。彼らは既に客体なのですよ」

 きっと、紺野さんがそんな表現を使ったのは、たこ神教の性質に合わせての事だろう。鳥居さんもそれを分かったのか、少し微笑みを作ると、それから「なるほど。改めて納得をしました。罪を償う為、その役割を引き受けましょう」と、そう言ったのだった。


 それから数日後、タコ養殖場が資金を出し、この島のナノネットの調査が終わると、ここに機械が搬入をされた。山道だから、多少は苦労をしたようだけど、何とか無事にここまで機械は届けられた。

 それからは、わたしを通しての機械とナノネットの調整が行われる事になった。わたしは、ナノネットの技術者だという彼らの指示に従いながら、様々にたこを操ってみせた。それを受けて、また機械に手が加えられ、試運転を経て、また調整が加えられる。

 そうして、少しずつ機械とナノネットは馴染んでいったようだった。

 余談だが、この作業によって、ナノマシン技術者の懐は潤ったのだけど、この技術者と繋がりのある紺野さんの知り合いは、その事でこっそりと稼いだらしい。タコ養殖場の人間から教えてもらった。「まぁ、ギブアンドテイクの範囲内だけどさ」と、その人はそう言っていたが、なかなか油断できない人だ。もっとも、紺野さん自身が、得をしているかどうかは知らないのだけど。

 作業は順調に進み、遂にわたしが離れても構わないような状態になった。無理矢理に閉じ込められていたようなものだけど、それでもいざ去らなければならないとなると、少し寂しくなるから不思議だ。いや、不思議でもないのかもしれない。

 あの日以来、信者達のわたしを見る目つきは変わった。“神様”ではなく、ただの“被害者”になったのだろう。畏怖はなくなったけど、その代わり、それまでにあった壁のようなものが取り払われ、自然に接してくれるようになった気がする。そのお蔭か、態度もお互いに柔和なものになり、それで安定していった。なるほど、人間関係とはキャッチボールだ。自分の態度が、相手の態度に影響を与え、その繰り返しで関係が創られる。

 わたしが出て行く最後の日。仰々しいのは苦手だから、鳥居さんだけとお願いをしていたから、別れの挨拶には彼女だけが来た。

 そして、今わたしは、彼女と向かい合っているのだった。しばらくの間の後、彼女はわたしに向けて、深々と頭を下げた。

 「ありがとうございました」

 わたしは、その態度に慌てた。言う。

 「そんな、やめてください。お礼を言うのは、むしろわたしの方で」

 それは本心だった。閉じ込められていたのは事実だが、衣食住に困らない生活を長い間続けさせてもらったのだ。それに、それだけじゃなく……

 「いえ、どうかお礼を言わせてください。あなたのお蔭で、この“たこ神教”は本分に立ち返る事ができました。

 客体を失い、己だけの世界で、自己中心的に振る舞ってしまう。これは、個人だけに当て嵌まるものではないのだと、私は今回の事件で実感しました。個人の成長を目指す宗教が、集団単位に観れば、とても稚拙な母胎の中の胎児になっていた。その稚拙な赤ん坊に客体を与え、目覚めさせてくれたのはあなたです。それに……」

 鳥居さんの言葉を聞いて、わたしは首を横に振る。鳥居さんはまだ続けた。

 「あなたは見事に、“自分だけの世界”からの離脱を果たしました。しかも、誰の手も借りずに。それこそが、たこ神教が目指すもの。私は、あなたを誇りに思います」

 彼女の言う意味は、わたしにはよく分かった。でもそれはそんなに立派なものじゃない。以前のわたしが、稚拙に過ぎただけだ。それに、自分だけの力でもない……。

 「違います。あれは、あの子のお蔭で……」

 わたしなんかの為に、自分を犠牲にしようとしていたあの子が、いや、そんな風にあの子に無理をさせる駄目なわたしが、許せなかったからで…

 「いえ、あれは間違いなくあなたの力です。あれだけの怒れる人間達を目の前にして、己の危険を省みずにあの子を護ろうとした。愚かな人間にできる事ではありません」

 そう言い切る鳥居さんを目の前にして、わたしは何も言えなくなってしまった。ただ恥ずかしくて……

 しばらくの沈黙の間の後、わたしはこう口を開いた。

 「長い間、お世話になりました。

 ……わたしは、あなたが言うような素晴らしい人間ではありませんが、でも、それでもこの場所のお蔭で、少しは成長できたような気がします。

 ありがとうございます」

 そう言って、立ち上がる。

 「いえ」と、鳥居さんは言い、同じ様に立ち上がると、荷物を持ち、小屋を出て行こうとするわたしを追って来た。

 「それでは、お元気で」

 そう、鳥居さんは言う。わたしは無言のまま頭を下げる。そして、そのまま歩いて行こうとしたが、その時に言い忘れていた事があると気付いた。

 「そうだ。あの、わたしが作った教義ですが、あれは、もう……」

 それを聞くと、鳥居さんはニッコリと笑った。

 「分かっています。神自らが、それを破ったのだから、あの教義は当然、破棄しますよ。子供が生まれ、そして、育っていったではありませんか。しかも二人も」

 その言葉を聞くと、自然と涙が目から溢れ、頬を伝うのを感じた。その涙は、なんだかとても熱かった。断ったはずなのに、フェリー乗り場の近くには、信者達が最後の挨拶に来ていて、わたしは、泣いている姿を見られて、なんだかとても恥ずかしかった。


 海の上。青い空を見上げていた。これからわたしは、無職だ。でも、不安はあまり感じてはいない。蓄えもできたし、それに、何だか今度は、何処に就職しても上手くやれそうな気がしたから。

 ――あの子にも、いつか会いに行こう。

 その時のわたしには、世界と自分との差が明確に見えていた。

この話を書くにあたって、イカ・タコ図鑑のようなものを読んだのですが(しかも、通勤途中に)、まったく役に立たなかったのは内緒です。敢えて言うなら、美味しそうだったのが良かった。


冒頭で書いたテーマは、扱いが難しいので、今回はそこから”主客の分化”についてだけ抜き出してみました。そのうち、また別の部分をテーマにして何か考えます。

では、また。

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