22.でも、子供のままじゃいけない
(子供・新田恵介)
フェリーの上。海を眺めている。
僕らは元いた街に向かっていた。里神のいるあの街へ。里神には、いい報告ができそうだ。僕みたいな子供を支援し、仲間に引き入れた甲斐があったと考えるかもしれない。それとも、過ぎた行動を非難するだろうか。危険な目に遭ったら、どうするつもりだったのかと。もしかしたら、僕はそっちを喜ぶかもしれない。やっぱり僕はまだ子供なんだ。と、そんな自分を観察してそう思った。
僕の両隣には阿と吽がいて、三倉さんが阿の方を可愛がっていた。そういえば、彼女が犬達に触れるのはこれで初めてかもしれない。そう言ってみると、
「ずっと触りたかったのだけどね。可愛いから。でも、怖かったから、今までは触ってこなかったの。もし、噛まれでもしたらただじゃ済まないもの」
と、そう言って来た。
「ふーん。でも、なら、今はどうして触ってみようって思ったの?」
と、僕が返すと、
「街に着いて、別れる事になったら、もう触る機会がないかもしれないでしょ。それに、新田くんがいれば噛まれる心配はなさそうだし」
と、そう答えて来た。
「アハハハ。僕がいなくても、二匹とも噛んだりしないと思うよ。阿も触ってもらえて喜んでいるみたいだし」
「あ、こっちって阿の方なんだ。阿ちゃん~、戻っても会えるといいね」
それを聞いて、僕は何気でこんな事を言ってみた。
「いつでも、会いに来てくれていいよ。僕の家までくれば、会えるから」
すると、彼女は阿を撫でていた手を止めて、僕をじっと見る。それから、こう尋ねて来た。
「ねぇ、まだあたしを、他人って言うつもりなの? こんな訳の分からない事にまで付き合わせておいて」
彼女は少し怒っているようにも見えた。
「ナノネットに感応しないって意味なら、まだ他人だよ」
と、僕はそう誤魔化すように答える。彼女の質問のニュアンスには気付いていたけれど、もちろん。
「ずるい言い方」
それを見抜いてか、彼女はそんな返しをした。
それから阿を触る手を放すと、三倉さんはフェリーの柵の上に手を置いて、青空を眺めながらこう言った。
「まぁ、いいけどね」
少しの間の後、
「実を言うと、あたしは猫派だったのだけどね。何だか、最近は犬もいいなって思えるようになってきちゃった」
と、そう続けた。その言葉にどんな意味が込められているのか。もしかしたら、深い意味かもしれないって思ったけど、追及するのはやめておいた。
「ねぇ、まだよく分からないのだけどさ。どうして、自分を抑える為に、“他人”が、つまりあたしが必要だったの? 新田くんは」
しばらくの間の後で、三倉さんは今度はそんな質問をして来た。僕は少しの間、考えるとこう言ってみた。
「引きこもりのニートとかの典型的な行動としてさ。家族には、何故か上から目線で接しがちだってのがあるだろう?」
「ああ、うん分かるわ。親に漫画雑誌を買いに行かせたりだとか、そういうのね」
「ところが、家族以外の人間に対しては、途端に弱くなる。これは、どうしてなのだろう?」
三倉さんは少し考えからこう言った。
「慣れない人間だと、怖いのじゃない?」
「うん。そういうのもあるかもしれない。ところが、こうも捉えられるんだよ。それは家族を自分自身の一部として、認識してしまっているから。主客が未分化で、家族を他人ではなく、自分の一部だと錯覚してしまっているって事だね。だから、完全に依存している対象なのに、威張ってしまう」
三倉さんはその僕の答えにそれほど納得をしていないようだった。
「分かるような、分からないような」と、そう言う。それを聞いて、僕はこんな説明を加えてみた。
「例えばさ。自分一人でやっているゲームを思い浮かべてみてくれないか?」
「あたし、そんなにゲームやらないのだけど」
「まぁ、この話にそんなにゲームの経験は関係ないから。で、ゲームをやっててさ、何か気に入らない事があったとするね。パワーアップアイテムが取れなかったりとかそういうの。で、最初からやり直したい。当然、その人はゲームをリセットして初めからやるだろう。一人だと、自分の都合しか考えなくて良いから」
「なんとなくは、分かるかな?」
「でも二人でゲームをプレイしているとそうはいかない。相手の都合を考えなくちゃいけないからね」
「うん。分かるわ」
「このゲームを一人でやっている状態というのが、家族に対しては威張っている引きこもりの感覚ね。相手を、客体としては認めていないから、何でも自分の思いのままになると錯覚している。ところが、家族以外の相手に対しては、そんな錯覚は抱いていない。だから、途端に弱くなるんだ。相手を客体として認識しているから」
そこまでを聞くと、三倉さんはこう言った。まるで抗議をするように。
「ちょっと待って。話は分かったけど、その自分勝手に振る舞ってしまう引きこもりが、自分だって言いたいの?
新田くんは、そういうのじゃ全然ないじゃない」
僕はその彼女の言葉に少し困った。それでこう言ってみる。
「まぁ、普段はね。でも、あの人を目の前にしたら、どうなってしまうか、僕には自信がなかったんだ。
あの人の感覚は、お母さんに似すぎていたから」
三倉さんはその僕の返しを聞くと、口をつぐんだ。それから、しばらく海を眺めると、気まずさに耐え切れなくなったのか口を開く。
「とにかく分かったわよ。新田くんは、自分の都合で、何でも自由にできる、一人でゲームをやっている状態を防ぎたくて、あたしを誘って二人でゲームをやっている状態にしたって訳ね。それで、自分を抑えようと。
でも、そのわりには、随分と自分勝手に振る舞っていた気もするけど」
僕はそれに乾いた声を上げた。
「アハハハ。そうかな?」
「そうよ」と、三倉さんは答える。
「ま、いいけどね」と、それから彼女はそう続けた。そしてまたしばらくの間。
「でもね。その自分だけって感覚。それで、自分勝手になるのって、何だかあたしもそうかもしれないって思っちゃう。あたしなんて、全然、子供だし。
というか、そんなあたしに比べれば、新田くんの方がずっと大人に思えるわよ。あたしには。新田くんの方が、辛い境遇を生き抜いているもの」
そう続けた。その三倉さんの言葉に、どう返そうか僕は困ってしまった。それで、
「あの島に行くまでは、僕もそうかもしれないって思っていたのだけどね」
なんて返しみたのだけど、
「認めるなよ」
と、三倉さんからツッコミを入れられてしまった。でも、続ける。
「だけど、あの島に行ってさ、あの小屋での経験を経たら、やっぱり子供で良かったのかな?ってそう思えるようになったよ」
それを聞くと、三倉さんは何故か嬉しそうに微笑んだ。
「そうよ。偶には、甘えなさいな。あたしには、今回、充分に甘えたと思うけどね」
それから、そんな事を言う。
「でも、もちろん、子供のままじゃいけないのだけどね」
僕がそう言うと、「そりゃ、そうだ」と彼女は返してきた。その時、僕はふと海を眺めてみた。目の錯覚じゃなければ、その時、タコの影が海の中に見えた気がした。もしかしたら、あの人が見送ってくれているのかもしれない。そんな想像をしてみる。
「“自分”が形作られるのってね。逆説的に思えるかもしれないけど、客体を意識した時なんだって。
客体を意識しなければ、人は自分を知らないまま……」
その後で僕はそう言ってみた。すると、三倉さんは「なるほど。そりゃ、“他人”が必要だね」なんて、言ってくる。
遠くの海の向こうに、僕らの街が見えた。きっとこれからは、僕は少しだけ違った視点から、世界を眺められるだろう。その光景を見ながら、僕はそう思っていた。