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21.負の感情の増殖

 (大人・大村ゆかり)


 自分自身の執った行動に、わたしは混乱していた。

 どうして、あんなにもこの子の事を、守りたいなんて思ったのだろう?

 ……多分、それは、大人になりたかったからだろう。子供の癖に、無理をして大人ぶろうとしているこの子が、わたしには許せなかったから。いや、そんな立場にこの子を追いこんでいる、この世界とやらが許せなかったのか。

 だからわたしは、大人になる必要があった。

 とにかく、わたしは子供の為に、感情を昂らせた。場が落ち着きを取り戻し、その昂りが静まるのを感じながら、紺野とかいう人の声を聴く。それは、初めはただの音として響き、徐々に意味の伴った言葉になっていった。

 「……ナノマシンを制御するはずだったそれは、負の感情を増幅させてしまったのです」

 負の感情を増幅?

 わたしはその言葉に反応した。負の感情には、心当たりがたくさんあったから。

 「なんで、そんな余計な事をしたんだ、タコ養殖場の連中は…」

 信者の一人がそう言った。わたしはそれを聞いて、また彼らが怒り始めないかと不安になった。一つの負の言葉に、お互いが反応し合って怒りが燃え上がるんだ。そこでふと気が付く。これは、負の感情の増幅。ああ、そうか、ナノネットとやらが存在しなくても、人間は自分達自身で勝手に負の感情を増幅させてしまうものなんだ。

 「その理由は、彼らの立場に立ってみれば、容易に理解できますよ」

 紺野という人は、そこでそんな事を言った。それで皆が黙る。

 「彼らがタコ養殖場を経営していかなければいけない立場だというのは、あなた方にも理解できるでしょう? ところが、その為に必要な生命線は“たこの神”という彼らにとってみれば理解不能正体不明の存在です。彼らは不安で仕方なかったのではないでしょうか?

 ならば、彼らは安心する為に、タコの養殖に必要なナノネットの制御を、自分達の支配下に置こうとするはずでしょう。機械の設置はその為のものです。もちろん、そこには悪意などといったものはありませんでした。タコ養殖場は、たこ神教の信者を従業員として受け入れる事も積極的に行っている。その点からもそれは分かります」

 その紺野という人の説明で、信者達は完全に沈黙した。わたしはそれを見て思う。自分だけの立場から相手を見た場合は、彼らは自分達を抑えられなかった。しかし、相手の立場の視線を少し考えると、それだけで自分達を抑えられた。

 “他人”を自分の視界に入れる行為。それを行ったからだ。そういえば、あの子、新田は、三倉を連れてきたのは、彼女が他人だったからだとかそんな事を言ったか。もしかしたら、そこにはそれと同じ理由があったのかもしれない。紺野という人は話を続けた。

 「タコ養殖場の社員たちが、あの崖の上に機械を設置したのは、あの辺りがタコのナノマシン・ネットワークにとって重要な場所だったからです。ネットワークが密集しているのですね。恐らく、“たこの神”の座がここにある事とも関係しているのでしょうが。こことあの崖は近いですから。

 ところが、その機械は稼働する事で、一つの核で安定していた、タコのナノネットを掻き乱してしまった。核の流れに影響を与え、競合し、ネットワーク全体の維持に支障をきたしてしまったのですね。

 あの機械はかなり前からあったようです。先にも話しましたが、それが原因でナノネットの“はぐれ”を産んでしまった可能性がある。そして、それが近隣の海で、タコの怪談が噂される原因にもなった。

 つまり、知らず知らずの内に、彼らは自らの首を絞めていたのです。恐らく、ナノネットをタコ養殖に使っている事を公にはしたくなかったのでしょうが、専門家に相談すれば、世間にばれると思いそれもしなかった。この点は明らかな判断ミスですね」

 そこまでを聞くと、紺野という人はわたしを見た。そして、言う。

 「どうですか? 彼らを愚かと、あなたは思いますか?」

 わたしは首を横に振った。

 「いえ。彼らを安心させられなかった、わたしにも問題があります」

 そう言ってから思う。違う。安心させられなかったのじゃない。そもそもわたしには、彼らの事など視界に入っていなかった。意思を持った客体として認めていなかった。単に金をくれる存在としか。だからわたしは、そもそも安心させようとすら思っていなかった。

 そこでわたしはふと気づく。

 そういえば、わたしは会社勤めをしていた時も同じだった。会社の事も、同僚の事も意思を持った存在として認識していなかった。客体として認めていなかった。だから、皆の迷惑を省みず仕事を休み、なのに、その事を責められれば腹を立てた。

 わたしは……、自分だけの世界に住んでいたんだ。

 紺野という人は続けた。

 「しかしその機械が、決定的な原因を作ったのは、つい最近です。恐らく、その切っ掛けは、タコが捕まらなくなった事」

 それを聞いて、わたしは“え?”と思った。わたしの表情の変化に気付いたのか、紺野という人は言った。

 「もちろん、あなたはそんな機械が悪さをしているなどとは夢にも思わなかったのでしょう。罪はありません。しかし、タコが捕れなくなった事で、ナノネットの調子を整えようとした養殖場の社員は、機械の出力を上げてしまったのです」

 そこで一度、紺野という人は言葉を切った。間を作る。続ける。

 「この機械は、その時の設定内容だと、シグナルを強化するという作用をします。ナノネットから、シグナルを受け取ると、それを強化する、という動きをするのですね。問題なのは、人から流れてくるそれを受け取り、何も判断しないでそのままタコ達に伝えてしまう、という点です。

 恐らく、シグナルを強化する事が、そのままタコナノネットの安定に繋がるとタコ養殖場の社員は勘違いをしたのでしょう。しかし、その結果、混乱が起きた。

 タコの逃避行動を見て、人々は混乱しました。その感情の乱れは、そのままタコに跳ね返ります。すると、タコは混乱し、ますます逃げ回ってしまう。そのようにして、タコの逃避行動は強化されてしまったのです。そこのたこの神役の人のコントロールが効き難くなったのはだからですね。

 このように、結果が原因に影響を与える事をフィードバックといいますが、ナノマシンに影響を与える機械のお蔭で、負の感情を増幅させる方向でのフィードバック・ループができあがってしまっていたのです。この島には。

 そして、また事件が起きてしまった。原因は何であったかは分かりませんが、タコが人を襲ってしまったのです。もちろん、人々はそれを受けて怒ります。憎悪すら覚えたかもしれません。先と同じ過程で、その感情はタコに伝わります。すると、ますますタコは凶暴化し、人を襲うようになる。

 もっとも、今はもう機械の設定を変える事で、そのフィードバック・ループは断ってありますが」

 そこで紺野という人はわたしを見た。

 わたしは、タコが人を襲う原因をつくったのが、わたしであると見抜かれているのかと思ったのだが、違った。

 (いや、本当は気づいているが、見逃してくれたのかもしれない)

 「この件で、幸運にも一人も死傷者は出ませんでした。もしかしたら、それはあなた方が人々を護っていたからではありませんか?」

 そう、紺野という人が尋ねてきた。わたしは、原因をつくったのが自分という負い目から、それに答えられなかったが、新田が代わりにこう答えた。

 「その通りです。最悪でも、それは防がなくてはならないと思い、僕らで必死に何とかしました」

 もちろん、それが必要な言葉だとは分かったが、それでもわたしは、心が痛んだ。確かに人を護りはしたが、そもそもわたしが悪いのだ。褒められた事じゃない。

 そしてわたしは思った。果たして、いつ以来だろう? こんな風に自己否定をし、反省をするのは。

 わたしは己を護ろうとするあまり、周囲を見ず、そして憎悪し、その憎悪により周囲から浮き、そして…

 だから会社で上手くいかなかったのだ。人間関係というネットワークにより発生する、負の感情の増幅。その正体に気付かず、わたしはただただ迷走していた。

 その新田の返答を聞くと、紺野という人は言った。恐らく、この場を治めるつもりだ。

 「分かりましたか? 皆さん。この事件は不幸な偶然の重なり合わせに過ぎません。むしろ、この人達は被害者だ。このたこの神役の人は、この場に閉じ込められ、ここを出た後の生活に不安を覚えなんとか貯蓄をしようとし、タコ養殖場から労働の報酬を受け取っていただけです。一方、タコ養殖場は、この人がいなくなった後でも、養殖場を機能させる為に独自に努力し、それがたまたま悪い結果を産んでしまった。もちろん、あなた方にも悪意はないでしょう」

 ところが、紺野という人がそう言い終えようとすると、そのタイミングで声がしたのだ。

 「いえ、仮にそうだとしても、反省は必要です」

 見ると、信者の中でも権威のある、年輩の女。鳥居というのだが、彼女がそう発言したようだった。紺野という人は、眉をひそめる。

 「確かにそうかもしれませんが…」

 と、それに紺野が返そうとするのを鳥居は手で制すると、こう言った。

 「勘違いしないでください。反省が必要だというのは、私どもの話です。この“たこ神教”は、本来は個々人の心の浄化を理想とする宗教です。

 山の中でも、海の中でも、それは便宜上のもので本質とは関係なく、客体を切り離した主体の中に篭る事で、逆に客体を意識し、それにより己を知り、己を管理し、己を成長させようとするものです。だから場所など何処でも良かった。

 ですが、いつの間にかその本分を忘れ、ただ組織を継続させる事だけが目的になっていました。そして、客体を意識する事などしようともせず、結果的に己を見失い、あやうく暴徒と化すところだったのです。あなた方にはお礼を言います。

 ありがとうございました」

 わたしはその言葉に目を丸くする。その彼女が言う“あなた方”の中に、自分も含まれているような気がしたからだ。彼女は続けた。

 「タコのナノマシン・ネットワークなど、本来は宗教がある為の道具です。なのに、それを護る為に、無関係な人を巻き込み、こんな場所に閉じ込め続けていた。これが、客体を失う行為でなくてなんでしょう? 私達は恥ずべき行為を長年執り続けていました。本末転倒です。これでは、宗教を維持する意味などありません。

 ただ…」

 そこまで言うと、鳥居はわたしを見つめた。

 「ただ、最後にその本分に立ち返れもしました。しかも、私の意図するところとは、全然別の場所で。

 あなたは、立派な“神”です」

 何を言っているのだろう? この人は。

 わたしの頭はそれで混乱した。それは明らかにわたしに向けて発せられた言葉だったからだ。わたしは、こんなにもくだらない人間なのに……。

 紺野が言う。

 「あなたは、ナノネットの存在に気が付いていたのですね?」

 「はい。この島で初めてタコの繁殖を行っていた男も知っています。あなたの仰る通り、ナノネットに関する法律ができると逃げてしまいましたが。

 もう、その頃には、この島にナノネットはどうしようもないくらいに蔓延していて…。ですが私は、ならばそれを逆利用して宗教を作り、それで皆を救おうと思ったのです。何処かで道を誤ってしまいましたが…

 ですが、これが公になってしまったのなら、もうこのたこ神教は続けられませんね。解散します……」

 紺野はそれを聞くと、首をゆっくりと振った。

 「いえ、それは早計かもしれませんよ。素晴らしい宗教ではありませんか。もちろん、皆さんにその意志があればですが、続けるべきだと少なくとも私は思います。このタコのナノネットの存続も含めてね。

 もちろん、誰かを犠牲にするなど、してはいけませんが」

 それを聞くと、鳥居は驚いた顔をした。

 「それは、どういう…」

 そして、そう戸惑った声を発したのだった。

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