14.囚われの神様
(子供・新田恵介)
少しずつ分かってきた。どうしてこの人が、ここに居続けるのか。これはただの推論だけど、この人はここに囚われているのじゃないだろうか?
意識を集中するとよく分かる。ナノネットの流れが。主にタコを棲家にしているこの島のナノネットは、どうやらこの人を核にしているらしい。しかも、この人以外には、核らしい核は存在しない。少し乱れた何かはあるけど。つまり、この島のナノネットは誰か一人の人間を利用しなければ、そのネットワークを維持できないんだ。ただ、核になれる人間はそんなには多くないはずだ。ナノネットに感応し易い体質を持つ人だけだ。だからそんな人を見つけたら、捕まえて放さないようにするのじゃないだろうか?
ただし、問題点もある。この人は核となるには少し弱いんだ。それは性格的な問題かもしれないし、体質的な問題かもしれないけど、とにかく、だからタコ達の結びつきがいまいち弱い。ボロボロと少しずつ逃げ出してしまう。そしてそのはぐれたタコの群の一つが、僕らの街までやって来たのだろう。
……タコ養殖場の所為もあるのかもしれない。あの存在が、この島のナノネットに良くない影響を与えているのかも。この人が、それを手伝っているのも、もしかしたら……。いや、それは考え過ぎか。
「いつまで、ここに泊まらないといけない訳?」
一泊した次の朝、三倉さんがやや疲れたような表情で僕にそう尋ねてきた。僕が掃除をしている時の事だ。いつの間にか、彼女も手伝ってくれていた。
「解決の道筋を、作り終えるまで」
と、僕はそう答える。すると、非難するような顔を彼女は僕に向けた。彼女はずっと緊張しているようだから、その目には納得がいかない事もない。早く帰りたいのだろう。ストレスが溜まっているんだ。
「そう怒らないでよ。一応、その“当たり”はついているんだから」
それを聞くと、三倉さんは「はぁ」と深いため息を漏らした。
「あたし、先に帰っちゃ駄目?」
そして、そんな質問をしてくる。僕はこう返す。
「もう少しだけ、お願い」
僕は神様に祈るように手を合わせて“お願い”をした。それを見ると、三倉さんは「ずるいわね」と、そう言う。
僕は「ははは」と笑い、「悪いね、疲れているみたいなのに」と、そう応える。すると彼女はこう言った。
「何、言ってるの? そりゃ、あたしも疲れているけど、新田くんの方が物凄く辛そうじゃない。
そんな様子で頼まれたら断れないわよ。だから、“ずるい”って言ったの」
辛そう?
彼女にそう言われて、僕は初めて気が付いた。自分が辛さを感じている事に。それから三倉さんはこう続けた。
「でも、色々分からない。どうして、今、新田くんがやっている事に、あたしが必要なの? あの人が関係あるの?」
僕はそれを聞くと、頭を掻いた。どう説明すれば良いか分からなかったからだ。ここには、阿と吽もいるし、もしも三倉さんの存在を意識しなければ、僕がどんな行動を執るか分からないから、とは言えない。
「前に、新田くんは自分を維持する為には、あたしが必要だって言ったわよね? これから会うその人に出会うと、自分がどうなるか分からないとか、そんな事。それが、あの人だったのでしょう?」
それから三倉さんは僕をじっと見つめた。どうにもそんな目で見られると弱い。いや、やっぱりここに来て、僕は弱っているのかもしれない。
「うん…。あの人はさ、まるでお母さんみたいなんだ」
それで僕はそう答えた。
「お母さんみたい?」
そう疑問符を伴った声を上げた彼女を、僕は黙って見つめる。その時、何故か僕は涙を感じた。瞳からこぼれるほどではなかったけど。その顔に、彼女は何も言えなくなったみたいだった。少しの間の後で、僕はそのまま何も言わずに掃除を再開した。
「……どうか僕にタコ養殖場の事をもっと教えてください。あなたとの関わりを。
実は色々と面倒そうな事が起きています。ここのタコ達が原因となって。あなたにはそれを解決できない。そして僕にも。だから資金を豊富に持った協力者が必要です。そしてそれは僕には、タコ養殖場くらいしか思い付けないのです」
朝食を食べ終え、三倉さんに外に行ってもらうと(帰る為には必要、と言うと納得してもらえた)、僕はこの人にそう言った。この人はとても困った顔を見せ、どう答えれば良いのか迷っているように思えた。悪意はない。気分を害してもいない。僕はナノネットを通して、この人の感覚を掴む事ができるから、それは確かだ。つまり、何か特別な理由があって、この人は僕にそれを伝えられないんだ。
この島のナノネットが、色々と問題を起こしているのは、この人がナノネットの核として不充分だから。恐らくは、そうだろう。ならば、それを何かで補強すればいい。タコ養殖場にその為の機械を購入してもらえば、それで問題は解決する。タコのナノネットが問題が起こす事はタコ養殖場にとっても問題だろうから、それは意味がある。この人を交えてタコ養殖場の人と話し合えれば、きっと上手くいく。もっとも、この人はここに囚われたまま、という事になりかねないけど。
その時、そこまで考えて僕はふと気になった。そういえばこの人は、どういうつもりでここにいるのだろう? いずれは、逃げ出すつもりなのだろうか?
結局、タコ養殖場とのこの人との関わりを、僕は聞き出す事ができなかった。もっと強引な手段に出ても良かったのだけど、やっぱり、僕はこの人には弱いみたいだ。どうしても、お母さんの姿を重ねてしまう。
もっとも、この人とお母さんが似ていると言っても、お母さんの方がもっと凶悪だったと思う。少しずつだけど、何かしらの僕への愛情に近いものを、僕はこの人から感じ取るようになったから。お母さんなら、きっとそんな事はない。いや、あの頃の僕にはそんな能力がなかったから分からなかっただけで、もしかしたら、お母さんにもあったのかもしれない。僕への愛情が。僕の願望かもしれないけど。
次の日、朝に掃除をしていると、三倉さんが尋ねてきた。
「で、どうなの? そろそろ、解決の道筋とやらは立てられそうなの? 正直、今日は帰りたいのだけど」
彼女も不安だろうから、質問するのも無理はない。
「ごめん。もっと、簡単にいくかと思ったのだけど、駄目だった」
それから、少し考えると僕は言った。
「今日一日、がんばってみて、それでも駄目だったら出直そうか。今回で、色々と分かったから」
三倉さんはため息を漏らすと、こう言った。
「あたしには、何が問題のかすらよく分かってないのだからね。訳が分からない事に巻き込まれているこっちの身にもなってよ」
ただ、そう憎まれ口を言っているのに、彼女の口調は柔らかかった。そんなに怒ってはいないようだ。
あの人から話を聞き出せない以上、別の手段に出るしかない。タコ養殖場を単独で当たるのなら、僕みたいな子供じゃ無理だ。誰か、大人の手助けを借りなくなちゃ。里神教のメンバーで適当な人に頼もう。あの人に会うのじゃなければ、三倉さんの手を借りる必要もないし。
そう思う。
だけど、その時だった。僕は異様な気配を小屋の外に感じたのだ。
「とにかく、今日は暇過ぎるから、海まで行くわよ、あたしは。こうなったら、開き直って遊んでやる」
そして、三倉さんがそう言った瞬間だった。阿と吽の吠える声が聞こえる。
「うおぉーん!」
僕は咄嗟に小屋の外に出た。
怒り。
感じたのはその感情だった。怒りの塊が、ここに向かって近づいてきている。僕は外に出た。三倉さんが、その僕に向けて「何かあったの?」と質問してくる。「小屋の中にいて」と僕は言うと、阿と吽を後ろに控えさせて、様子を確かめる為に意識を集中した。とにかく、状況を確認して何か対応策を取らないと。
ナノネットを通じての曖昧とした情報だけど、それが複数人の大人のものである事は分かった。
まずい。
僕は思う。
これは、僕。いや、あの人も含めての僕らに対する敵意だ。理由までは分からない。流石に、そこまでは外部のナノネットじゃ捉える事はできない。
ならば、“感じ”だけでも掴んでおくか。
僕は彼らのナノネットに自分の意識を馴染ませる為に、全力を注いだ。もちろん、感情に働きかけをし易くするためだ。やがて、海で働く人間達独特の力強い印象を持った人々がそこに姿を見せた。
「阿、吽。落ち着いて」
「ウーッ」と唸り声を上げる阿と吽を宥めながら、僕はその人達の前に出た。頭に血が上っているのは、見た目からも明らかだった。
「お前と、話をするつもりはねぇ」
と、一人が言う。それから、「たこの神様! 出てきてください!」と、大声で別の人間が言った。
あの人はまだ寝ているはずだ。と、その様子を見ながら僕は思う。そう告げようかとも思ったけど、ここは下手に刺激しない方が良いと判断して、黙っていた。代わりに、意識を集中し、ナノネットを通じて彼らの気持ちを落ち着かせようとする。
「出てきてください!」
と、更に複数人が叫ぶと、ようやくあの人は姿を見せた。明らかに寝起きで、そのだらしのない様子は、恐らくたこ神教の信者であろうこの人達の怒りに更に油を注いだ。
「養殖場のたこがおかしいんです! 以前は、大人しく捕まってくれたのに、今は逃げ回り続けている!
しかも、この子供達がやって来た時と同じくらいの時からです! この子供達を、たこの部屋に上げたからではないですか?」
それを聞くと、この人は頭を数度掻いて、いかにも面倒くさそうにこう言った。
「ああ、それ? 関係ないわよ。この子の所為じゃない」
まるで、既に知っているかのような反応。いや、本当に知っていたのか。言い終えてから、“しまった”という感じの表情を見せる。
「なんで、そんな事が分かるのです?」
当然、それでは納得しなくて、一人がそう怒りの声を上げる。その質問に対し、この人は狼狽しつつ、こう言い訳をした。
「わたしはたこの神です。それくらいの事は分かります」
説得力がまるでない。もちろん、その答えは信者達の怒りを更に激しくした。
「なんですか! それは!」
何人かが、そう怒鳴った。
「しかも、そんなに情けない姿で。あなたは神の位置にいると分かっているのですか?」
そしてその怒りは、別の怒りを誘発してしまったようだった。きっと信者達は、この人の生活態度を、普段から不満に思っていたのだろう。
……仕方ない。
そこに至って、僕は目を閉じた。
より本格的に、ナノネットに働きかける準備をしたのだ。
“阿、吽”
心の中でそう呟く。すると、阿と吽は「ワンッワンッ」と激しく吠えながら、信者達の前に出て行った。まずは、それで彼らを怯ませたのだ。その隙を利用して、僕は大きく手を鳴らしてみせる。
――パンっ!
「阿に吽。やめなさい」
もちろん、僕がやらせたのだけど。それで二匹は大人しくなる。そして、そのタイミングで、僕はナノネットを通じて彼らの視覚に少し細工をした。僕が少しだけ光って見えるようにしたんだ。そして言う。
「どうか、落ち着いてください。僕はむしろそういった問題が発生するだろう事を予見し、防ぐためにここにいるのです。僕は本土からやって来た“里神の使い”です。里神はたこの神を救おうとしている」
たこの神が、山とも関わりがあったのが良かった。それは一応、説得力のある言葉になってくれたようだった。「里神の使い?」。不思議そうな声を上げ、信者達はお互いに顔を見合わせる。そのお蔭で、ナノネットを通しての怒りを治めさせる操作が、効果的に行えた。
「どうか、お下がりください。たこ達を何とかする為に、努力しているところです。このままでは、却って解決が遅れてしまう」
そう僕が言うと、信者達は不服そうにしながらも帰って行った。なんとか、成功したようだった。
伊達に、今まで“里神の使い”をやって来た訳じゃない。里神に使われながら、こういう演出も経験している。それが、こんな風に役に立つとは思わなかったけど。とにかく、これで少しの間は、大丈夫のはずだ。もっとも、早く解決しないと、また彼らはやって来るかもしれないけど。
「――あいつら。わたしは好きでここにいる訳じゃないのに」
と、信者達が帰った後で、この人はとても怒っていた。どうにもこの人は、やっぱり囚われているらしい。たこ神教に。
どう考えても、たこ神教に入信しているようにも思えないし、きっと嫌々なのだろう。この立場は。そして、養殖場のたこが逃げ回る、という問題が解決できなければ、この人は危ないかもしれない。どうやら、僕らの事を抜きにしても、この人はあまり良い印象を持たれてはいないようだ。
僕らは、ここを去ればそれだけできっと助かる。でも、この人は……。
そして、問題解決の為に必要な、タコ養殖場との関わりは不明なまま。
僕は考えた。
仮に、この人の立場が、交代可能なものなのだとするのなら……。