13.体内のナノネットと養殖場の事件
(怪談ルポライター・山中理恵)
岩盛島で行方不明者が発見されたと、鈴谷さんに報告すると、直ぐに取材期間の延長を決め予算の都合をつけてくれました。ただし、締切に間に合わないので、原稿は現地で仕上げてくるようにとの指令です。この辺りの即断即決は流石と言っておきましょう。それが必要とされる状況を分かっているのです。
「断っておくけど、私は怪談専門だから、どんな記事に仕上がるかは分からないわよ」
と、念のため断っておくと、「あなたなら大丈夫でしょ」と、あっさりと返されました。信頼があるのか、投げやりなのか微妙なところですが、一応は喜んでおきます。お金を稼がなければいけない立場ですから、仕事はもらえるに越したことはない。
そんな訳で、私は正式に『行方不明者の発見』の取材をする事になったのでした。当然、岩盛島への滞在期間も延びます。
発見されたのは、崖から転落し、死亡していた経済雑誌の記者と、海に落ちて助かった、蛸養殖場の社員です。当然、この二人の関連性は疑われるところでしょう。一緒に足を滑らして落ちたか、助けようとして失敗したか、或いは、どちらかが突き落とそうとして、二人とも落ちたか。
記事の面白さを期待するのなら、三番目でしょう。かなり不謹慎ですが。どうにも、因果な商売です。
私はまずは聞き取り調査から始めました。
雑誌記者の方は、どうやら蛸養殖場の取材に来ていたようです。蛸養殖の成功は、それなりに刺激的なニュースでしょうから、その取材も納得ができる。ただ、それだけならばそれでどうして山にいるのかが分かりませんが。そう言えば、その崖はたこ神教本部の近くでもありました。
もちろん、私は直ぐにたこ神教と蛸養殖の関連を疑いました。雑誌記者は、この二つの繋がりを掴んで、山に登ったのではないだろうか? 自然な連想でしょう。
それで、その記者の所属している雑誌が、どんな類なのか、電話で連絡して鈴谷さんに訊いてみました。すると、真面目半分、ゴシップ半分といったところで、今回がどちらのものに属するのかは分からない、という事でした。
ただ、この行方不明が起きる少し前に、この蛸養殖場の冷凍保管庫で殺人事件が起こっていたはずです。それに関連して、この雑誌記者がこの岩盛島を訪れたというのなら、ゴシップの方だと考えた方がいい気もします。
「その雑誌、ナノネットの記事とかも、書いていたりする? もしかして」
そう鈴谷さん質問すると、「流石に、そこまでは詳しくないけど、この手の雑誌ではナノネットを扱う例は少なくないから、充分に考えられるわね」とのことでした。ならば、ナノネットの性質も、ある程度は分かっていると考えた方が良さそうです。いえ、検知する機器も持っているかもしれない。
そう考えて、一応、探りを入れてみたのですが、その雑誌記者の持ち物までは、流石に分かりませんでした。
一応の私の仮説はこうです。
雑誌記者は、蛸養殖場とたこ神教のナノネットを通じての繋がりを知ってしまった。または、知ろうとしていたのか。その事を隠しておきたい蛸養殖場の社員は、記者の調査を妨害しようとし、誤って崖から落としてしまった。そして、その時に自分も落ちてしまった。
完全な憶測ですが。
ただし、記者の足取りを辿ってみると、まずは蛸養殖場を取材し、社員らに接触してから島民の方々の話を聞きつつ、徐々に山に登っていく、という過程を経ています。先にそれを知った養殖場の社員が、後を尾行して知られそうな気配だったから邪魔をした。殺意まではなかったのじゃないかと思いますが、その線が濃厚のようにも思えます。
もっとも、別の可能性も少しだけ考えられますが。
養殖場の社員は、ナノネットに憑かれていた。それで、ナノネットの邪魔になるだろう、その記者の存在を消した。蛸養殖場とたこ神教が協力関係にあると仮定した場合の推論ではありますが、考えられる事は考えられます。
もし、そうならば、“たこの神”が怪しいとも思えますが。神の代替り。これが、もしもナノネットに絡む何かを意味するのなら。もっとも、これ以上は、更に情報を得られない限り、どうとも分からないのですが。
一通りの調査を終えると、私は考えました。一回、本州に戻ろうかと。これ以上、ここに残っても分かる事は少なそうです。しかし、そんなタイミングで、神原先生という人から連絡が入ったのでした。この人の職業はカウンセラーなのですが、何故かナノネットに関わる事が多く、しかも中々に一筋縄ではいかない性質の持ち主でもあります。紺野先生に関わる人の中で、紺野先生に対抗できる数少ない一人で、一目を置かれてはいるのですが、同時に警戒もされています。狸に例えられ、下手に近付くと化かされるぞ、などと。
もっとも、私はこの人がそんなに嫌いではないのですが。化かされる覚悟を持って接すれば、面白い人でもあるからです。
どうしてかは分かりませんが、神原先生は私が岩盛島に取材に来ている事を知っていました。しかも、たこ神教を調べている事も。そこで私は気づきます。鈴谷さんが、どうして唐突に、たこ神教の取材を私に依頼して来たのか。
「神原先生ですね。鈴谷さんに、たこ神教の情報を流したのは」
それで私は、そう言ってみました。
恐らく、神原先生にはたこ神教を調べる必要があったのでしょう。しかし、直接、誰かに依頼すると経費がかかる上に、調査の結果が信頼できるかどうかも分かりません。それで鈴谷さんをその気にさせた。彼女を乗り気にさせてしまえば、この手の話なら、私に話がいく可能性が大きい。それに、神原先生がその情報を知りたがっている事も、上手くカモフラージュできます。敵も、多そうな人ですから、隠したくもあったのかもしれない。
……化かされた、のでしょうか、私は。まぁ、実害はないのですが。
私の言葉を聞くと、神原先生は、
「いやいやいや。どうでしょう? そんな話題をネット上で振った記憶はありますけどね」
なんて、言い訳をしてきました。白々しく。もちろん、私には通用しない事を分かっていながらでしょう。痴れ者です。
「ところで、偶然にも、私も岩盛島のタコ養殖場に関わっているのですよ。それで、ちょっとばかり、たこ神教について知りたい事がありましてね」
“偶然にも”
どの口が言うのでしょう? 普段なら、条件なしで教えていたところですが、多少、機嫌が悪かったので私はこう答えました。
「ただじゃ、教えられませんね」
すると、受話器の向こうで、神原さんが笑ったのが分かりました。
「なるほど。それでは情報交換といきませんか?」
それから神原先生はこんな提案をしてきました。行方不明者の体内から、ナノマシンが検出されたかどうかが判明したなら、その情報を私に流してくれる。確かに、それは私が知りたい情報の一つでした。流石に、見抜かれています。
神原先生はこの手の約束は守ります。そういう人だからこそ付き合えるのですが。また、そういう情報を仕入れる能力も持っています。その話は、信用しても良さそうでした。それだけでも充分かとも思ったのですが、私は今回はもう少し欲張ってみようかと思い、更にお願いしてみました。駄目で元々です。
「もう一つ。分かったらで良いのですが、死亡した記者が、ナノネットの検査機械の類を持っていたかどうかも知りたいのですが。分かりますかね?」
そう言ってみると、少しの間の後で、返事がありました。
「ほほぅ、なるほど。分かりました。それももし分かったら、伝えましょう」
きっと、私が何を考えてそんな事を言ったのかも見抜かれていると思います。それは、同時に神原先生に情報を提供している事でもあったのですが、ま、これは仕方ないですし害はないはずです。ただ、油断していると痛い目を見そうでもありますが。
それから私は、今自分が持っているたこ神教の情報を伝えました。蛸を生で食べなければいけない、というナノネットがいかにも関係のありそうな教義がある点、謎の“神の代替り”というものが存在する点、そしてその“神の代替り”と同じタイミングで“子供を産み育ててはいけない”という違和感のある教義が追加され、近隣の海で蛸の怪異が報告されるようになった事と、蛸養殖場が始められた事。
神原先生は、私が伝え終えると、「なるほど」とそう言いました。なんだか、楽しそうな声に思えました。不謹慎な人です。いえ、他人の事は言えないのですがね。
それで私にはもう少し岩盛島に残ってみる理由ができました。神原先生からの報告によっては、まだ調査の必要が出てくるかもしれません。
そしてそんな頃に、岩盛島でまた妙な事件が起きてしまったのでした。今度は、蛸養殖場。どうしてなのか、蛸が取れなくなったというのです。蛸達が、逆らうというか、何というか。
普段なら、蛸達の陸揚げは容易なのだそうです。設置している蛸壺に入っているので、それを引き上げるだけ。「まるで蛸が協力してくれているよう」とも作業員の方は言っていましたが。もちろん、私は内心では、“ハハハ、ナノネット絡みっぽい”と思っていました。
それが、蛸達が中々捕まらなくなった。まるで逃げるようにして、泳いでいってしまう(実際、逃げているのでしょうが)。海の中にいるのは確実らしいのですが。
そしてそれが原因となって、不穏な空気が生まれ始めてしまったのです。
「山の中のたこの神様の所に、変なガキどもが来ている。そいつらの所為じゃないか? きっと、不浄な奴等が来たお蔭で、海の中のたこの神様が怒っているんだ」
どうも、蛸養殖場の作業員の中にはたこ神教の信者も多いようなのですが、その作業員達がそんな主張をし始めたのです。詳しくは知らないのですが、山の中のたこの神と海の中のたこの神がいるらしいです。そして、山の神様の方には、子供達が泊まっている。
「もしかしたら、例の行方不明者もそいつらの所為かもしれねぇ」
そして、その主張はそうして暴走をし始めてしまったのでした。時間の関係を調べてからにしないと、と私は思っていましたが、冷静な言葉が届きそうな雰囲気ではなさそう。
更にそのタイミングでした。神原先生から連絡が入ったのです。行方不明になっていた養殖場の社員の体内から、ナノネットが検出をされた、と。そして、雑誌記者はナノネットの感知機器を持っていたという事実も。
その段に至って、私は紺野さんへの相談を考え始めました。そろそろ私達だけでは限界でしょう。