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11.冷凍保管庫殺人事件2

 (特別調査員・二村幸治)


 動物行動学の権威で、ノーベル医学生理学賞を受賞したコンラッド・ローレンツとかいう学者は、イカを「人工的な飼育ができない唯一の生物」と言っていたそうだ。ところが、松本元という日本の脳科学者が、ヤリイカの飼育を成功させてしまった。

 ヤリイカは、巨大な神経線維を持っていたので、脳科学の研究には必要なものだったかららしい。ヤリイカの人工飼育に成功すれば、飛躍的に脳・神経科学の研究が進む事が期待できたって訳だ。その理屈は分からないでもないが、海洋動物学者でも何でもない人間が、それを思い立ってしかも成功させるとは普通は考えない。実際、この成功の影には、多大な苦労があったのだとか。まったく、世の中には凄い人間がいるもんだって俺は思う。

 イカの人工飼育の可能性を否定した、コンラッド・ローレンツって学者はそのニュースが信じられず、わざわざ来日して、イカが一週間生存し続ける様を見届けたそうだ。もちろん、その後はその業績を高く評価した。

 ま、これはイカに関するエピソードだから、タコにはあまり関係がない、かもしれない。が、養殖というのがいかに難しいものかってのは分かると思う。実際、イカの飼育が可能だと分かっても、それ以降、あまりイカの養殖は進まなかった。経費がかかるからだ。だからこそ、うちの会社のタコ養殖部門の意味は大きい。社の内外から、篤い期待を寄せられているのだ。

 そんな訳で、このタコの冷凍保管庫の殺人事件の調査に関する俺へのプレッシャーはかなり大きい。正直、胃をやられそうだ。ただし、だからこそ、協力はそれなりに得られもした。そして、正直、どこからどう手に入れたのかは分からないのだが、今俺の手には、この殺人事件に関する、警察の調査結果とおぼしき資料があるのだった。違法、あるいは違法スレスレの臭いがプンプンする。ある伝手を頼ったら、持って来てくれたのだが。それは主には殺されていた人間に関する資料だった。

 冷凍保管庫で死んでいた人間は三人。その内の一人は、タコ養殖部門の重要な責任者の一人で男、32歳。こいつの喪失は社にとってもかなり痛いところだ。因みに、こいつは消火器と推測される鈍器で頭を殴打されて死んでいた。

 もう一人は、何て事のない従業員でこいつも男。20歳のアルバイトだ。当日は休憩時間にタコを焼いて食っていたらしい。CAS冷凍は保存期間を大幅に伸ばす。それは充分に賞味期限内のタコのはずだ。こっそりちょろまかしたのか、それとも後でちゃんと金を払うつもりだったのかまでは分からないが、どちらにしろ、天罰で殺されるほどの罪とは思えない。こいつも、消火器で頭を殴打されたと考えられる。

 最後の一人は、こいつが一番謎なのだが、何故か海の中で溺死していた。こいつも男で、正社員、29歳。普段は養殖場で、作業を行っているのだが、この日だけは遠出して冷凍保管庫で仕事をしていたらしい。何者かから逃げた結果なのか、単に海に落ちただけなのかは分からなかったが、先の二人を殴打したと見られる消火器はこいつと一緒に海に浮かんでいた。間違いなく、こいつが海に落ちる過程で、消火器も一緒に海に落ちたのだろう。因みに、この男は岩盛島に住所があり、しかも“たこ神教”とかいうよく分からない宗教の信者だそうだ。もちろん、状況の不可解さから、もし仮にナノマシンが関与しているとするのなら、こいつが一番可能性が高くなる。

 さて。それだけの事を伝えると、俺と一緒にこの調査を行っている、神原は何故か俺に謝ってきた。

 「あなたに謝らなければなりません」

 何の事かと思ったら、俺が前に苦し紛れに出した仮説。“CAS冷凍の、保管技術によってナノマシンが死ななかったことが、この事件を引き起こしたのではないか?”という推測が正しい可能性が、どうやら大きくなってきたらしい。それを俺が言った時、神原は重要ではないと言い放ったのだ。

 「もっとも、正しかったとしても、一因に過ぎませんが」

 自分の仮説が正しかっただろう優越感よりも、何故神原がそんな結論に辿り着いたのかが俺は気になった。そもそも、あれは単なる思い付きで特別な考えがあった訳じゃない。当たったところで、威張れないだろう。それでこう尋ねてみた。

 「神原さんの方で、何か分かったのですか?」

 何か分かったらこそ、そんな事を言い出したのだろうが。神原は少しも表情を変えずにそれにこう返した。

 「色々と分かりましたよ。まず、タコの体内のナノネットは、人の精神を操る能力が低い。知り合いの伝手を頼って、内密に調べてもらいました。実を言うのなら、私は事件を引き起こしたのは海中のタコのナノネットではないかと考えていたのですよ。何か特別な理由があって、タコのナノネットは殺人を犯したのではないか、と。しかし、調査結果を受けて、通常の状況ではそれは起こり得ないと分かりました」

 「なるほど。タコのナノネットには、人を操るほどの力がなかった、と。しかし、冷凍保管されいるタコに関してもそれは同じなのではないですか?」

 「いえ。同じではありません。冷凍保管庫には、ナノマシンが入ったタコばかりが、膨大に保管されているのでしょう? 数が集まれば、人の精神に干渉する力も強くなる。また、ナノネット除去装置は、ナノマシンとナノマシンのネットワークの破壊はできても、ナノマシン自体は壊せません。そして、CAS冷凍技術のお蔭で、冷凍された後でもナノマシンは壊れなかった。この大量のナノマシンに外部からの何かの影響が加われば、充分な力を発揮してもおかしくない」

 「ですが、冷凍された状態で人を操るほどの強力な電磁波を出せますかね?」

 ナノネットは、電磁波によって人を操る。もちろん、その人が何も体内に取り入れていなければ不可能だが、ナノマシンを保有していたのなら別だ。神原は相変わらずに無表情のまま答える。

 「そうですね。それは分からない。ただ、0度以下でも活動しているナノマシンの報告はありますから、有り得ないとも言えない。ま、今からそれを確かめに行くのですが。ナノマシンからの電磁波が検知できたなら、この事件がナノネットによるものという可能性は大きくなります」

 そう言って神原は、抱えているバックパックを目で指し示した。恐らくは、その中にはナノネットを感知する機械でも入っているのだろう。因みに、今は車で移動中だ。俺達はCAS冷凍保管庫に向かっている最中なのだ。

 「問題は、それが可能であったとしても、その目的が何であったか、です。それを調査する為には、やはり事件の背後関係を洗わなければならない」

 「目的ですか…」

 俺は神原の言葉を受けて、少し疑問を感じた。果たして、今回の事件に“目的”があるのかどうか。

 「失礼ですが、今回の事件に目的なんかないのではないですか? 俺には純粋に事故であったように思えるのですが」

 どう返してくるかと思ったが、神原は俺のその疑問をあっさりと認めてしまった。

 「そうですね。そうかもしれません。ただ、それでも背後関係は重要です。“目的”と言うと誤解を生みそうなので、別の表現にしますが、不足している“原因”を、私は洗い出したいのです」

 「原因?」

 「はい。仮に、ナノネットに人間が操られたとしても、殺人には至りません。ナノネットにはナノネットの行動原理があり、何か理由がなければ、人殺しなどしない。それに私は気になる他の情報も入手していましてね」

 気になる情報…… そう言えば、この男は先に“色々と分かった”と言っていたか。俺はハンドルを握る力を少し強めた。この短期間に、よくもそれだけ調べたものだ。

 「あなたもご存知の通り、あの島にはたこ神教という、少々変わった新興宗教があります。と言っても、たこを神として祀っている以外は、それほど変わってもいないらしいのですが。ただ、それでも、面白い教義が何点かありましてね。

 その一つに、一週間に一度はたこを生で食べなければいけない、というものがある。どうです? 何か思い当たりませんか?」

 それを聞いて俺は直ぐに、ナノマシンを体内に取り入れる行為を連想した。

 「なるほど。営業成績の資料で、あそこの島のタコの消費量が多い点は分かっていましたが、そんな風習があったのですか」

 「風習ではなく、教義ですがね。ま、どちらにしろ、島民の多くが、タコのナノマシンと同じナノマシンを体内に保持しているだろう点は否定できません」

 「つまり、そのたこ神教は、ナノネットに操られている可能性が大きいと?」

 「いえ、そうは言っていません。何しろ、タコのナノネットは、人を操る力がとても弱いですから。できて、干渉くらいでしょう。気分を操作したり、まぁ、幻覚や幻聴くらいなら可能かもしれませんが」

 俺はそれを聞くと、考える。海で溺死した男は、たこ神教に入信していた。この男の死に方が一番、謎だったのだが、体内にナノマシンを大量に保持していたとくれば、納得がいく。

 「なるほど。溺死していた男が、ナノマシンに操られて凶行に走った、と。その線が、一番考えられそうですね。で、犯行後に海に落ちるか、または操られるかして死亡」

 「そう結論に至るのは、まだ早い気もしますが、概ねはそんなところだと思います。しかし、それでも腑に落ちない点がある。操られたからと言って、それで殺人に至るとは考え難いのですよ。先にも言いましたが、ナノネットの行動原理を知る必要があります。そして、またたこ神教の話題を出しますが、この宗教にはまだ変わった教義がある。なんと、“子供を産み育ててはいけない”というのです。しかも、その理由は、人類は地球環境に悪影響を与える悪い種だから。なんだか宗教と言うよりは、狂信的なエコロジストのようですが」

 「はぁ……」

 俺はそれを聞いて、そんな気のない返事をした。正直、俺にはそんなに重要な話には思えなかったからだ。それで、こう訊く。

 「でも、島で殺人事件が起きたりだとか、そういった事は起こっていないのでしょう? 今回の事件には関係ないのじゃないですか?」

 「直接的には関係ないかもしれません。しかし、捨ておけない理由はまだありましてね。この宗教にこの教義が生まれたのは、そんなに昔の事ではないらしいのです。何でも、“神の代替り”が行われたそのタイミングからなのだとか。これが何を意味するのか、その詳細は分かりませんが、その時期は、元タコ養殖ベンチャー企業の若者達が、タコの安価な養殖に成功した時期とも一致している。まだある。この“神の代替り”以降、徐々に近隣の海での、タコの怪異に関する噂話が増えているのです。気になりませんか? 偶然とは思えない」

 俺はそれを聞いて少し驚いた。何で、こんな短期間にそれだけ調べられたのだろう? そう質問すると、

 「いやいやいや。実は幸運にも、知り合いがこの“たこ神教”を調べていましてね、教えてもらったのですよ」

 と、そう返してきた。“幸運”ね。それを聞いて俺は疑う。本当にただの幸運なのだろうか? が、深くは言及しない。その意味もない。この男の事だから、何かをやったのかもしれないが、俺には関係ない。

 「なるほど。確かに奇妙な話ですね。偶然とは思えない」

 俺はそう答えながらも、それほどその話には関心がなかった。今回の俺の調査には、重要ではないと思ったからだ。別に俺は真相究明をしている推理小説の中に出てくる探偵ではないのだ。事故の原因とその再発を防ぐ方法さえ分かればいい。ナノマシンがまだタコの体内で生きていて、それが悪さをしているというのなら、ナノマシンを殺す為の何らかの処理を、これからするようにすれば良いだけだ。それが難しいのなら、電磁波の遮断でも何でもいい。

 正直に言うのなら、こんな面倒臭い事からはさっさと抜け出したかったのだ。神原は、俺のそんな心中を知ってか知らずか、気分良さそうにしていた。


 CAS冷凍保管庫に着くと、神原は早速、バックパックに入った機器を取り出した。恐らくは、ナノネットを検知する為のものだろう。バックパックを背負い、嬉しそうに機器を握るその姿は、中年男には似合わない。カウンセラーにも見えなかった。

 神原は、CAS冷凍保管庫の中に入ると、その光景に子供のように興奮していた。

 「なるほど。面白い光景ですね。凍らされたこれだけの数のタコを見る機会など、滅多にない」

 どうにも演技ではなく、本当に喜んでいるようだった。変な男だ。そのうちに、保管庫の責任者に向け、こんな事を訊いてきた。

 「どのタコが、一番新しいものか分かりますか?」

 その質問を受けると、保管庫の責任者は、

 「今の時期だと、ここが最新で、右にずれていくほど古くなります。端まで着くと、反対側に移って、それで最新の手前までが一番古いものですね。ただ、古いと言っても、1年前までが最古です。みな、売れてしまうので」

 と、そう説明した。その説明を受けると、神原は最新のタコの辺りで、機械のスイッチを押すと、徐々に古いタコの方に移動させていく。端まで着くと、スイッチを切り、反対側に移動してまたスイッチを押して歩く。どうやら、最新のものから順に古いものの方へ、ナノネットの検知を行っているらしい。

 それが終わると、外に出て、バックパックの中から小さなサイズのノートパソコンを取り出し、神原はその機械を繋ぐ。何かのソフトを起動させると、パソコン画面に、ジグザグに右下がりなグラフが現れた。

 「ははは。素晴らしい」

 その画面を見ると、神原はそう呟く。

 「見てください、二村さん。最新のものが一番元気で、徐々に活動が下がっていくのが分かる。ただ、一年経ってもまだ活動してはいるみたいです。なるほど、CAS冷凍保管技術は素晴らしいですね。これなら、充分に原因になり得ます」

 つまりは、ナノネットの反応があったという事だろう。古くなると活動は弱まっていくが、冷凍保管された状態でも、ナノマシンは活動していたのだ。俺はそれを聞いて、安心した。これでこの事件から解放されると思ったからだ。ナノマシンを殺す設備を、この保管庫に設置すれば良いのだ。それが不可能なら、ナノネットの電磁波を妨害すればいい。いずれにしろ、解決手段は存在する。しかし、そう言うと神原は反論した。

 「まだ、甘いと私は思いますよ。それだけでは不十分です」

 「何故です?」

 早く解放されたい俺はそう問いかける。神原はそんな俺の様子を少し笑った。

 「早く逃げ出したい気持ちは分かりますが、ここは慎重になった方がいい。もし、再び事件が起こったら、あなたの所為にされますよ」

 そして、そんな事を言う。俺はその言葉に固まった。確かに、そうだが。神原は更に続けた。

 「二村さん。あなたは、優秀な人だが、少しばかり面倒臭がりな所がある。直さなければいけないと思いますよ。

 何度か言っていますが、ナノマシンはただそれだけでは人を操ったりしないし、操ったとしても殺人はしない。殺人を犯したからには、何らかの原因があるはずなのです。それに、ここのナノマシン達は連携してはいない。つまり、ナノマシン・ネットワークにはなっていないのです。恐らく、定期的にナノネットを破壊する処理が行われているのだと思われますが。しかし、だとするのなら、外部から何らかの存在が、ここのナノマシンを利用して殺人を犯した事になる。それを野放しにすれば、今回のような事がまた起こるかもしれない」

 その後で、神原は海の向こうを見据えた。その先には、確か岩盛島があったはずだ。

 「最近になって、岩盛島で行方不明者が発見されたそうですよ」

 「それが何か?」

 「いえいえいえ。どうにも、面白そうな展開だと思いましてね。どうでしょう? ここは一つ、あの島に乗り込んではみませんか?」

 俺はそれを聞くと、うんざりとした気分になる。神原は、妙に楽しそうだった。

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